ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

サニブラウン選手の記事を見て

 現在アメリカのオレゴン州で陸上の世界選手権が行われています。個人的には、東京オリンピックに関わる諸事件の記憶が尾を引いて、今でもスポーツの大会を冷ややかに見てしまう傾向があり、昔のように「純粋」には楽しめなくなっているのですが、それでもスポーツ全般の興味を失ったわけではありません。
 16日(日本時間17日)には、男子100メートルでサニブラウン・ハキーム選手が決勝に進出し、7位に入賞しました。同選手が一時怪我や不調で、オリンピックの代表から外れたことを思うと、よくぞここまで頑張ったなあ、と思います。男子100メートルの世界大会で日本代表が決勝に残るのは、1932年のロサンゼルス五輪まで遡らないと例がないそうです。
 しかし、昨日の朝(7月18日)毎日新聞を眺めていて、んっ?と思うことがありました。年齢を省いて引用すると、

陸上 世界選手権 サニブラウン、男子100初の決勝 7位 | 毎日新聞

陸上短距離のサニブラウン・ハキーム選手=タンブルウィードTC=が16日(日本時間17日)、米オレゴン州ユージンで開かれている世界選手権の男子100メートルで日本選手で初めて決勝に進み、10秒06で7位入賞した。この種目での決勝進出は、オリンピックを含めると「暁の超特急」と呼ばれた1932年ロサンゼルス五輪6位の吉岡隆徳(たかよし)以来90年ぶりの快挙。……(※太字下線は当方が施した)

 まず、あれ?「日本選手で初めて」ではないのか、と思いました。いや、それだと「人」と「選手(人)」が重複してしまうから、これでいいのか…。でも、ひょっとして、彼の父親が日本人でないから、こういう表現をとったのでは……などと勘ぐったのです。
 同紙の他の面を確認すると、「日本勢初」のような書き方がされています。新聞他紙はどう伝えているのか、調べてみると、読売新聞は、「日本選手で初」、「90年ぶりの日本人ファイナリスト」、「今大会の9秒台は日本人初」などと、いろいろと「混交」しています。
サニブラウン、世界陸上男子100で決勝進出…日本選手で初 : 読売新聞オンライン
サニブラウン、今大会の9秒台は日本人初の「向かい風」…歴史に新たな1ページ : 読売新聞オンライン

 朝日や産経はほぼ「日本勢初」で一貫していました。東京新聞も同様ですが「日本人初決勝」という見出しもありました。スポーツ紙は見た限りではだいたい「日本勢初」です。

 この件で新聞に一律に「表記」の統制がかかっていることはないようです(個別社内ではわかりません)。「日本選手初」は、国語的には、「日本人初」と同じことですが、「日本人選手初」だと、上に書いたとおり重複表現(重語)になってしまって、かえっておかしいわけです。だから、小生が、んっ?と思ったのは、単なる「思い込み」だし過剰反応だったと思います。しかし、あえて言えば、「日本人初」よりも「日本勢初」という表現が多用されるところに、たとえば、山縣選手や桐生選手らが決勝に進んだ場合とは異なる思考が働いている可能性はあります。これが下衆の勘ぐり、余計な邪推であることを祈りますが、いろいろと調べてみると、あながちそれが的外れとはいえない、気になる記事が散見されるのです。

 たとえば、テニスの大坂なおみ選手の過去記事です。彼女は父親がハイチの人、母親が日本人ですが、かつて(と言ってもまだ3、4年くらい前ですが)全米オープン全豪オープンを制し、世界ランク1位になったときの記事には「日本人初」の快挙と書かれていました。しかし、この「日本人初」をめぐって、違和感をもつ人々がいるというのです。2018年9月10日付WEZZYの記事から一部引用します(※年齢は省きます)。

