ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

そこら中で隠される会議録

 IR(カジノを含む統合型リゾート)の誘致を表明している横浜市が、誘致決定に至った林文子市長と幹部らの打ち合わせ記録や会議の議事録を作成していないことがわかった。毎日新聞の情報公開請求で判明した。<8月25日付毎日新聞

横浜市のIR誘致、議事録作成せずに決定 市長と幹部の協議内容、検証できず - 毎日新聞

 8月21日にはFNN(フジニュースネットワーク)が、情報公開請求により2月19日の第2回「新型コロナウイルス対策専門家会議」の速記録を入手したところ、あいさつや議題の提示などわずかの部分を除き、ほぼ黒塗りの文書が開示されている。この会議の翌週、アベ首相は突然、全国の学校に「一斉休校」を要請したのだが、その経緯は不明だ。アベ本人が“言う通り”、まったくの思い付きだったのか否か……。

新型コロナ専門家会議の発言録 “検証”阻む黒塗りの壁

 議事録を作成しないにしろ、速記録を黒塗りで公開するにしろ、会議内容を隠すという意図は共通する。前者の方がより悪質かも知れないが……。先に開き直った方が勝ちという感じだが、これでは判断の是非を検証できない。

 むかし学校に勤めていた頃、職員会議の会議録の作成という当番仕事があり、順番が回ってくると少し緊張したものだった。会議中はボーっとしていられないし、議論が白熱すると、次から次へと発言が続いて、発言内容を逐一メモ書きするのが一苦労。今みたいにボイスレコーダーでも使えると少しは楽だったのだが……。会議が終わって、それらを「清書」するのがまた大変。校長、教頭など管理職側はともかく、一般職員側の発言者名は、記すこともあったし、A、B、C……などと伏せることもあった。
 しかし、これも世紀の変わり目あたりから「空気」が変わってきて、そのうちに、発言の概要さえもわからなくする「細工」が始まった。晩年?ある学校で、当番が回ってきたので、普通に会議録をつくって主任のところに持っていくと、「こんなに詳細でなくていいんですけど……。」と言われた。どうすればよかったのか尋ねると、前の回の会議録を「見本」として渡され、「こんな感じでお願いしたいんです」とのこと。見ると(項目はフィクション)……

 <議事> 
 1.第〇〇回 体育祭について
    原案通り了承
 2.平成〇〇年度学校説明会について
    日程を若干変更の上、原案通り了承 …………
 <連絡事項>
 1.事務長より
 2.教務・教科書係より…………

 こういうのは「会議録」とは言わない!
  主任には、普通に発言内容を記したものと併せて2部出した。主任は驚いていたが、「“1部”は私の方で保存しておきます」とのことだった。公文書の公開により、あとになって外部からあれこれ言われるのを予防する対策だと言うのだが、それにしても……。

 しかし、実際のところ、この会議録の変化はそのまま学校の職員会議の変化を反映している面もある。1980年代、90年代、2000年代、10年代……と、会議で発言する職員が時代が進むにつれだんだんいなくなっていった。若い頃は、職員会議での議論を聞きながら、教育のあり方とか、生徒への向き合い方とか……、いろいろと学んだような気がするが、若い職員にとって、今は、そういう機会がますますなくなっているだろうと思う。

 横浜市のIRの件にしろ、コロナの専門家会議の黒塗り速記録にしろ、こういうのがまかり通るのは、国政の頂点で隠蔽と捏造が繰り返されているからであり、社会の総意としてそれを是正できていないからだろう。こういうのが繰り返されれば社会の閉塞感はさらに進み、起こらなくてもよかったはずの事故、なかったはずの事態が招来されないとも限らない。「特権」を享受して喜んでる輩は、民主社会の原理原則を踏みにじっているだけでなく、不測の事態が起こりうることに全く目を向けようとしない。

 1980年代後半、閉塞した共産主義官僚国家のソ連ゴルバチョフ書記長が進めた改革(再建 ペレストロイカ)の重要な柱に「グラースノスチ 情報公開」というのがあった。他国のしかも古すぎる話だが、2020年の日本社会にまだ立ち直る力があるとすれば、また、さしあたって自分でモデルを導き出せないとすれば、イタリアの「五つ星運動」にしろ、ソ連ペレストロイカにしろ、何でもいいからどこかのモデルケースを見てみるのは大事なことに思える。




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