ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

続 前川喜平さんに聞く

 デモクラシータイムスで先回の「前川喜平さんにきく」の後編:「緊急事態宣言下の学校と政治― 山岡淳一郎のニッポンの崖っぷち 第7回」を見てきた。

https://www.youtube.com/watch?v=08wLEqKcPaI&list=PLtvuS8Y1umY_fD-deoh2x0O0870v7WuW0

 内容は以下の3本柱。
 1)安倍政権の教育政策の特色
 2)明治維新以降、安倍政権までの日本の教育の変遷
 3)ポストコロナ時代の教育

 以下に1)の話のメモ書きを付ける。2)と3)は割愛。
 
①安倍政権の教育政策
 A国家主義:個人の自由や尊厳よりも国家や日本民族に価値を置き、「国のために人がいる」という個人よりも国家を優位におく思想
 B新自由主義的教育政策
の2つの側面をもっている。

②教育における規制緩和
 「規制緩和を無前提で善」とする根強い思想が背景にある。これまでも教育行政は規制緩和の圧力にさらされてきた。たとえば「学校選択制=すべての公立学校を選択制にすべき」を全国的に実施しようとしたこと。あるいは、「株式会社立学校」。これは2003年の小泉内閣時に構造改革特区で開始された。今でも20校ほどの広域通信制学校が該当している。全てではないが、質の悪いものが多い。その他、公設民営学校とか、これも国家戦略特区の形で実現している。「教育は官が独占する官製市場となっている、これを民間に開放せよ」と。要するに営利企業に参入できるようにしろ、というのが、この「規制緩和」だ。
 私は、教育はパブリックなもの、公共性のあるものと考えているので、教育を完全に市場化すると、市場にのらないものが放っておかれるおそれがあると考える。たとえば、人権教育とか、平和教育とか、主権者教育とか、…。こういう教育分野は市場に任せると実践できなくなってしまう。

加計学園問題について
 こうして推し進められてきた規制緩和の果てに、非常に奇異な形で現れたのが加計学園問題である。獣医学部の新設は規制する、獣医師はこれ以上必要ない、というルールを「岩盤規制」と称し、これを打ち破る必要性があると言われた。しかし、打ち破った結果は1校のみ、2校目以降はなかった。
 当初は京都産業大も手を挙げていた。中身だけで比べれば、京都大学のIPS研究所と連携するとしていた京産大の方が優れた計画を持っていたと思う。加計学園の方は実績的にはゼロからのスタートだった。京産大は後から飲めない条件を付けられたかたちだ。つまり「広域的に獣医学部が存在しない地域に限って新設を認める」という条件に加え、「開設は平成30年度でなければならない」が付けられた。この条件が公けにされたのは平成29年1月。京産大は、それでは無理だということになった。加計学園もふつうだったら開設年度の条件は飲めなかったはずだが、なぜか手を挙げられた。それはずっと前から準備を進めていたからであり、なぜずっと前から準備が進められたのかといえば、それは新設が必ず認められるという確信をもっていたからであり、なぜそんな確信があったのかというと、それは日本で一番「えらい人」が大丈夫と言っている、と。これは愛媛県が2018年に参議院予算委員会に提出した文書の中に全部書いてあること。2015年の段階で話がついていたという内容だった。私は、加計学園の問題については事実関係はすべて明らかになっていると考えている。行われていないのは責任追及だと思う。

④補足:現政権について
 今の政府がコロナに対して万全な政策をとっているとは到底思えない。検査はやらないし、休業補償もしないし、グローバルスタンダードの対策をとっているようには思えない。世間の目がコロナウィルスに向いてしまって、この政権が今まで積み重ねてきた腐敗現象が覆い隠されてしまっている。心配な状況だ。