ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

千葉県知事選の政見放送を見て

 千葉県知事選挙の政見放送が何やら不穏で「おぞましい」ことになっている。こういう場を利用して「パフォーマンス」をする候補者は過去にも目にしたが(都知事選の政見放送でスーパーマンのいでたちで現れ、「スマイル」を連呼していたマック赤坂とか……)、そういうのは世界も注目する東京都知事選のことと、どこかよその話だと思っていた。今回の場合は「パフォーマンス」とも言いえない戯言妄言で、ちょっと驚きである。今後他県でも同様の現象が起こるとなると、供託金* の額をもっと吊り上げろとか、知事選の政見放送** は不要だとかいう声が出てきそうだ。だが、個人的には、そういう「技術的」な問題よりも、こうした現象の背後にあるものの方が気にかかる。これはアメリカの「トランプ現象」に共通するものなのか。

 * 知事選の供託金は300万円で、有効投票総数 × 1/10 に達しないと没収される。
 ** 衆参両院の議員選挙と都道府県知事選挙の候補者は、公費負担により1人5分30秒の政見放送をテレ
  ビとラジオで行なうことになっている。 ラジオによる経歴放送は1948年、テレビの政見放送は1969
  年から始められた。

 マック氏の名前を出したが、彼は、2019年、選挙14回目にして初めて当選を果たし、今は東京・港区の区議会議員だ。そもそも政見放送での「パフォーマンス」の “元祖” は彼ではないだろう(調べてはいないが……)。マック氏自身、都知事選に立候補するにあたって、1991年の都知事選に立候補したロックンローラーの故・内田裕也政見放送*** を30回以上見て研究したという。

 *** 内田は政見放送の冒頭10秒間の沈黙の後アカペラで「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を歌い、英語
   とフランス語の演説を挟んだ後、「コミック雑誌なんかいらない!」を(「……俺の周りはスクリー
   ンばかリ」と)歌って締めた。
   (内田裕也政見放送「完全版」 - YouTube
   ちなみに、内田は選挙戦最終日の4月6日の街頭演説で対立候補である「鈴木俊一」と書かれたタスキ
   をつけて演奏に終始し、「明日は投票日、絶対に入れないでください」と最後に述べたという。
  以上、Wikipediaより

 内田の「(鈴木には or 自分には)投票するな?」というのは揶揄としてはおもしろいが、自身も本心で当選したいと思っていたわけではない。けれども、現状に異を唱えもせず流されるというのは、彼には承服できなかったのだろう。そもそもアントニオ猪木都知事選に一旦出馬表明した後、撤回したから彼は立候補したのだ。そこに共感を覚える層は確かにいる。だが、決して多数派にはならない……ということだろう。
 マック氏も、型通りの政見放送や選挙運動を茶化して遊んでいる面がある。だが、彼の方は当選しなくていいとは思っていなかった。当選を果たした2019年の選挙を、彼は最後にするつもりだったという。それは、年齢的なものもあっただろうが、ひとつ前の2017年の都議選で、それまでにない「手ごたえ」を感じて、スタンスを変えたからではないかと思う。以下、2017年7月6日付朝日新聞の記事からの引用。

マック赤坂さん、地道に訴えた 都議選「一番の手応え」 - 2017都議選:朝日新聞デジタル

 6月27日夜、世田谷区の下北沢駅前。マック赤坂さん(68)は路上で車座になった約20人の聴衆と質疑を交わしていた。「68歳ですが、当選したら4年間務められますか」と聞かれ、「まったく問題ない」と答えたあと、独自のパフォーマンスで笑いを誘った。「10度、20度、90度!」
 伊藤忠商事勤務を経て、希少金属の輸入業で財をなしたマックさん。「スマイル(笑顔)で心をポジティブ(前向き)に」と説く財団を設立し、各地の知事選や参院選などに10回以上立候補。政見放送での奇抜な衣装やパフォーマンスがネットで話題になった。昨夏の都知事選では5万票余りを得た。
 政見放送のない今回の都議選は「都議会の透明化」などの都政の公約を、有権者に直接訴えようと試みた。選挙の定石とも言えるミニ集会も初めての経験だった。9021票を得て、定数8の世田谷区で18人中13位と届かなかったが、「ネットの人気だけじゃ永遠に当選できない。遅すぎたけど、今回がいちばん手応えあったよ」。


 マック氏が感じたという「手ごたえ」は、あらかじめ囲われた「好意的」な人々との接触からだけでは得られない。囲われた人々同士の付き合いは安心安全で居心地がよいが、その「外」に出ないかぎり、支持者・支援者のすそ野は広がらない。彼の「手ごたえ」は、政見放送のない都議会や区議会の議員選挙で、メディア・パフォーマンスができない現実があったからこそ、生身の対面を通じて得られたものではなかったのかと想像する。
 これは、ネット世界に安住していると得られない感覚だ。ネットは「不快な外部」をブロックしてお籠り生活を続けられる。まるで透明な洞窟にでも入っているようなものだ。外の風景は見えるが、やりとりはない。風は吹いてこないし、匂いもわからない。音のしない世界を見ている感じ。しかし、視覚だけだから、ますます現実世界から乖離していく。あるいは、自分に都合の良い現実解釈しかできなくなっていく。現実逃避したいのならそれでよいかもしれないが、政治を担う人はそういうわけにはいかない。

 1回限りの人生だから、知事選に立候補するのもありかも知れない。300万円の供託金はパフォーマンスの対価としては高額だが……。そんなふうに考えて今回の県知事選の政見放送に臨んだのかどうかはわからない。しかし、どうか、自分、自分……と自分のことばかりにならないでほしいと願う。それこそが、今のこの国を危うくしている「自助」思考の裏面で、ひっくり返せば、同じことなのだから。そして、子どもたちも目にすることを忘れないでほしい。


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