ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

石木ダムの社会科見学で

 長崎市の小学校で、子どもが書いた社会科見学の感想文のコピーを、お礼として案内者に送ったところ、名前を伏せたかたちで、案内者の関係するグループのブログに掲載され、長崎市教育委員会が無断でコピーを送った等の理由でこの教員を文書訓告とした、という記事を見ました。「訓告」というのは、処分としては一番軽いのですが、教員にとっては、自身の教育活動を否定される、大変「不名誉」なことです。この教員は不服申し立ての手続きをし、今後「精神的苦痛を受けた」として、市を相手に訴訟を起こす考えもあるとのことです。

ダムめぐる児童の感想文、見学先に渡したら… ブログ掲載で教諭処分:朝日新聞デジタル

 小生もかつて学校で「総合的な学習の時間」の担当をし、何人もの外部講師を依頼していたので、講演会のあと、主だった生徒の感想をまとめて(現物コピーではなく、活字にして)講師に送るというのは普通にやっていたことです。講師にとっても、自分の話を聞いた子どもたちがどう受け取ったのかは気になるところでしょう。小生は口頭で教頭さんに「あとで(生徒の感想を)送っておきます」と言ったことはあるかも知れませんが、特別「許可」や「承諾」を得てやっていた記憶はありません。ですから、この小学校の教員が、市教委から「ちゃんと校長の許可を得てるのか!」と言われたら、「教師の判断でお礼として感想文を外部に提供することは慣例上ある」と反論するのはごもっともだと思います。
 しかし、それはともかく、この教員はどうして現物のコピーを送ったのでしょう? 忙しくてワープロ文書に落としている時間がなかったのかも知れませんが、そこは省力せずにやるべき「ふんばりどころ」だったように思います。さらに言えば、感想を送ってもらった側も、どうしてブログに写真で上げてしまったのでしょう? 「生の声」「動かぬ事実」として子どもの声を取り上げたいという気持ちが働いたのかもしれませんが、こちらも省力せずにすべて文字に打ち直して掲載する「気概」が必要だったのでは、と思うのです。結果的に「つけ込まれた」から言うようで恐縮なのですが、やはり誰かの一声で「軌道修正」ができたはずのことです。

 この社会科見学は教育活動です。子どもたちが一連の「経緯」を見てどう感じ、何を学ぶかも重要です。 市教委は、「コピーとはいえ直筆のものが掲載され、個人が特定されるおそれがある。ブログにアップされて誰もが見ることができる」と個人情報の取扱い方だけを問題にしていますが、おそらく多くの子どもたちはそれでは納得いかないでしょう。この社会科見学は、市が進めるダム建設に反対の立場の人が案内してくれた。その人たちの話を聞いて、「住民が『ふるさとを守りたい』と思う気持ちが心に残りました」などと、市側が望まない趣旨の感想がブログに掲載されてしまった。だから、先生は処分されてしまった――感度のいい子どもなら、それくらいは見通します。結局、子どもたちには、賛否両論があることに関わると面倒なことになる、政治的なことには一切意見を言わない方が得策だという、見事な「日本式政治的中立」の精神が植え付けられることになるのではないかと思います。この社会科見学は子どもたちの記憶に楽しい思い出の一コマとしては刻まれないでしょう。

 訴訟となれば、教員個人の精神的苦痛があったかどうかが問われることになります。しかし、苦痛があったかなかったかだけに焦点が当てられ、審理されると、教育活動であることが見落とされてしまいます。これは長崎県の一小学校で起きたことであっても、他の小学校、中高も含め、おおよそ教育機関に関わる人にとって無縁な出来事とは言えません。教員だけでなく、子どもたちにとってどうなのかという視点を欠落させてほしくありません。それは、日本の政治教育を問うことでもあると思います。





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