年が明けて一週間が過ぎてしまいました。年末から少し書いては挫折を繰り返していて、ひと頃のようにすらすらといかなくなって来ましたが、今日は頑張って最後まで書こうと思います。
毎年ノーベル文学賞の受賞者が決まると、程なく街の(大きな)本屋に受賞者の著作を並べたコーナーができたりしますが、今年は少し「出店」が遅かった印象があります。毎年のことながら、村上春樹さんならば出版社も書店も準備万端で、受賞の翌日にでもコーナーが出来上がったかもしれませんが、ハン・ガン(韓江)さんの選出は想定外だったのかも知れません。それでも1ヶ月もしないうちに、いろいろな書店に例年どおり特別棚が設けられたようで、小生も、大袈裟ですが一念発起して、大きな本屋に出かけて行って、居並ぶ彼女の歴代の著作群をざっと眺めてみました。ハン・ガンさんについては全く何も知らなかったので、立ち読みだけとはいえ、冒頭だけけっこう時間をかけて数冊目を通しました。結果、光州事件*をテーマとする『少年が来る』に目星をつけて、いろいろと下調べをし、購入することにしました。それが去年の12月の中旬です。年明け最初に読むのはこの本と決めていました。
*光州事件 1980年5月18日より10日間、大韓民国 (韓国) の全羅南道、クアンジュ (光州) 市で起こった学生・市民による暴動事件。1979年10月26日のパク・チョンヒ (朴正煕) 暗殺事件後、韓国国内では民主化要求の動きが活発化していた。しかし同年12月12日の「粛軍クーデター」で権力を握ったチョン・ドファン (全斗煥)少将を中心とする若手将軍グループは、1980年5月17日に戒厳令の全国拡大を宣布し、キム・デジュン (金大中)ら与野党の大物政治家を逮捕するなどして民主化の動きに歯止めをかけようとした。その直後光州市で起こった街頭デモが戒厳軍部隊と衝突、戒厳軍部隊の手荒な対応もあって激昂した市民の一部は武器を手に対抗、市内で銃撃戦が行なわれ、多数の死傷者が出た。27日に戒厳軍によって制圧されるまで光州は解放区の様相を呈した。事件についての論議は全斗煥政権下ではタブー視されたが、ノ・テウ (盧泰愚)政権成立 (1988) 後実施された総選挙の結果、国会が「与小野大 (少数与党) 」の状態となり、そこで事件の性格規定や被害補償などについて論議され、責任者も追及された。盧政権は光州事件を民主化運動と評価し、被害者に補償金を支払った。
(ブリタニカ国際大百科事典より)
読後の印象は、以前目取真俊さんの『眼の奥の森』を読んだときとよく似ていて、事実を抱え込めない(ある意味「拒絶」している)自らの狭量さというか、軽薄さというか、足を地に着けて踏ん張れない感覚も覚えました。
目取真さんの文章には沖縄の過去、沖縄の人々の経験が深く刻まれていました。今から30年も前の話ですが、沖縄に駐留する米国海兵隊員が少女暴行(強姦)事件を起こしました。米兵による事件や事故はそれまでも繰り返されていて、それは何度も何度も「執拗に」と言っていいほどです(今もそれは変わりません)。沖縄の多くの人たちの怒りは頂点に達し、大規模な抗議集会が開かれました。主催者発表で85,000人が参加したといいます。
むかし学校に勤めていた頃、この様子を紹介した映像を生徒と一緒に見たことがあります。そのとき、見ていた生徒の一人が「日本ではなくて、外国みたいだ」と言ったのをおぼえています。当時の生徒の「原体験」から言ったら、そう感じるのも無理はないのかも知れません。春闘ストさえ影を潜めていたのですから。しかし、こうした言葉に現れ出ているように、「本土」の人間に沖縄の人々の怒りの核心や心底を理解するのは、概して難しいのかもしれない、自分はどうなのだろうかと考えました。当時の集会の写真に「沖縄よ負けるな!! 東京から応援に来たぞ!!」という(ある意味独善的な)幟をもった人の姿が写っていて、一部で物議を醸しました。この文言(というか認識)は、沖縄の人々に顰蹙を買うとまでは言わないまでも、あまりいい気持ちはしないだろうなと思ったものです。
小生が読んだ目取真さんの文章は、不正義にさらされてるのにどうにもならない怒りが溢れ出るようでした。ハン・ガンさんの文章も同じです。でも、目取真さんの語り口よりもさらに「静か」というか、私的な出来事や感覚、たわいもない動作が全然「私的」では済まない。何か地面すれすれの低いところから上を見上げている感じがします。しかも、人間の二面性などというと陳腐ですが、暴力と安堵の同居、気高さと残虐性の合わせ鏡を、人として正視せざるを得ない。そんな気持ちにさせるのです。
たとえば、警察の取り調べの最中に何度も顔を張られ、頬が腫れ上がった女性。……自分の部屋に戻って床に就くも、まだ暗い朝方に目が覚めてしまって眠れないこの女性について、彼女はこんな風に書いています。
……洗面場に張り渡した紐に洗濯物を干して部屋に戻ったけれど、夜が明けるまではまだ時間があった。
