「センター試験」に替わる「共通テスト」が今月16・17日に行われる。当初今回から新たに導入されるはずだった英語民間試験や記述式問題は見送られることになった。おまけに現下の「緊急事態宣言」である。受験生には気の毒としかいいようがないが、最良の結果が出ることを願う。
1月10日付文春オンラインに教育ジャーナリストのおおた としまさ氏の記事がある。いわゆる「超進学校」で知られる高校の生徒の様子が紹介されていて興味深かった。
緊急事態宣言、ついにはじまる第1回「大学入学共通テスト」…それでも超進学校が振り回されなかった理由 | 文春オンライン
〇奈良県の東大寺学園(国語の授業)
生徒たちが常に不規則発言を行いそれを片っ端から教員が拾うので50分間で教科書の1行分しか進まない。結果的にそのやりとり自体が教科書の1行の意味を深く理解するためのアクティブ・ラーニングになっている。
〇兵庫県の灘(生徒 数学研究部・部長 談)
「僕たちがやっている数学は、数学の世界を広げること。そもそも高校までの教科書の範囲は数学のごく狭い部分にすぎない。数学オリンピックだって数学という広大な世界のなかにある狭い村のようなもの」と語る。
〇愛知県の東海(生徒 演劇部・部長 談)
「もともとは医学部進学のためにこの学校を選んだが、演劇部の活動を通していろいろな世界があることを知り、迷いが生じた」。
それに対して教頭は、「思惑通り。どんどん迷ってほしい」とほくそ笑む。
〇東京都の筑波大附属駒場(生徒 文化祭実行委員長 談)
「基本的に筑駒の文実(文化祭実行委員会)は主役になってはいけない。あくまでも縁の下の力持ち。高圧的なひとはダメだし、ルールで縛るのもダメ。どうすれば気持ちよくひとが動いてくれるかを考えられなければいけない」。
〇鹿児島県のラ・サール(生徒 英語ディベート部・前部長 談)
相手を打ち負かすことが目的ではなく、論理的な英語を身につけることに意味があると言い、「僕は将来、国連や国際的なNGOに勤めて世界中のひとたちが同じ立場で議論ができるような教育を広める活動をしたい」と語る。
〇京都府の洛南
大学入試直前期に生徒の一部が自主的に教員と交渉し、入試対策講座の時間割を組む。その様子に副校長は「彼らは自分の受験勉強よりもみんなのために働くことを優先している。そのために仮に第一志望の大学に合格できなくても、人間としてはすでに立派。どこの大学に行くかなんて関係なく、社会で十分通用するでしょう」と。
こうした高校ではペーパーテストでは測定できない「非認知能力」、つまり、コミュニケーション能力や忍耐力、主体性、……などを身につけるような教育にも相応に重きがおかれている。おおた氏は、「このような学校に入るといいよ」と言いたいのではなく、「お上の言うことなんていちいち気にせずに、どんな学校でも、こういう教育を優先してみてはどうか」と言いたいのだと。進学実績が高い学校だからこういうゆとりのあることができる、などと言っていたら、結局一部の「超進学校」(エリート校)の生徒しか “こうした教育“ は受けられないことになる。全国の高校で一部を除く大半の若者が、本来開花させてよいはずの機会を逸するという意味で、それは社会に甚大な損失をもたらす。いくら学校教育の中身を「改革」しても、そこから出てきた若者を評価する“モノサシ”が旧態依然であれば、結局学校は変われない。本気で教育改革をしようとするならば、変わらなければいけないのは学校ではなく、まず、社会のほうである、と言うのだ。
賛同する。さらに言えば、「超進学校」に限らず “こうした教育“ を受けて高校を卒業し、大学で学び、颯爽と社会に入っていったはずの若者が、次々とその意欲をそがれ、枯らされてしまうのは何としたことか。これをしたり顔で「世間の壁」とか「関門」とか言って済ませてきた、その結果が、コロナ禍で白日の下にさらされた今のこの国の危機なのではないかと考えるのは、あながち大げさでもない気がする。
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