ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

オフレコ懇談会の効能

 昨日(10月10日)に予定されていたという3日に続く2度めのオフレコ懇談会はどうしたのだろうか。首相動静からは開いた事実や形跡がない。2回目をやるほど記者側から要望がなかったのだろうか。あるいは、年配の男たちが原宿をゾロゾロ歩く光景が異様だと評判が悪かったからだろうか。

 それにしても、3日のオフ懇と以後のメディアの報道ぶりを並べると、その効果のほどが見えてくる。

 山田厚史さんがこれについて 、「ニュース屋台村」10月9日付の記事「パンケーキより甘い 菅首相の『オフレコ懇談会』」(山田厚史の地球は丸くない』第173回)で次のように述べている。

パンケーキより甘い 菅首相の「オフレコ懇談会」by 山田厚史 | ニュース屋台村

<前略>
◆記者を取り込む仕掛け
権力取材には様々な形がある。代表的なのが首相記者会見。首相が記者の前に立ち、自分の考えを述べ、質問に答える。主催は記者クラブだが、内閣広報室の役人が司会に立ち、質問者を選ぶ。事前に「質問取り」が行われ、首相は「想定問答」に沿って紙を読みながら答えることが多い。会見はテレビ放映され、全容は首相官邸のホームページに載る。官房長官は、平日の午前と午後の2回、記者会見で政府の考えを述べる。公式発言はこの二つ。
非公式の取材に「懇談」がある。カメラなし。メモは取っていいが、発言者は誰か、は公表しない。官房長官や副長官が行うが、「政府筋によると」とか「政府首脳は」などネタ元が特定できない形で記事にすることはOK。政権側は、発言の責任を問われることなくメディアを通じて考えを拡散できる。ほぼ毎日行われている。
「オフレコ懇談」は、「聞いたことを書かない」という約束で取材すること。記者の理解を助けるため、というと聞こえがいいが、権力者にとって都合のいい話を「ここだけの話」として吹聴する仲間内の取材である。「完全オフレコ」は、メモをとることも禁止。何を話したかも口外してならない「きつい縛り」がある。記者にとっては権力者が本音や舞台裏を語ってくれる貴重な取材機会とされるが、発信者は「情報」で釣って「秘密」で縛り、記者を取り込む仕掛けでもある。

◆言いたいことは「メディアに語らせる」
話は横道に外れたが、政権の始動と同時にジャパンライフ日本学術会議の問題などのっぴきならない事態にさらされた菅首相にとって、メディア対策が重要になっている。
共同通信の論説副委員長だった柿崎明二氏の一本釣りもその一環だろう。『検証 安倍イズム-胎動する新国家主義』という新書を岩波書店から出した記者である。政権を批判的に見るメディアの手の内を知り、その方面に人脈を持つジャーナリストを首相補佐官に取り込んだ。
菅首相は、自分の言葉で語るという表舞台での発信は得意ではなさそうだ。「裏で相手を取り込むのが上手な政治家」と言われてきた。官房長官として「政権の耳」とされる内閣情報調査室の情報を握り、領収書のいらない官房機密費を使い、内閣人事局で官僚を支配した。情報とカネと権限を縦横無尽に使った7年8カ月の蓄積で、メディア関係者との接点を増やした。
会見は「官僚作文の棒読み」で説得力に欠ける。その代わり、メディアを使って世論を誘導することに力を入れている。

日本学術会議への人事介入を例に取って見てみよう。政府に批判的な発言をした「6人の学者」を選任しなかったのは、明らかに権力の濫用(らんよう)だ。これまでの政府の法解釈から逸脱している。それを、「法に基づき適切に対応した」「総合的・俯瞰(ふかん)的に判断した」と繰り返すだけで、理由や根拠を示さない。説得力はまるでなく、説明責任を果たそうとする姿勢さえ見られない。
そんな首相に代わって雄弁に語るのは、テレビのコメンテーターや新聞論説だ。
産経新聞は社説で「襟をただすべきは日本学術会議の方である」と主張する。軍事研究に慎重な姿勢を示す学術会議を「防衛省創設の研究助成制度も批判し、技術的優位を確保する日本の取り組みを阻害しかねない」と批判、「学術会議は活動内容などを抜本的に改革すべきである」と主張している。
学術会議に問題があるのだから、政府を批判する学者を外すのは当然と言わんばかりだ。これが菅首相の言いたいことではないだろうか。
フジテレビ系列のワイドショーでは、フジテレビの平井文夫上席解説委員が、学術会議を「(会員は)6年ここで働いたら、日本学士院というところにいって年間250万円の年金がもらえるんですよ。死ぬまで。皆さんの税金から。そういうルールになっている」と語った。全くの事実無根で、後に発言を訂正することになるが、学術会議のメンバーは特権に胡座(あぐら)をかいているかのような印象を与える発言である。
こうした「論点すり替え」は、テレビのワイドショーを中心に広がっている。「学者の代表=特権階級=既得権益」で、それに切り込む首相は「改革者」という取り上げ方だ。