布団を畳んで箪笥の上に載せ、机の上を片付けて引き出しを整理したけれど、夜明けはまだ遠かった。化粧台代わりにしている四つ足膳まできれいに整え、その上に掛けた姿見の前で彼女はしばらく手を休めた。鏡の内側はいつものように静かで冷たい世界だった。その世界で眺めている見慣れた自分の顔を、まだ痣で青みがかった頬を彼女は何げなく見つめた。
誰からも愛らしい顔立ちだと言われている時期があった。……だけど……もう彼女は二十四歳で、人々は彼女にきれいであることを期待した。林檎のように頬が赤いことを、きらめく生の喜びが愛くるしいえくぼにあふれることを望んだ。しかし彼女自身は早く老いることを願った。いまいましい命があまり長く続かなければいいと思った。
彼女は濡れ雑巾で部屋の隅々を拭いた。雑巾を洗って干して戻り、机の前に座ったものの、明るくなるまでには遠かった。何も読まずにじっと座っていようとしたら空腹を覚えた。母が送ってくれた早稲米を茶碗によそって再び机の前に座った。黙々とご飯を咀嚼しながら彼女は思った。後ろ暗いところがある。食べるということには、と。なじんだ恥辱の中で彼女は亡くなった人たちのことを思った。あの人たちはもう永遠に空腹ではないのだ。生きていないのだから。でも彼女は生きていて空腹だった。この五年間、彼女を執拗に苦しめてきたことがまさにそれだった。空腹のせいで、食べ物に食欲をそそられること。……
(井手俊作訳、同書、104-105頁)
ハン・ガンさんは光州で生まれ、9歳まで過ごした後、事件発生の数ヶ月前にソウルに引っ越したそうです。転居は偶然で、その後に事件が起こったわけですが、自らを<生き残った者の(側の)一人>において、この作品を書いたといいます。彼女はこの本で光州事件の暴虐さを露わにしました。もちろんフィクションでしょう。でもフィクションに「事実」がないとは言えません。彼女は膨大な事件記録を読み込み、悪夢にうなされたと書いています。
そして、光州事件の暴力によって亡くなった人、傷を負った人も人間、その暴力を行使し是認したのも人間です。もちろん同じ人間ではありません。しかし、どちらの立場にあるにしても、単純な善悪二元論だけで片づけられることではないでしょう。人間が善良だったら、こんな事件は起こりえないし、人間が暴虐で悪漢だったら、このような小説は書かれないでしょう。
1980年の光州事件の概要については、上の引用に書いてあるとおりですが、辞書的にはともかく、事件の実相、当時を生きた(亡くなった)人の思いを説明するには、当然ながらあまりに素っ気ない。しかし、読んでいると現在の韓国の政治状況とこの45年前の事件が頭の中で交差します。昨年12月、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が「非常戒厳」を宣布したことに抗議して、大勢の人々が国会議事堂の前に集結し、その結果、国会の解除要求決議もあって、翌日朝に大統領自ら解除を表明するという顛末となりました。韓国の人々にとって「戒厳令」がどんな記憶を呼びさますのか。くわえて、韓国民主化の起点であり、それゆえに戒厳と弾圧の象徴でもある光州事件に対する人々の視線は、45年後の今でも変わることなく厳しいのではないかと感じました(なお、雑誌『地平』の最新号の記事**によると、今回ユン大統領の弾劾デモに参加している人々の多数は若者で、光州事件を知る老世代よりも、圧倒的に20代の特に女性が多いということです。事件の記憶の語り継がりがあるとしても、光州事件とのつながりを持ち出すのは的外れかも知れません。念のため)。
**李起豪「戒厳令と韓国市民社会」(『地平』2025年2月号)にはこう書かれています。「……今回の弾劾デモには以前と違って目立った変化があった。他ならぬ二〇代女性たちの積極的な参加と彼らのデモ文化だ。朴槿恵弾劾集会(2016年)の時は四〇代五〇代が主だったが、今回のデモには二〇代の女性たちが……もっとも多く参加している。……」(38-39頁)
蛇足ながら、この日本でも、調べてみると、今はともかく、過去には戒厳が敷かれたことがあったようです。現日本国憲法には戒厳の規定がないので、日本で戒厳が敷かれたのは、旧憲法下の日清・日露戦争の時まで遡らなければなりません。あとは日比谷焼き討ち事件や関東大震災、2.26事件の際、戒厳に準じた対処がとられたくらいだそうです。
したがって、たとえば現在の日本政府にとっては、コロナ下で人々の行動を一律に規制したいと考えても、協力を呼び掛けるという形の「自粛」要請が精一杯で、だから対策が徹底できなかったんだ等々と、これには不満を覚える向きもあるようです(因果関係がこじつけのように思えますが)。彼らの念願どおりに、「戒厳令」を復活させるべきなのか。「非常事態令」でも「緊急事態令」でも、名前が違うだけで同じことです。この国で2.26事件時の「準戒厳」状態を肌身で知っている人はわずかしかいないでしょうし、関東大震災、日比谷焼き討ち事件は言わずもがなです。自国民の経験談から検証することが叶わなければ、他国の例に学ぶしかありません。この本を読む限り、日本は韓国とは違うのだとは、とても思えないのです。
[ハン・ガン 井手俊作訳『少年が来る』(新しい韓国の文学15) クオン 2016年]