大坂なおみ選手の「日本人初優勝」をバッシングする排他的な声 - wezzy|ウェジー

大坂なおみ選手は日本で祝福されているか?
 「日本人初優勝」の快挙を成した大坂選手だが、日本でも妙なバッシングが起きている。ネットでは、「すごいけど、日本人の自分からすれば日本人初とか言われると疑問符」「カタコトの日系黒人が日本国籍とって試合に出てるっていうだけで、日本人とはいえない」「羽生結弦内村航平が金メダル取ったときの嬉しさとは違うよ、正直」といった声が上がっているのだ。
 大坂選手は、カリブ海の島国・ハイチ出身で米国人の父親と、日本人の母親をルーツに持つ。大阪市で生まれたのち3歳でアメリカにわたり、現在はフロリダを拠点にプロテニス選手として活動している。現在は日本と米国の国籍を持つ(22歳までは二重国籍が認められている)が、テニスプレイヤーとしての国籍は日本を選択している。
 この複雑な出自から、大坂選手を「日本人じゃない」と評したうえ、大坂選手の見た目が“日本人らしくない”こと、日本語を流暢にしゃべれないことに対するバッシングまで見られる。いずれも「日本人」として、同質性を求め、異質なものを排除しようとする狭量な人々によるものだ。
 この一件で思い出すのは、2015年のミス・ユニバース日本代表に選ばれた宮本エリアナさんだ。宮本さんは長崎県佐世保市出身で、アフリカ系アメリカ人の父親と、日本人の母親を持つ。「ハーフ」の宮本さんは日本代表にふさわしくないと、一部でバッシングが起こっていた。それから3年、社会はより多様性を獲得しているべきだが、まだ同じことが繰り返されてしまうのは残念でならない。

 朝日新聞2018年9月24日付記事にはこうあります。これも引用をお許しください(※年齢は省きます)。

大坂の快挙で「日本人初」を連呼、モヤモヤを抱く人たち:朝日新聞デジタル

……大坂選手は父がハイチ出身で、母が日本人。全米オープンで優勝してから、メディアやSNSでは「日本人初の快挙」「日本の新しいビッグスターを応援しましょう」という言葉が躍る。だが、俳優・タレントの副島淳さんは行きつけの居酒屋である男性が「正直、日本人初で優勝するなら、本当の日本人の方が……」と話すのを聞いて、さびしさを覚えた。男性は「100%日本人」という言葉も交え、手放しでは喜べない思いを語ったという。
 「そう考える人は多いだろう」と副島さんは思う。自分の父親は米国人だが、顔も知らない。日本人の母のもと、日本で育った。小学生のころは「色が違う」と仲間外れにされ、「ダメなことなのかな」と思った。中学生になると「日サロ(日焼けサロン)に行き過ぎちゃって」とギャグで返すスキルが「身についちゃった」。

 早稲田大生の岩澤直美さんは大坂選手の活躍を「うれしいニュース」と思いながらも、「日本人初」という盛り上がり方にモヤモヤを覚える。父が日本人で、母がチェコ人。両親は、「日本でも欧米でもポピュラーな名前」である「ナオミ」と付けたという。旧約聖書「ルツ記」に登場する女性の名前だ。
 モヤモヤの根にあるのは、普段の自分の体験とのズレだ。生後間もなくから大半を日本で暮らし、国籍は日本。しぐさや表情などから、海外では「日本人」として扱われ、自身もそのように考えている。
 でも、日本で「何人?」と問われ、「日本人です」と答えると「違うでしょ」と否定される。不動産屋で「うちはジャパニーズ・オンリー」と断られた経験もある。友人らと飲食店に入れば、「彼女は何を頼みますか?」と岩澤さんを除いてやりとりが進む。「いつも『外側』にいる感覚。見た目や言葉などで『日本人』の中に入る、何重かのドアの開かれる数が違う」と話す。
 家族でも、文化やアイデンティティーは違う。岩澤さんの14歳年下の妹は同じ両親から生まれ、日本国籍を持つが、日本で暮らしたことはなく、考え方は自分とは違うはずだ。「『何人』というくくりでなく、一人ひとりに向き合ってほしい」と岩澤さんは話す。

 「『混血』と『日本人』 ハーフ・ダブル・ミックスの社会史」の著書がある社会学者の下地ローレンス吉孝さんは「『日本人』の概念は人や場面によって様々な意味で用いられている」と話す。「外国人」を他者とすることで「日本人」が輪郭づけられ、「境界をつくるのに『問題』となる混血やハーフは、どちらか一方に区分されてきた」と指摘する。「それにより、ハーフの存在は見えにくくなり、差別や問題はないものとされたが、単純な二分法と現実の間に齟齬(そご)がある」という。

 サニブラウン選手は母親が日本人で、父親はガーナの人ですから「パターン」としては大坂選手と似ていますが、彼に対しても心ないことを言う人がいるようです。3年前の記事です。
サニブラウンが日本人に残る排他的風潮を吹き飛ばす 強さの秘密は「ハーフだから」ではなく強靭なメンタリティー(1/3) | JBpress (ジェイビープレス)

 いろいろな人が声を上げてきた結果、この3年間で日本社会における「多様性」の認知度は確かに上がってきたとは思いますが、「血統排他主義」とでも呼ぶべき差別的思考は、相変わらず世にはびこり、ある人々を「何重ものドア」で隔て、執拗に嫌悪感を与え続けています。こんなイデオロギーと手を切らないで、ニッポン万歳と自己賛美を繰り返した先がどうなるか、少しは考えないといけないと思います。




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