ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

使い勝手のよい国民

 昨日サッカーの日本代表がドイツに勝ったあとの「反応」「反響」などには、「国民性」というか、内面化される「日本人」性なるものについて、考えさせられました。

 ひとつめは直後の試合会場での出来事。試合が終わったスタジアムでは、日本人サポーターが現地のボランティアらと一緒に(恒例の?)会場のゴミ拾いをしたとのことですが、「日本人は試合会場にゴミを残さない」どころか「終わってからゴミ拾いをする人々」だと、世界の人に知れ渡っているようで、昨日はボランティア・スタッフの代表がメガホンでお礼を言っている動画を見ました。会場を管理運営する立場からすれば、わざわざ残って手伝ってくれてありがとうという気持ちになるのはよくわかりますし、直接感謝された日本人サポーターだってもちろん悪い気はしないと思います。これを「日本人の誇り」とRTする人もたくさんいました。
 世界から賞賛されているというこの素晴らしき「公徳心」は、あえて言うならば、たとえばドイツ選手が試合前に全員に口を手で覆う姿で写真におさまり、それを是とする人々の「公徳心」とはちがう気がします。もちろん道徳と人権意識はちがいますから、立ち位置がちがえば、見えている光景がちがってくるのは当然です。
 試合会場でゴミがたくさん出れば、何でゴミを残したまま帰ってしまうんだという観客のモラルの問題が当然意識されます。しかし、人によっては、それにとどまらず他の大量生産・大量消費・大量廃棄の問題を類推したり、中には海洋廃棄や宇宙ゴミまで連想する人がいるかも知れません。でも、おそらく多くの人は、そういうのは「野暮」ったいから、そこまで話がふくらむ前に思考を止めるでしょう。それは日本人に限りませんし、ドイツの人だってそんなには変わらないでしょう。個人の力で何とかなるレベルではないし……。そんなことより目の前のゴミを拾って、綺麗にする。個人で出来ることをやる方がよっぽどいいからです。
 ただし、ボランティア精神あふれる立派な人たちの姿を見て「日本人」はみんなそういうものだと思われると、そうでない部分を目にしたときのギャップは大きいでしょう。そんなことは多かれ少なかれどこの国民にも当てはまると思いますが、他国もこんなに「人目」や「自画像」制作にはたして熱心かどうか。
Kazuki Okamoto | オカモト・カズキ on Twitter: "ドイツ戦直後、日本人サポーターによるスタジアムのゴミ拾い活動についてボランティアスタッフから直接御礼を言いたいとのことで急遽集められました。 本当に凄い光景です🇯🇵🇶🇦 https://t.co/Eck5qszo5V" / Twitter
日本戦でドイツ代表が行なった“口を隠すポーズ”の意味は? DFBがFIFAの決定に強い抗議の意思を示す【W杯】 | サッカーダイジェストWeb

 もうひとつは駐日ジョージア大使のTweet。試合後におもしろいつぶやきをしていましたが、その反響が興味深い。

 アルゼンチンに勝った翌日サウジアラビアは祝日を発表しました。これを受けて「日本がドイツに勝ったけど、明日どうなるかな」と昨日妻に聞いたら「日本はきっと二倍働く」と名答を返されました。
https://twitter.com/TeimurazLezhava/status/1595607069691822080

 これが「名答」なのは、日本の勝利にテンションが上がって自分もよく働いたというRTがいくつも上がっていることで「証明」されている気がします。大使は母国ジョージアのチームが強豪ドイツに勝ったら……ということには触れていませんが、まあ想像はできます。毎月何かにつけては酒を飲む「日本全国酒飲み音頭」というのがありますが、お祝いにかこつけて酒を飲むのが、日本ではなく世界の「平均」だとするなら、自国チームが強豪チームに勝って大番狂わせを演じると、単に気分がいいだけでなく、モチベーションがあがって仕事(賃金労働)を一生懸命やるというのは、嫌々働くよりはいいにしても、世界の人々にとってはやはり驚きではないかと思います。

 試合後の会場の片付けをボランティアで手伝ったり、自国の勝利の祝意で労働意欲上がったり、程度問題はありますが、個々には何てことのない話の断片です。しかし、今朝もテレビで(テレ朝のモーニングショーでしたか)、こうした話題を取り上げながら、世界中から賞賛を浴びる日本、などと強調していました。そろそろ外国人から「すごい」と言われたいとか、自尊心をくすぐられて気持ちがいい式の報道から脱却できないものかと思いますし、これは「外国人の賞賛」を御旗(媒介)にした内面操作ではないかという気がします。というのも、この賛美されている日本人の「公徳心」「ボランティア意識」が、こと政治に向けられると、途端に国内メディアの報道がしぼんでしまい、国民に思考停止や同調を迫るケースが多いからです。これには、やはり歯がゆさをおぼえます。自主的にゴミを拾って賞賛されるなら、たとえゴミを拾わなくても、社会の不正義に自主的に声を上げ、自主的に投票に行って住みやすい国、住みやすい世の中にしようとする意思のある国民であれば、同じように外国から賞賛されるでしょう。政府に都合の悪い自主性は「自主的」に回避(自粛・忖度)しているとしたら、そんな「使い勝手のよい国民」ではいけないと思います。





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