ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

政府と国民の相互不信

 コロナ感染者の数が増え続けている。7月10日(金)、東京都で243人、全国で計430人の感染の発表があった。一日の感染者が400人を超えるのは4月24日(441人)以来だという。「東京アラート」なるものを出していた1カ月前の東京では感染者数は50人にも満たなかった。また、菅官房長官も「直ちに再び緊急事態宣言を発出する状況に該当するとは考えていない」と昨日述べている。「東京アラート」も「緊急事態」も所詮は政治的作為なのはわかっているが、それにしても、この感染者の増加ペースは“危機”的状況ではないのか?
 その一方で、Go To キャンペーンは予定通りやる見込みだという。赤羽国土交通相によると、観光分野については、7月22日から、まず宿泊代金の割引を行うとのこと。また、これまで無観客試合を続けてきたプロ野球とサッカーJリーグは、今日10日から観客を最大で5,000人まで入れて試合を開催している。マスク着用などのルールを守って観戦してほしいということだが、TVで観客席を眺めると、“適距離”を保って観戦しているようには見えない。しかし、それは、そうだろうと思う。一人だけで見に行くのならともかく、家族や仲間同士で連れ立って見に行って、行儀よく等間隔にスペースを空けて座るなど無理な話なのだ。しかし、これでは感染者が出るも出ないも運任せになる。いいのだろうか?

 この国では、政府(官邸)は国民を信じていない。国民に正確な情報を伝えると、騒ぎだして収拾がつかなくなると思っている。もっと言うと、一時的に騒いでもすぐに忘れるし、またすぐ騙されるような輩が多いと見下している。それは、この7年余の総理大臣の言動によく表われているのではないか。アベは、大臣が辞任するたびに「任命責任」は自分にあり「責任を痛感する」と言い続けてきたが、普通の国や社会の“長”だったら何回「責任」をとって辞任してるかわからない。それとも、あまりに「痛み」が多くて痛覚が完全に麻痺しているのか……?
 他方、国民の側も政府のやることを信用していない。制度上、政府は国民の信託を受けて成立することになっているが、そもそも国民は信なく政府に政治を任せているので、双方向の関係性はなく、政令とか「閣議決定」とか一方的に決められたことに、表向きは見事に服従・同調する(ふりをする)。例の感染者接触確認アプリの「COCOA」に登録した感染者数がわずか3人(7月8日時点)というのは、このことを見事に示している(決して笑えない)。しかし、内心の不満や失望が消えてなくなるわけではないので、そういう感情が頭をもたげると、自分より格下のものへと当たって腹いせをしたりする(ハラスメント、差別…)。
 こうした相互不信は日本の政治的不幸の元凶だと思う。が、相手に対する不信は鏡に映った自分自身だとも思う。むかし学校で教えていたときに思ったものだが、こちらが怒って生徒と向き合うと、生徒の方も身構える。あるいは、赤ん坊が笑っていると、こちらも自然に笑顔になったりする。
 政府と国民がそういう関係を少しでも取り戻す方向へ進むようにしないと。コロナ禍や自然災害が続く今は特にそうでなければいけない。





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