ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

さいたま市の「10万人拍手」に思うこと

 6月11日にさいたま市教育委員会が教育長名で、医療従事者に対する感謝の気持ちを示すため、児童生徒「10万人拍手」の要請をしたことが波紋を広げていたが、15日、要請通り一斉拍手が行われた。朝日新聞デジタルは昨夜、以下のように伝えた。

児童ら10万人拍手 教頭「立って下さい」手は胸の位置 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

 さいたま市の全市立学校168校で15日午前、児童・生徒計約10万人が新型コロナウイルスに対応する医療従事者らに向け全員で拍手する催しをした。市教委が「感謝の意を表することとしたのでご協力を願う」として全学校長に文書で実施日時や方法を通知していた。
 「医療従事者の方々は最前線で未知のウイルスに立ち向かっている。ありがとうの拍手を送ろう」。午前10時前、市内のある小学校高学年の教室に、教頭による校内放送が流れた。市立学校はこの日、1日から始まっていた分散登校が、一部を除いて通常登校に切り替わった。この教室では社会の授業を中断し、放送で「立って下さい」と促されると、約40人の児童がおよそ30秒間、手を胸の高さに上げて一斉に拍手した。校長は取材に「行動を通じ、医療従事者への差別が許されないことや感謝することを理解してもらえれば」と話した。
 別の4校では、………
<以下、略>。

 この「10万人拍手」運動について、菅見の限りでは批判的なTweetが多かった。むろん小生も一斉行動を苦手とする人間で、こういうのには賛成しかねる。しかし、もし、自分がさいたま市の学校の先生あるいは校長だったら、市教委や教育長に対してどういう意見をあげられるか(あげられないか)と考えてみる。
 ……市教委の要請はほとんど「命令」と同じです。学校が生徒にこうしなさいというのは教育的指導ではあっても命令であってはならないはずで、そこにどんな“教育的配慮”があるというのでしょうか……などと「正論」をぶってみてもあまり芳しくなさそうだ。
 「毎日大変な思いで仕事をされている医療関係者のみなさんに感謝の気持ちを伝えよう」ということそれ自体はまあよいのだ。問題は、「……で、どうする?」ということだろう。自分が先生だったらどうするか? 子どもたちに何を言うか? 以下、仮想問答。

 「みんな、今コロナで病院とか大変だよね。みんなの中にもお父さんとかお母さんとか、病院でがんばって働いている人がいるでしょう。何かさあ、ありがとう、って気持ちを伝えられたらいいなあと思うんだけど、みんなはどう思う?」
 「うちのお母さん、病院で働いているよ。夜勤のときとかあって、朝学校に行くとき家にいないことがあるの。」
 「うちもそう。たまには、毎日大変だよね、ありがとう、って言いたい」……。
 「ありがとうって気持ちを伝えるのに、言葉で言う以外に、どんな方法があるかなあ?」
 「えー、手紙を書くとか……?」
 「こないだテレビで見たけど、みんなで拍手してたよ」
 「みんなで絵を描いて贈って、病院に飾ってもらうとか………?」
 「いろいろありそうだね。じゃあ、これ宿題にするから、みんな2個以上考えてきてよ。誰かに相談してもいいよ。ただし、子どもじゃなくて大人に相談すること。そして、そのとき、その人に『病院の人はどういうことをしてもらうとうれしいと思うか』って聞くこと。わかった、いいかなあ。」……

 ……などと考えてみると、「拍手」はいろいろある謝意の示し方のひとつに過ぎないこと(しかも二番煎じ、あれ?三番、四番……)、これを6歳から15歳(ないし18歳)までの年齢幅のある子どもたちに同じようにやらせること(発達段階、発達課題の無視)、正規の授業を中断させてまでやらせること(授業妨害?)、などと疑問が次々と浮かんでくる。こういう「一斉拍手」にお墨付きを与えて、「拍手」が万能=公式であるかのように錯覚させるのも怖い気がする。別の場面では通用せず、逆恨みというか憤激を買うことさえありうることも視野に入れておかないと……。
 もし、市教委と教育長が「教育者」であったら、こういう子どもを道具にするような演出(動員)は、たとえいっとき思いついたとしても、最終的にはやめにしとこうと思うものではないだろうか。

<資料>6月10日付 市教委の通達
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