ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

イタリアの「五つ星運動」

 アベの次が麻生だろうが菅だろうが、あるいはたとえ石破であっても、国民と政治の民主主義的パイプをすっかり蹂躙されてしまったこの国では、まず修復作業だけでも膨大な労力と時間が必要だろう。いや、まず、「修復」しよう、しなければならないという“スタートライン”に立てるかどうかさえ容易なことではないと思う。政権交代自民党が下野することは、ひとつのきっかけになるかもしれないが、展望もなく時々の政局ばかりでは、結局堂々巡りになり、第二第三のアベシンゾーが出てくるだけではなかろうか。どうすればよいのだろう。

 佐々木重人さんの「note」(ブログ)を読んでいて「ダイレクトデモクラシー」にひとつの可能性を見出す。「ダイレクトデモクラシー」——イタリアの「五つ星運動」という政党(政治集団)が実践する政治理念だ。現在の代議制民主主義(間接民主主義)の体制下にどうやって「ダイレクトデモクラシー」(直接民主主義)を仕組んでいくのか。

 2018年3月のイタリア総選挙で、「五つ星運動」は上下両院で第一党となった。もともとはコメディアンのベッペ・グリッロ氏と、企業家のジャンロベルト・カザレッジョ氏が2009年に始めた市民運動で、党名の「五つ星」とは、「持続可能性のある発展・水資源・持続可能性のある交通システム・環境・インターネット社会」のことをさし、この「五つ星」を社会が守り抜くべきものとして重視する。また、国民発議と国民投票で法律を決めようとする「ダイレクトデモクラシー」の導入を目指し、それを支えるコミュニティの構築のため、インターネットやSNSなどによる市民同士の直接の交流をはかろうとする。

 この「五つ星運動」を牽引してきたのがリカルド・フラカーロ下院議員で、コンテ内閣で「ダイレクトデモクラシー担当大臣」に就任した。フラカーロ氏は2016年秋、スペインのサン・セバスティアンで開かれた「ダイレクトデモクラシー」のフォーラムで以下のように語った。彼らが何を目指しているのかよくわかる。佐々木さんのブログより引用する。
 ※太字下線は当方が施したもの。

