ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

オバマ回顧録の誤訳 鴻巣友季子さんの解説

 バラク・オバマアメリカ大統領の回顧録 A Promised Land が出版されたが、鳩山由紀夫・元首相について述べた一節の日本語訳をめぐって、誤訳ではないかと異論が出ていた。
 翻訳家で文芸評論家の鴻巣友季子さんがこの問題を詳しく解説している。

 鴻巣さんは自身のtwitterでもこれに触れていて、

 翻訳が一種の「解釈」である以上そこには主観性や批評性が介在するし、なにかを読んで個人的に独創的な解釈をもつのも自由なんだけど、言いたいのは、翻訳する時には、
 〇翻訳に託して自分の意見を主張すべきではない。
 〇原文の構文、無視しないでやー。
この二つです。翻訳は本質的に橋渡し業務。

https://twitter.com/yukikonosu/status/1329629116325191680

 深く納得。以下、Yahooニュース11月19日付記事より鴻巣さんの解説を引用する。

オバマ氏は鳩山氏を「感じ良いが厄介な同僚」と思ってた? 回顧録報道の和訳に疑問(鴻巣友季子) - 個人 - Yahoo!ニュース

歴史の大きな岐路に翻訳の”暗躍”がある
 小さく見える語句の訳し方ひとつで、過去に戦争が起きたこともあれば、爆弾が投下されたこともある。逆に人びとが救われたこともある。
 先日、オバマ前大統領の回顧録 A Promised Landが出版されたことで、日本でも意外な翻訳問題が持ち上がっている。回顧録に関する報道記事のなかに、誤訳があったというのである。
 オバマ氏は2009年に訪日した際にスピーチを行い、当時の首相鳩山由紀夫氏と会談した。回顧録には、そのときのことを短く綴ったページがある。

鳩山氏をほめてる、けなしてる?
 問題となっている箇所は主に二つ。太字部分をよく見てほしい。

【ワシントン共同】オバマ米大統領は17日に出版した回顧録「約束の地」で、2009年の大統領就任後、初めて訪日した際に会談した鳩山由紀夫元首相について「感じは良いが、やりにくい」と振り返った。「3年未満で4人目の首相だった。硬直化し、目的を失って漂流した政治の症状」と指摘した。共同通信

【ワシントン時事】オバマ米大統領は17日発売の回顧録で、2009年11月に鳩山由紀夫首相(当時)と初会談したことに関し、「感じは良いが厄介な同僚だった」と指摘した。その上で、「3年弱で4人目の首相であり、日本を苦しめてきた硬直化し、目標の定まらない政治の症状だ」と酷評した。時事通信

NHK NEWS】アメリカのオバマ前大統領が回顧録を出版し、就任後に初めて会談した当時の鳩山総理大臣について、「硬直化し、迷走した日本政治の象徴だ」と記すなど、当時の日本政治に厳しい評価を下しています。

 まずは、問題となっている箇所の前後をも含めて引用し、訳をつけてみよう(鴻巣訳)。

IT HAD BEEN more than twenty years since I’d traveled to Asia.
わたしにとって、20余年ぶりのアジア訪問だった。

Our seven-day tour started in Tokyo, where I delivered a speech on the future of the U.S.-Japan alliance
7日間の旅程は東京からスタートし、わたしはそこで日米同盟の未来についてのスピーチを行った。

and met with Prime Minister Yukio Hatoyama to discuss the economic crisis, North Korea, and the proposed relocation of the U.S. Marine base in Okinawa.
それから、鳩山由紀夫首相と会い、経済危機、北朝鮮問題、沖縄の米海兵隊飛行場の移設案について話しあった。

A pleasant if awkward fellow, Hatoyama was Japan’s fourth prime minister in less than three years and the second since I’d taken office ー a symptom of the sclerotic, aimless politics that had plagued Japan for much of the decade. He’d be gone seven months later.
鳩山氏はやりにくい面はあるものの感じの良いおかただが、当時の日本は三年のうちに首相が何度も交替し、鳩山氏で四人目、わたしが就任してからも二人目という状況だった――それまでの十年間、硬直し迷走してきた日本の政治が、その状況にはよく顕れていた。

*Obama, Barack. A Promised Land (p.477). Crown. Kindle 版.

 さて、共同通信時事通信の「感じは良いが、やりにくい」と「感じは良いが厄介な同僚だった」の部分を考える。
 原文該当箇所はA pleasant if awkward fellow,だ。わたしが訳す際には、先行するメディアの翻訳となるべく同じ語を使うようにした。その方が違いがわかりやすいからだ。

重点の違いで意味は大きく変わる
 「感じは良いがやりにくい」または「感じは良いが厄介な同僚」(同僚は誤訳。「人」という意味)とするか、わたしの訳文のように「やりにくい面はあるものの感じの良い」とするかで、印象はまったく変わってくるだろう。文章の重点がどこにあるかの違いだ。
 ポイントは、「形容詞A+if+形容詞B」という英語の定型的フレーズを正確につかめるかどうか。このifは「もし~なら」ではなく、「~であっても」という譲歩の意味を表す。学校のどこかで習いましたよね、「譲歩のif」。あれです。
 「~であっても」なので、意味の重点は、BではなくAに置かれる。awkwardなのは玉に瑕だけど、基本、pleasant だと言っているのだ。ところが、先行メディアの翻訳はほぼすべて、これを「形容詞A+but+形容詞B」のように訳している。「AだけれどB」というふうにBに重点が来ているのだ。
 ものすごく些細なことに見えるかもしれないが、このように意味を反転させる英語のフレーズは慎重に訳す必要がある。A+if+Bなのか、A+but+Bなのか、あるいはその語順によって、ニュアンスや意図がかなり変わってくる。

