ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

17日の中曽根元首相の葬儀

 10月17日土曜に故中曽根康弘氏の内閣・自民党の「合同葬」がある。中曽根氏が亡くなったのは去年の11月末。コロナの感染がなければ3月15日に終わっていたはずのものだ。今、文科相総務省から当日弔意を示すよう要請する通達があったと報道されている。一国の総理大臣を務めた故人だ。個人的な思いはさておき、それなりの弔意を示すのにやぶさかではない。しかし、こういうとき、この国では高い確率で「弔意(あるいは逆に祝意)の強制は内心の自由への侵害ではないか」といった反響が起こる。「不幸なこと」だと思う。
 国民のため、世界の人々のために汗を流し、貢献した人が亡くなったとなれば、多くの人にとって弔意をあらわすことには何のためらいもないはずだ。アフガニスタン中村哲さんが亡くなったときには、心から冥福を祈りたいと小生も思った。しかるに、公的機関が、弔旗とか、黙とうとか、弔意のあらわし方を具体的に、また形式的に要請(強制)するのは、そうした“自然”な感情が湧いてこないことを証明するかのようで、故人に対して失礼だとさえ思える。

1)「合同葬」

 内閣・自民党の「合同葬」というのもひっかかる。もっと言うと、こういうのを本当は「国葬」にしたいのだろうな、と思う(戦後「国葬令」というのが廃止されたそうなので、別の名前=「国民葬」とかになるかもしれないが……)。しかし、過去の経緯から2020年の今はまだその時期ではないので、「国葬」への布石だけはうっておき、しかるべきタイミングでいずれは……ということなのだろう。「日本学術会議」の会員が、選挙から推薦任命に変わり、で今、推薦者6人を拒否し、首相の完全任命制へ移行……という話と何やら重なる。1983年、推薦任命に変更されたとき、「政府の行為は形式的行為であるとお考えください」と断言したのが中曽根氏だったというのも妙な偶然である。スガさん、本当に中曽根さんに弔意を示す気があるなら、故人の発言は尊重しないとダメだよね。そこからして、もう踏み外してる。

 この「合同葬」について、Yahooニュースの9月28日付記事で坂東太郎氏が詳述している。以下に引用する。

国庫から中曽根元首相の葬儀費9600万円を支出は妥当? 金額にはやむを得ない面も(坂東太郎) - 個人 - Yahoo!ニュース


「内閣・自由民主党合同葬」とは
 では約半額を国庫から支出する「内閣・自由民主党合同葬」の妥当性を考察してみます。
 自民党が結成された1955年以来の歴代首相(同党出身)のうち鳩山一郎(初代)、石橋湛山(2代)池田勇人(4代)の各氏は自民党葬のみ。佐藤栄作氏(5代)は内閣と自民党に加えて氏の功績であった沖縄返還などの関係者ら「国民有志」が共催する「国民葬」が実現しました(75年)。
 それに先立つ67年には終戦直後から自民党結成直前まで日本を率いた吉田茂氏の「国葬」がなされています。前述のように国葬令は廃止されていたので名は同じでも閣議決定による「内閣葬」です。全額国費で実行されました。
 吉田氏はもちろん、佐藤氏も戦後政治に大きな足跡を残したのは反対者も含め認めるところで大きな反発は起きていません。
 80年、史上初の衆参同日選挙で陣頭指揮を採っていた大平正芳首相が急死。同情票もあいまって戦前の予想を覆す大勝を自民党にもたらしました。死去までの自民は事実上の分裂状態。それが急に「弔い合戦」の旗の下でまとまってまさかの勝利をもたらしてくれたので文字通り命をかけた結果です。戦後初の現職首相の死でもあったため国葬レベルも検討されたものの「内閣・自由民主党合同葬」に落ち着きます。これが今日までの先例となりました。

 以後、「内閣・自由民主党合同葬」で送られた首相経験者は亡くなられた順に以下の通り。

 岸信介(3代)
 福田赳夫
 小渕恵三
 鈴木善幸
 橋本龍太郎
 宮澤喜一

 異なる葬儀のパターンは

 三木武夫……内閣・衆議院合同葬
 田中角栄……自民党・遺族合同葬
 宇野宗佑……自民党
 竹下 登……自民党・遺族合同葬

 の各氏がいます。
 三木氏は行政府トップの首相経験より「議会の子」を自任しており在職50年以上を対象とする「衆議院葬」こそ本望であろうと遺族が希望したため。
 田中氏はロッキード事件で刑事被告人のまま逝ったため政府が関与しませんでした。
 竹下氏は生前に「故郷で簡素な葬儀に」との意向を残していたのが尊重されました。正確には島根県掛合町自民党島根県連・竹下家の合同葬です。
 宇野氏の場合、時の政権は明言していませんでしたが在職が短い上にスキャンダルに見舞われて能力を疑われていたのが影響したのでしょう。