実は世界の政治はここまで進化している|sasaki_shigehito|note


 新しい社会運動の話をします。近年、ヨーロッパの街で起こっている他の社会運動のように、五つ星運動が生まれたのも、 西側世界で深刻な社会経済危機が起こったからです。この危機によって、人びとは政治プロセスからより遠い存在になり、一層政治家に失望しています。人びとは自分が大切な存在じゃないと感じ、住んでいる社会の未来を決められない、未来社会の一部になれないと思っています。 私たちは、お互いの信頼関係をなくし、他人を信用しなくなって、コミュニティという感覚をなくしました。コミュニティの感覚が互いの尊重、公共の場の尊重を生み出します。これをなくすと、コミュニティの未来もなくなり、社会に崩壊のリスクがうまれます。そこで、社会運動はなにをすべきか? 私たちは、もう一度お互いを信用しあう、これが目指すべきメインゴールだと思います。 どうやってやるか?ダイレクトデモクラシーは答えになりえます。もう一度人びとが意思決定プロセスに参加できるようにする。この方法だけが、人びとが自分は大事な存在だと感じられ、未来の一部、コミュニティの一部になれます。この方法だけが、参加を創造し、人びとから情熱をうみだせます。でもこれだけではいけません。ダイレクトデモクラシーは答えだけど、良い方法で使わないといけない。誰もこのことを話しませんが、参加プロセスにおいて少ない人数というのも必要です。集権化ではなく脱集権化。大きな人数だと違いがないと感じてしまいます。欧州やアメリカの選挙のようだとあなたの一票はどうでもいい。信頼をもう一度つくるために、地域レベルから始めないといけません。私たちが地域のダイレクトデモクラシーにフォーカスして、組織化したことは完璧です。実際のコミュニティで一緒にやるのです。地域レベルからしか参加プロセスはつくれないし、病んだ社会を癒せない。もうひとつ、 今日の主要マスメディアの疑似的なコミュニケーションを超えて、単純な口伝えが使えます。これもダイレクトデモクラシー。イタリアではほとんどダイレクトデモクラシーのツールがなく、それをイタリアの政党が人びとを操るために自由じゃない情報を通して使ってきました。ダイレクトデモクラシーは市民のツールなので、市民のためになくてはなりません。政党の手段のようになったらまったく機能しません。
 私たちの運動、五つ星運動は、西側世界のデモクラシーの危機へのアクションとして生まれました。経済危機は2008年ですが、すべては2005年に始まりました。誰か知ってるでしょうが、この運動の創始者ベッペ・グリッロのコミュニティ・ブログです。その頃、大きな自由空間がありました。新しいことを話す余地、多くの人がブログを読み始め、 そしてイタリアで、いや世界で一番大事なブログのひとつになりました。なぜでしょう?
 人びとは新しいことを話し合うのが好きだからです。今、ほとんど扱われないこと。政治家が気づいていないか、みんなに気づいて欲しくないこと。少し例を挙げると、蓄電池、持続可能な経済、持続可能な農業システム、ベーシックインカム、デジタル・ライツ、こういう事です。そして人びとは新しい世界は実現可能だと気づきだしました。それは、政治家はあまり確信できない、あるいは望まない世界です。これで、現実的なものへのニーズがうまれました。話しているだけじゃなく、実現するために。そこでベッペ・グリッロが私たちに言いました。どうして一緒になって地域の問題を解決しないの?分析して解決しようよ。 それで人びとは集まりだしました。すべての町、イタリアの小さな町や都市で。そして解決策を政党や行政にもっていきました。何が起こったか?政治家は私たちの話を聞きたくなかったので、ドアを閉め、顔に水をかけた。時には本当にやったんです。蹴り出したんです、本当に。そこで、彼らがやりたくないのだから、解決策は見いだせないと気づいたのです。権力は腐敗していて、時にカネだけになり、個人の利益が市民の利益より大事なのです。新しい法律が必要だと、すぐに理解して、市民発議のために署名を集めました。2007年、一日で30万以上の署名を集め、次の年は「自由な情報」と言う法律のために、数日で130万の署名を集めました。イタリアではいまだに公共テレビは政府に完全に支配され、民放はベルルスコーニに完全に支配されているので、自由な情報がない。人びとと話して、精神性を変え、言葉を変えるために自由な情報が必要なのです。でも、政府は署名をごみ箱に入れて私たちを無視しました。だから私たちは政治運動をして、自分たちで法律をつくるために議会に入る。今、私たちは2つのゴールがあります。ひとつは政治家がまったくやってない約束を守るということ、そして、もうひとつは、ダイレクトデモクラシーを改良して腐敗した政治家から権力を人びとに戻す。最近、誰かがデモクラシーは複雑なビジネスだといってました。複雑でも、ビジネスでもない。ただとても厳しいものです。私たちは、社会革命の運動をしていて、精神性から変えようとしています。単なる代議制のデモクラシーから参加型に移行する。簡単じゃなくとても疲れます。プライベートの時間も、人生のすべてを費やしていますが、とても情熱があります。私たちの運動では任期が2期までと決めています。それは大事なことで、その時だけ政治が機能します。プロになったら悪くなるから、家に戻らないといけません。現実生活に戻らないといけない。あなたが船出に貢献した現実生活で暮らす、だから情熱をもってデザインの努力ができるのです。厳しいけど実現できます。
 そして、おカネがない方が政治はうまく機能すると信じています。おカネから離れて始めて、人びとが政治をやるためのサービスを提供するのです。例えばどうやって予算に取り組むか、すべての市民がアイデアを練り上げて専門家のやり方で法律にできるサービスが必要です。そして、市民たちに立場を与える。自分たちのインフラをもつには、政府を変える必要があります。もうあなたたちには投票しないというのが物事を変える唯一の方法、代議士を変えるのです。政治家が怖いのは投票だけです。
また、正しい決定をするのがダイレクトデモクラシーではありません。それがダイレクトデモクラシーの意義ではないのです。人びとに責任を与えることなのです。昨日、どうやって市民感覚を向上させるか話し合いましたが、子供に責任を与えないと決して成長しません。責任を与えることが唯一の方法です。悪い決定は問題ではない、間違った決定でも、ダイレクトデモクラシーの市民は彼らの過ちだとは言えません。私たちの過ち、それが精神の変化です。
 リーダーについては、私たちはベッペ・グリッロのようなカリスマ性のあるリーダーは重要でした。彼なしで五つ星運動をつくることはできませんでした。彼のお陰で本当にたくさんの人が一緒になり、統一されたひとつのゴールを目指しています。まだ多くの人がテレビから情報をとっていて、テレビは広告的なコミュニケーション・メディアだからカリスマ性のある人間が必要ですがそれを変えたいと思っています。顔を突き合わせてアイデアを伝えるのにはリーダーはいらない。もうリーダーがいらなくなることを目的に仕事をしています。そのためにも、イタリアでできるだけ早く政権をとります。


  


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