1890年(明治23年)11月29日に第1回帝国議会の開院式が行われてから130年。昨日、議会開設130年の記念式典が開かれ、総理大臣他より祝辞が述べられた。
スガ:
「明治23年、自由民権運動の高まりを背景に帝国議会が開設されて以来、わが国の議会制度は、多くの先人たちにより憲政の確立と民意の反映のための尊い努力が積み重ねられ、発展を遂げてきました。戦後、日本国憲法の下、国民を直接代表する国会は国権の最高機関、国の唯一の立法機関として、わが国の繁栄と国民生活の向上に大きく貢献をされ、平和で豊かな日本を築き上げるうえで中心的な役割を果たしてこられました。本日の盛儀にあたり、議会政治の発展のためにご尽力されました先輩各位に対し、深甚なる敬意と感謝の意を表します。人口減少や少子高齢化に加え、新型コロナウィルスの感染拡大等、さまざまな試練に直面している我々は、これらを乗り越え、新しい時代の日本をつくり上げていかなければなりません。また、各国との信頼、協力関係をさらに発展させ、世界の平和と繁栄のために貢献をしていくことが求められています。国内外の情勢が目まぐるしく変化している今、国会が果たすべき役割はますます大きくなっております。議会開設130年の節目に当たり、国会が全国民を代表する機関として、国民の負託に応えていかれることを切に念願して祝辞といたします。」
参議院インターネット審議中継
式典における形ばかりの文言(発言)にいちいちケチをつけても……とは思うが、やはりこれにはシラーっとした気分になる。
よくもここまで国会を「荒れ野」にしておいて、と。
立命館大の桜井啓太准教授が「お答えを差し控える」という国会での発言数を年ごとに調べ、グラフにしている。あちこちに出回っているので目にすることが多くなったが、確かにアベ政権下の2017年から19年の3年間は毎年500件を超えていて、これはもう異常事態である。しかし、「異常」も繰り返していると「正常」になるから恐ろしい。スガ政権になってからはもう「恒常」化している。
「お答え控える」答弁、異常な多さに 菅首相は初日から:朝日新聞デジタル
菅政権、国会軽視も継承 「桜」夕食会補填疑惑、事実と異なる安倍氏の答弁33回判明 首相は再調査を拒否(北海道新聞) - Yahoo!ニュース
昨日、TBS「サンデーモーニング」を見ていたらコメンテイターの松原耕二氏が
「お答えを差し控えるというフレーズが、第2次安倍内閣以降急増している。300回、多い時は600回。人事に関することだからお答えを差し控える、仮定の話だから、個別の案件だから、捜査中だから、裁判になると公判中だからと、答えない理由だけがどんどん説明されていっている」
と述べていた。(引用は「但馬問屋」さんの)Twitter)より)
https://twitter.com/wanpakuten/status/1332847271344439297
法学者の水島朝穂さんも11月30日付の自身のホームページで次のようにコメントしている。
……菅義偉首相は、安倍前首相を「継承」して、就任早々からすでに「お答えを差し控える」モード全開である。イメージ低下を覚悟の上で、そのような対応をとるのも、日本学術会議会員任命拒否事件の発覚が原因だろう。かなり無理も出ているし、答弁も辻褄が合わず破綻を来している。とうとう、10月26日のNHKの報道番組に出席した菅首相は、「説明できることとできないことがある。」と述べ、国会の委員会でも同様の答弁を行っている。これは仰天である。フーテンの寅にならっていえば、「それを言っちゃあ、おしめいよ」の世界である。
………そもそも、国会審議の場において、議員から質問された際に、「お答えを差し控える」ということが許されるだろうか。これまでも「お答えを差し控える」と答弁したケースはあったわけだが、多くの場合、質問する議員の側もある程度、そのような答弁が返ってくることを想定している節があるようなケースもあった。理由にならない理由といわれるのを覚悟の上で、答弁できない理由を語る。議員は納得しない表情を浮かべながら、何度かやりとりが続き、次の質問に移る。国会審議に関心をもつようになって50年以上になるが、馴れ合いともみえる風景も含めて、議会での質疑の「作法」があったように思う。机をたたいて怒ってみせて、審議拒否をするなども一つ手法である。時間をおいて、答弁をやり直して審議再開とあいなる。しかし、安倍・菅政権の国会風景はこれとは異なる。最初から野党議員の質問を馬鹿にしたように突き放し、理由をいわず答弁もしない。安倍・菅政権のこの8年近く、国会審議の場が荒れていった。この国会の荒野は、13年前の安倍第1次政権のときに始まっていたように思う(直言「国会「議事」堂はどこへ行ったのか」)。その後の政権でも国会の機能が落ちてきたことは確認できる(直言「「国会表決堂」の風景」)。
<中略>
全国民の代表(憲法43条)である国会議員と国権の最高機関(41条)の国会に対して、安倍・菅政権の姿勢は従来の政権とは異なり、「質問には答えない」という形で、婉曲に「黙れ!」といっているに等しい。日本議会史における汚点と言ってもいいだろう。安倍晋三と菅義偉は、議員を小馬鹿にし、自分の意向に反するものにはやめてもらうという強引な思考の持ち主という点では、軍人佐藤賢了*とさほど違いはないのではないか。
* 1938年3月3日、帝国議会衆議院の国家総動員法委員会で佐藤賢了中佐が議員からの野次に「黙れ!」と叫び、紛糾した。
「許せない」と思えば憤懣は溜まるし、「こんなもんだ」と思えば、公的なことからますます心が離れ、食事、旅行、趣味など私的空間に関心がとられるようになる。しかし、「こんなもんだ」という諦めが、ありえない大ウソに見て見ぬふりをし、国会を「荒れ野」にしてきたのだろう。荒れ野を緑に変えるのは容易ではないが、諦めたら自分も荒れ野の一部と化す。そんな自分と付き合って生きるのは辛いことだ。
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