 このように大平氏以降、政府葬にするかどうかは本人や遺族の意思や在職日数や業績などを時の政権が勘案して特に問題なければ「内閣・自由民主党合同葬」が基本です。場所も鈴木善幸氏を除いて日本武道館

2)葬儀費用

 9月の閣議で日取りが決まったときには、葬儀費用の1億9千万円という額が話題となった。費用は政府と自民党の折半ということなので、政府は予備費から9千万円を支出するという(自民党の負担分も政党交付金なら税金になるが、何せお金に出所は書いてないので……)。儀式に興味関心のない小生のような人間は、これはかなりの高額という印象を受けた。過去に亡くなった首相の葬儀にもこんなに金額をかけていたのだろうか、と思って、上の坂東氏の記事を見ると、またまた詳しく書いてある。以下に引用する。

歴代比較すると意外と妥当な金額
 そこで約9600万円という国庫負担の額の是非について。合同葬へ一般会計予備費がどれだけ使用されたかを記す「総調書」などによる金額(若干の異なりはご容赦を)と在職日数、当選回数、……を並べてみると

小渕恵三   7555万円( 616日/在職中死去)当選12回
鈴木善幸   5449万円( 864日)      当選16回
橋本龍太郎  7702万円( 932日)      当選14回
宮澤喜一   7696万円( 644日)      参院1回・衆院12回
中曽根康弘 約9600万円(1806日)        当選20回
 

……
 中曽根氏の金額が2000万円ほど多い理由の1つとして武道館でなく民間のホテルを使用するからというのもあります。ただこれとて武道館が今年行われる予定だった東京五輪に向けた改修中であったからで。ホテルの賃料が約5500万円(推定)に対し武道館の1日貸し切りだと300万円から500万円(同)です。その差約5000万円を折半して2500万円。荒い計算で恐縮ですがこれだけで「中曽根分」は埋まってしまいます。
 後は式壇などの設営や式典に欠かせない音楽・映像および照明などの装置の準備、警備代などで約1億3500万円。2で割ると6800万円程度。さほどおかしな数字ではないのです。

会場変更や減額はできなかったのか
 ではまるで問題ないかというといくつかの課題が挙げられましょう。1つは「コロナ禍のこの時期に豪華な葬儀をやるのか」という疑問。あながち感情論ともいえません。
 3月挙行予定では内外から約4000人の出席者を見込んでいました。いかな「国際館パミール」全館貸し切りでもパンパンです。
 10月の合同葬では感染対策に万全を期すそうで人数も1500人とか数百人といったあたりまで絞り込む予定。通常の葬儀とは異なって案内状を持つ者のみが出席できる仕組みです。社会的距離も十分取るようですから一転してガランとした光景になりそう。
 内外の要人を集めるわけにもいきますまい。いくら対策しても感染しないと断言できないのが新型コロナウイルスの怖いところ。そこに各国の首脳や元首クラス、国内の枢要な人物を集合させるなど狂気の沙汰でたぶん無理。
 となると1つの疑問が浮かびます。延期の決定は今年2月でした。その後の経緯から政府は容易に葬儀を大幅縮小せざるを得ないとわかっていたはず。だとしたら昨年12月に決まっていた会場をも変更できたのではないか。ホテルとの契約内容はわかりませんけど事情が事情だけに「聞く耳持たん」でもないでしょう。
 しかも都内のホテルや大規模会場はどこもガラガラで激安値段で宿泊できる状況だし、改修が済んだ武道館のスケジュールもビッシリにはほど遠い状態。なのに「粛々と」当初の予定通り進めて「批判はあたらない」ものでしょうか。
 たぶんに国民感情もありましょう。前述のように中曽根氏の業績や他氏との金額比較をしてみれば妥当な線なのですが「こんな時に死人(失礼!)のために公費1億円支出かよ」と。感情的な理屈と一蹴できるものか。

<以下略>

 ……というわけで、「前例」を客観的に眺めるかぎり、金額面では今回のケースだけが突出しているというわけではないようだ。しかし、アベスガ政権の国費の「横流し体質」からすると、この1.9億円の明細に疑念をもつのも不思議ではない。そういうのを含めた感情的な問題は残るということ。現首相は「前例にとらわれないで」とか、場当たり的なことを言うから、ついつい……ね。
 




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