菅首相は、こうした応援団づくりを官房長官だった7年8カ月の間に着々と進めてきた。権力情報を握る官房長官に誘われれば、「ここだけの話」が聞けるだろう、と記者は悪い気はしない。
番記者を相手にした「パンケーキ付きオフレコ懇談」は、この手法を「みんなまとめて面倒みる」催しだ。一本釣りでなく、トロール網で捕獲する。
どんなことが話されたか知らないが、その後の産経新聞の社説やフジテレビの解説委員の主張に首相の意図は表れているように思う。自分は語らず、口を開けば無内容。尻尾をつかまれなければそれでいい。言いたいことは「メディアに語らせる」。代弁者はあちこちにいる。記者にとって「ここだけの話」は、パンケーキより甘い。

 こんな懇談会に参加して結局政権のお先棒を担ぎをして……とついつい批判的な言葉ばかりが浮かんでくるが、これに不参加を決めた京都新聞の記者の“心中”を知った。当事者の思いにも相応に目を向けるべきだと思う。
 以下、京都新聞、10月9日付記事より。

物議醸す首相懇談会、欠席した理由 悩んだ記者の思いと葛藤 |政治|地域のニュース|京都新聞

新型コロナウイルス対策や日本学術会議の会員任命拒否問題を巡る説明が求められる状況にもかかわらず、首相は就任時を除き、広く開かれた形での記者会見を実施していない。国会も開こうとせず、国民に対して所信表明すらない。
 ゆえに、見聞したことを記事にしない「完全オフレコ」が条件の飲食付き懇談会には参加できない-。
 ジャーナリズムとして当然の姿勢だ、と思われるかもしれない。だが記者個人としては正直、葛藤もある。
 記者は取材先に食い込んでネタを取るものと教わってきた。まして本音と建前が交錯する永田町。対象に肉薄しなければとの「本能」がうずく。一国の首相が裃(かみしも)を脱いだ時に何を語りどんな表情をするのか。見てみたい好奇心もある。
 一方で、メディアに対する社会の視線は大きく変化している。権力との癒着を疑われる行為に自覚的になり、取材プロセスを可視化しないと、メディア不信はさらに深まると思う。
 物議を醸す首相懇談会。「行くのはどうかと思うんですけど会社の命令で…」と他社の若い記者から言われたが、きれい事でなく必死に権力に食らいつく姿勢も、読者の付託に対する一つの答えかもしれない。
 みんな、悩んでいる。

 上の記者の気持ち、よくわかる。わかるけれども、それでも、みんなでこういうのに参加すればどうなるかは明白だ。このケースは、3社だけでなく、全社でボイコットするべきなのだろう。それを国民全体でフォローできるかどうかが問題。しかし、メディアにかぎらず、飴と鞭による分断は権力のお家芸、特にスガはこの傾向が強い。だから、なんちゃって「大本営発表」のごとき、3社インタビュー会見が常態化されつつある。今は2020年だ。みんなで“1940年ごっこ”をしていたら、どうなるかということだ。

以下、日刊ゲンダイ、10月10日付記事より。

【菅義偉】菅首相の"えせ会見"に仏特派員も激怒「あり得ない閉鎖性」|日刊ゲンダイDIGITAL


インタビューはわずか30分で終了。仏紙「リベラシオン」と「ラジオ・フランス」の特派員・カリン西村氏は傍聴を終え、うんざり顔である。話を聞いた。
「質問者をわずか3社の記者だけに限定し、他は傍聴部屋で映像すら見せない。国のトップがこのような閉鎖的な“会見”をするのは、あり得ない。私は20年以上、記者をしていますが、見たことも聞いたこともありません。政府側から、オープンな会見ではなく、こういう対応になっている理由の説明もない。しかも、今日の3人の記者はそのことを質問しませんでした。代表して質問しているのですから、まず1問目で、これから始まる異常な“会見”についてただすべきでしょう」
 外国メディアに異様な光景に映るのは当然の非常識対応。菅首相は日本の恥とならないよう、フツーの会見と国会論戦に臨むべきだ。

 

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