<中略>

オバマ氏の文章でいえば、「ちょっとやりにくい人だが、感じよく接してくれた」と、ポジティブな表現に着地している。そこはきっちり訳してもらわないと困る。「当たりはいいけど厄介な人」と、ニュアンスを逆転させるのは"誤訳"と言えるだろう。

 今回はネット界隈が「誤訳ではないか?」と騒いだため、それが鳩山氏近辺にも伝わり、英語のできる本人が原文を確かめ、「いや、酷評していないでしょう」という声明をtwitterで出したからよかったものの、こうした小さな外交的すれ違いで、国同士の悪感情というのは醸成され得る。

 だから、翻訳は怖いのだ。

<略>

だれを「厳しく評価」しているのか?
 さて、問題の一文は鳩山さんに対するポジティブ評価に着地したが、言い換えや逆接や反語を使って、文章のトーンが二転三転していくことが英文ではよくある(日本語にもある)。
 以下の太字の箇所は、NHKの翻訳だと「主語」を取り違えているように見えて危険だ(*その後、NHK朝日新聞の取材に対して「ネット上に様々なご意見があることは承知しております。今後とも正確で分かりやすい表現に努めてまいります」と答えた)。

原文と訳文を再掲すると――
A pleasant if awkward fellow, Hatoyama was Japan’s fourth prime minister in less than three years and the second since I’d taken office ーa symptom of the sclerotic, aimless politics that had plagued Japan for much of the decade. He’d be gone seven months later.
 就任後に初めて会談した当時の鳩山総理大臣について、「硬直化し、迷走した日本政治の象徴だ」と記すなど、当時の日本政治に厳しい評価を下しています

 「硬直化し迷走した日本政治」と、たしかに厳しい文言があるが、その批判を鳩山首相ひとりにかぶせてはいない。ダーシの後の a symptomは「徴候」「症状」「顕現」といった意味だが、その「主語」は鳩山氏ではなく、「3年間に何人も首相が交替するようなまとまらない日本の政治状況」全体だ。
 おそらくこの翻訳をした人は「鳩山こそが」と解釈して主語をたててしまったため、symptomの訳語に困って、「徴候」となんとなく似ている「象徴」(symbol)にむりやり日本語をスライドさせて、「帳尻を合わせた」のだろう。これ、翻訳者が陥りやすい落とし穴なのだ。自分も注意したい。

「不器用なやつですから(高倉健風)は褒め言葉か?
 最後に、ちょっと細かいが、awkwardの訳について。
<略>

翻訳者は言外の意味を盛らない
 翻訳というのは、「字面を訳すだけでなく、原文を深く読みこみ、深い意図を訳出することである」という一般認識がある。間違ってはいないのだけど、ひとつだけ注意してほしいことがある。深く読み、筆者の意図や言外のニュアンスを汲みとるのは重要だが、その筆者が言っていないことまで訳文に盛り込むのは、ご法度であるとわたしは考える。
 今回も、オバマ氏の回顧録をもう少し読み、さらに当時の日米間の問題にも鑑みれば、鳩山氏と当時の日本政治にオバマ氏が不満や不信を抱いていたことはうかがえる。しかしだからといって、原文に書いていないのに、「オバマ氏は鳩山氏を酷評した」と訳したり、「鳩山氏を(感じは良いが)やっかいな相手と思っていた」とニュアンスをすり替えたりするのは、翻訳の倫理にもとることである。
 そう、実際、翻訳者は原文を密かにねじ曲げることはできてしまうのだ。だからこそ、つねに中立を心がける必要がある。オバマ氏の文章にそこはかとない皮肉が漂っているなら、それは「そこはかとない」トーンに留めるべきだ。わたしも今回、少し試みた。

<以下略>

<11月21日 追記>
日刊スポーツの20日付「政界地獄耳」がこの件を伝えていたので、以下に付記する。

翻訳超えたイメージ訳、オバマ鳩山会談/政界地獄耳 - 政界地獄耳 - 社会コラム : 日刊スポーツ

★おさまらないのは鳩山だ。18日、ツイッターで「メディアのみなさん、オバマ大統領の回顧録を原文でお読みになったのですか? ひょっとして政府から渡された解釈をそのまま信じてお載せになったのではありませんか。ご批判は有り難くお受けいたしますが、どうかまず原文をお読みになってから私をご批判ください」「痛烈な批判はなかった。メディアはなぜ今でも私を叩くのか」と記した。ここまでくるともう翻訳や意訳を超えてイメージ訳としか言いようがない。無論、どこからも訂正や謝罪はないという。(K)※敬称略



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