ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

『最初のテロリスト カラコーゾフ』

 当初は個人的な読書記録をつけて励みにするつもりだったブログが、最初から「逸脱」を重ねてこうなっている現状には苦笑するしかない。今さら「本来の姿」ということもないが、昨日読了した本はなかなかよかったので、関連事項をメモ書きしてみる。

クラウデイア・ヴァーホーヴェン著/宮内悠介 訳
『最初のテロリスト カラコーゾフ ドストエフスキーに霊感を与えた男』(筑摩書房 2020年3月)
原題 “THE ODD MAN KARAKOZOV:Imperial Russia, Modernity, and the Birth of Terrorism(奇人カラコーゾフ 帝政ロシア、近代、テロリズムの誕生)”, 2009.

1)著者:クラウディア・ヴァーホーヴェンさん
 1972年生まれ。アメリカ・コーネル大学歴史学准教授。近代ロシア史、近代ヨーロッパ史専攻。
2)訳者:宮内悠介さん
 1979年生まれ。小説家・SF作家。代表作:『盤上の夜』『カブールの園』など。
3)カラコーゾフ事件
 1866年4月4日午後4時、ロシア・ペテルブルグの「夏の庭園」で散歩を終えて馬車に乗ろうとした皇帝アレクサンドル2世にむかって銃弾が放たれた。居合わせた農民が妨害したため弾はそれたが、犯人のドミトリー・カラコーゾフ(26歳)は逮捕され、同年8月31日死刑判決、9月3日絞首刑。共謀者とされた者34名(しかし、関係は不明)。ロシアにおけるテロルの始まりとされる事件。
4)カラコーゾフの経歴
 サラトフ県(モスクワの南東 ヴォルガ河沿いに位置する)の小地主貴族の息子。1861年秋、カザン大学法学部に入学。直後の大学紛争にかかわり停学処分を受ける。1863年秋に復学が認められたが、翌64年秋にモスクワ大学へ転学、聴講生となる。翌65年夏、授業料未納によりモスクワ大学退学。「ニヒリスト」の組織に顔を出すなどしていたが、事件直前には精神を病んでいたといわれる。1866年3月ペテルブルグに上京、4月4日に事件に及ぶ。事件は組織的というよりカラコーゾフ個人の決意によるものと考えられるが、不明な点は多く、今日もなお解明されていない。<下里俊行「カラコーゾフ事件とロシアの社会運動(1866年)」、『一橋論叢』、1995年 を参考にした>

 訳者の宮内さん本人からの情報提供もあるので、引用させていただく(宮内さんのtwitter 1/24, 3/6, 3/10より):
宮内悠介 (@chocolatechnica) | Twitter
・実はこれ、依頼されての翻訳ではなく、「これすっげえ面白い!」「この本をみんなに読んでほしい!」と私から筑摩書房さんに持ちこんだ企画であったりするのでした。
・ちょっと内容のご紹介を。と、その前に「カラコーゾフって誰よ」という話から。ドミートリー・カラコーゾフはロシア皇帝最初の暗殺未遂犯。1866年にアレクサンドル二世の暗殺を試み、同年処刑されたのでした。でもって、ロシア社会めっちゃ動揺。まず著者の指摘から。通説におけるテロリズムの草分けは「人民の意志」による1880年前後のテロ活動。ところが、この新しいはずの政治現象は、衝撃こそ与えたものの、けっして驚きではなく、ただちに理解可能であったのだと。なぜか。まるで、テロリズムという概念がすでにあったかのようではないかと。そして、それはあった。それが、1866年のカラコーゾフによる皇帝暗殺未遂なのだと。これこそは、真に空前の出来事で、社会を真に震撼させ、世間はこの事件の取り扱いに窮し、ここからテロリズムという亡霊が飛び立ったのだ……と、だいたいこんな感じ。たぶん、西側の学者が網羅的にカラコーゾフを扱った最初の本。さらに、著者はカラコーゾフを「最初のテロリスト」と位置づけ、それには「近代」の諸要素が欠かせなかった──というのが本題(ちゃんとカラコーゾフの実像にも迫る)。このへんは歴史学者の著者がしっかり検証しながら説明してくれるので、こちらからは、この本のおもしろポイントをいくつか。
 〇カラコーゾフのここが面白い1:実は未解決事件!──事件は単独犯だったのか? 組織的な陰謀があったのか? 混乱する法廷と、相互に矛盾する関係者たちの証言。いまなお、カラコーゾフ事件を解き明かした学者はいない! それでも著者は残された文書から歴史ミステリさながらに事件を追いかけていく。
 〇カラコーゾフのここが面白い2:ロシア社会震撼!──1860年代といえば、ロシアが進歩的な歩みを踏み出していた時期。そこにきてカラコーゾフが事件を起こしたものだから、進歩主義はどこへ行ったやら、社会全体に保守反動の嵐が吹き荒れる。
 〇カラコーゾフのここが面白い3ドストエフスキーも震撼!──事件の報を受けたドストエフスキーは動揺。以降、創作メモにも幾度もカラコーゾフの名が。なお、この本の鍵となる第四章では、カラコーゾフと『罪と罰』の「神秘的なまでの一致」が語られる。ここだけ読んでもいいくらい。
 〇カラコーゾフのここが面白い4:出てくるやつらがみんな濃い!──事件担当の「吊るし屋」ことムラヴィヨーフの執念、保守反動家として連日過激な意見を述べる「ロシア報知」のカトコーフ。皇帝を暗殺から救ったとされ、英雄となったコミサーロフのその後の乱痴気騒ぎ。そしてカラコーゾフ。みんな変。
 〇カラコーゾフのここが面白い5:著者の調査と情熱が常軌を逸してる!──歴史学者なんだから当然といえばそうなのだけど、裁判記録やら公文書やら当時の新聞やらのディグり具合が半端じゃない! そして序文から結文に至るまで、なんだか圧がすごい!この男はニヒリストであったのか、それとも信仰を持っていたのか。最終章ではそこまで踏みこんだ考察がなされていたりします。

 宮内さんも述べているが、このカラコーゾフ事件はドストエフスキーが当時連載していた小説『罪と罰』を寸断させ、その叙述の中に入り込んだという(第四章)。この謎解きも興味深いが、各章とも事件にかかわる諸側面—たとえば、カラコーゾフが着ていた外套(農民のどてらのようなオーバーコート)、彼の狙撃を妨害した功績で貴族の爵位を与えられた農民など、意外な断片から核心に迫っていて、まるで推理小説を読んでいるような楽しさがある。★★★★くらいの評価!


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