ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「アスリートである前に一人の黒人女性です」

 誰かが指摘していたことだが、テレビニュースでは今日の出来事や事件を伝えた後、「では、スポーツです」と話題を替える。たとえ、それまで重い話が続いていても流れが寸断されて(チャラにされて)、まったく次元のちがう話が始まるような感覚に誘われる。しかし、これとて「では、お天気情報です」と言うほどの次元のちがいはないのだろう。

 この国では、アスリートや芸能人が時の政府のありかたや施策に意見をすると「叩かれる」傾向がある。ネット社会がこれを助長していることもあり、「そんなことを言う方だとは思いませんでした、とても残念です」式の批判はもとより、もっと口汚い中傷が当事者に寄せられることが度々起こる。どんなに強靭なハートの持ち主であっても、ものには限度というものがある。結果、私的空間ではともかく、外向けにこうした発言は一切しないというのが「賢明」な振る舞い方となる。これを後から理屈付けしたのが、アスリートや芸能人など「公的」立場にある人の「政治的中立」ということなのだろうか!?
 しかし、勘違いしている人も多いが、「中立」と「無為」は同じではない。特定の政党を支持したり、意見や立場が分かれる政策の片方に肩入れするというのならまだしも(いや、個々人が尊重される社会なら、それだって別にかまわないはずだが……)、差別的行為がおさまらない社会に対して「いいかげんにしろ!」とアスリートや芸能人が叫ぶと、それは「政治的中立」を侵しているのだろうか? まず何よりも、アスリートや芸能人が「いいかげんにしろ!」と言うと何が問題なのか。「アスリートのくせに……」、「芸能人のくせに……」と思う人がいるのなら、その「……くせに」と思ってしまう自身の発想に意識を向けることが大切だ。そうでなければ、この社会は良い方向に変わっていけない。

 8月23日に、アメリカ・ウィスコンシン州で黒人男性が白人警察官に背後から打たれた事件をきっかけに、BLM(Black Lives Matter)運動が再燃している。テニスの大坂なおみさんは、自身の試合をボイコットすると表明し、これが大きな反響を呼んだ。プロ選手として、試合をしないというのはどうなのか、他にもやりようがあるのではないか、という意見の中には傾聴すべきものがあるかも知れないが、まずは、大坂さん本人の気持ちを尊重すべきと考える。

 『The DIGEST』が8月29日付で配信した記事に、内田暁さんの「臆病な少女から意思ある大人の女性へ……声明文を発表した大坂なおみの"本当の気持ち"」があるので、以下に引用する。

臆病な少女から意思ある大人の女性へ…声明文を発表した大坂なおみの"本当の気持ち"【海外テニス】 | THE DIGEST


 WTAツアーデビューを果たした16歳の夏、彼女は、スマートフォンを持っていなかった。理由は、インターネットから距離をおくため。
「ネットでは、私についてこんなことばかり書かれている。『彼女はBlasian(ブラックとアジアンを合わせた造語)なの?』。Blasianってなに? 私は日本人であり、黒人よ」。16歳当時に受けた『Sports Illustrated』のインタビューで、彼女はそう訴えていた。
 それから、6年後――。
 スマートフォンを身体の一部のように使いこなし、インスタグラムで120万人のフォロワーをかかえる大坂は、ウェスタン&サザン・オープンの準々決勝終了後に、ソーシャルメディアに一つの“声明文”を投稿した。
「多くの方がご存知のとおり、私は明日、準決勝を戦う予定でした。ですが一人のアスリートである前に、私は、一人の黒人女性です」。そのような書き出しで始まる文面は、以下のように続いていく。
「黒人女性として、今は私のプレーを見てもらう以上に、大切な問題があると感じています。私が試合をしないことで、劇的な変化が起こるとは思っていません。それでも、白人が主流のこの競技で対話を始めるきっかけになれば、正しい方向へと踏み出す一歩になるはずです」 
 それはスポーツ界に広がっていた、人種差別に抗議するストライキへの、賛同の意思表明だった。
 事は23日に、ウィスコンシン州の黒人男性が、警察官に背後から打たれた事件に端を発する。この事態を受け、まずはNBAが動いた。ウィスコンシン州に本拠地を置くミルウォーキー・バックスの選手たちが、26日に行なわれる試合をボイコットすると表明したのだ。それら選手の意志をチーム、さらにはNBAも支持し、この日に予定されていた3試合全ての延期を決定。すると同様の動きは、WNBAやメジャーリーグ・ベースボール(MLB)にも広がり、瞬く間にアメリカ全土を覆う一大ムーブメントへと発展していった。 
 準々決勝を戦い終えた後、大坂は、この一連の動きを知る。「私も、声をあげなくては」。そう感じた彼女は、まずは自身のエージェントと話し合い、そしてWTAへと電話をかけた。
NBAやMLBに倣い、明日は試合をしないつもりだと伝えると、WTAからは「我々もあなたの意向をサポートします」との答えが返ってきた。そこで、自らの決意を自身の言葉で発信すべく、彼女はインスタグラムとツイッターに、件の声明文を上げる。
 彼女曰く、それは「難しい決断ではあるが、必要なこと」であった。会見で、「行動の背後にあるものは“勇気”か」と問われると、彼女は穏やかな口調で、次のように答えている。
「私は自分を、勇気があるとは思わない。ただ、自分がすべきことをやろうと思っただけで。“共通感覚”とはちょっと違うけれど……でも、現時点ではこれが私の責務だと感じたから」
「勇気」という言葉を否定した大坂は、「正直に言うと、自分のやったことが怖かった」のだとも告白した。「携帯電話の電源を切っていた。みんなが私について、どんなことを言うのか見るのが不安だったから」……と。
果たしてどれほどの時間、彼女は、電話を切っていたのだろうか。電源を入れたスマートフォンには、彼女の行動に共感した多くの選手や関係者たちからの、激励のメッセージが届いていた。WTA創設者のビリー・ジーン・キングは称賛と支援を表し、セレナとビーナスのウイリアムズ姉妹からも、言葉が寄せられていたという。
 一日延期された準決勝で大坂に破れたメルテンスは、大坂を「ロールモデル」だと言い、男子決勝に勝ち上がったラオニッチは、「これは政治の問題ではない。人権の問題だ」と定義した。
 かつて、ネットに溢れる誹謗中傷を恐れスマートフォンすら手にしなかった少女は、ソーシャルメディアで自らの意志を表明し、テニス界を牽引する存在になっていた。





社会・経済ランキング
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村