ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「腐った肉」は我慢ならない 「内田樹研究室」訪問記

 「内田樹の研究室」に白井聡『武器としての「資本論」』東洋経済新報社 2020年4月)の書評があることを知って、「訪問」してみた。内容の要約などはそもそも期待していない。内田さんに“引っかかった”白井さんの文章(表現)が何かに興味関心があった。
 どうして人は資本の論理を嬉々として受け入れるのか、なぜそれに抵抗しないのか、この資本の論理の内面化=倒錯に気づき、自分の身体の奥底から「ノー」という声を絞り出したとき、革命的主体が形成されるという。内田さんの関心は、白井さんのこの叙述に向けられた。

書評・白井聡「武器としての「資本論」(東洋経済新報社刊) - 内田樹の研究室

……私が個人的に一番面白く読んだのは、白井さんが、どうして人間は「資本に奉仕する度合い」に基づいて格付けされることを(それが自分自身をますます不幸にするにもかかわらず)これほど素直に、ほとんど嬉々として受け入れるのか、という問いをめぐって書いている箇所である。
 われわれの時代の新自由主義的な資本主義は「人間のベーシックな価値、存在しているだけで持っている価値や必ずしもカネにならない価値というものをまったく認めない。だから、人間を資本に奉仕する道具としてしか見ていない。」(70頁)
 ほんとうにその通りなのだが、問題は、どうして人々はそれに抵抗しないのか、ということである。それは資本の論理は、収奪される側の人間のうちにも深く内面化しているからである。この倒錯をマルクスは「包摂」と呼んだした<ママ><中略>
 ……人間たちが現に自分を収奪している制度に拝跪する心性の倒錯に気づき、自分の身体の奥底から絞り出すような声で、その制度に「ノー」を突きつける日が来るまで、資本主義の瑕疵や不条理をいくら論っても革命は起きない。問題は革命的主体の形成なのである。
 だから、白井さんは、本書の結論部にこう書いている。
「『それはいやだ』と言えるかどうか、そこが階級闘争の原点になる。戦艦ポチョムキンの反乱も、腐った肉を食わされたことから始まっています。『腐った肉は我慢ならない』ということから、上官を倒す階級闘争が始まったわけです。」(277-8頁)
 最終的に「反抗」の起点になるのは人間の生身である。かつてアンドレ・ブルトンはこう書いた。
「『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ。」
 その通りだと思う。「生活を変える」ことなしに、「世界を変える」ことはできない。一人の人間が血肉を具えた一人の人間が、その生物として深い層から「それは、いやだ」という反抗の叫び声を上げるときに、労働者は資本主義的な「包摂」から身を解くのである。……

 散々「腐った肉」を食わされてきたのに、この上まだ食わせる気か! と思った人たちはこの前すでに立ち上がったのだった。しかし、人間、24時間365日怒りっぱなしでは生きていけない。そこには想像力が必要だ。「腐った肉」のカテゴリーに分類、識別する能力もなくてはならない。そして、持続力と記憶力(これは“執念”と言い換えてもよい)。しかし、国民全体としてはこれらが依然として不足している。
 だから、河井夫妻は「党に迷惑をかけたくない」などと称して離党はするが議員辞職はしない。菅原一秀に至っては自ら法律に違反していることをしたと認めながら議員辞職はしないという。“腐った肉”はこうして猛烈な悪臭を放ちながら、国民が慣れて嗅覚がマヒし、我慢して食べてもらえるまでひたすら待っているのだ。


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