昨日何と3年ぶりくらいに電車に乗り、東京駅まで行った。「お上りさん」じゃあるまいしと思ったが、時間があったので八重洲南口から丸の内側までしばらく歩いてみた。ガード下の飲食店やはとバスの乗降口の横を、全然変わってないなあと思いながら過ぎていくと、やがて大通りが見えてきた。ああ、そうだ、工事はもう終わってたんだと思い、目を向けると、そこにはどこか既視感を覚える光景が広がっていた。
これは、テレビでしか見ていないはずなのに、なぜか北朝鮮のピョンヤンの大通りを連想させた。ピョンヤンの大通りは、通り沿いに高層ビルが建ち並ぶが、その裏側には普通の民家や生活道路があり、いわば「ハリボテ」のようになっていることが報道されていたのを覚えている(事実かどうかは不明)。冷静に考えれば、どこの国の首都の大通りも似たようなもののはずだが、そのギャップというか不自然さが、この大通りは人(もっといえば、外国人)に見せるためにつくったのではないかという疑念を抱かせた――これは、ガード下の雑然とした昭和の風景と21世紀の人工的な大通りのあいだのギャップに加えて、大通りの先に皇居のお堀があることが関係している。中央口前に設置されているオリンピックのカウントダウン時計を見て、いっそうその感が強くなった。
「外国の人」から評価されることが日本人としての誇りをくすぐられるというのはあるかもしれない。しかし、それを主目的に行動するとなると、ほどほどにしておかないと精神が屈折していく。さらに言うなら、この国には、欧米の人から受ける評価とアジアやアフリカの人から受ける評価を同じ評価とみなせない残念な人が少なくない。こういう人たちは、アジアやアフリカの人からマイナスの評価を受けた場合、どういう反応をするか。そんなことを思いながら、6月13日付の毎日新聞の「時代の風」を読んだ。本記事を書いたのはイギリス「エコノミスト」の元編集長、ビル・エモット氏だが、同じ内容のことを韓国の人や中国の人が言った場合、それを「素直」に受け止められるだろうか。そんなことを言っている自身は、いや、全く同等だと見得を切りたいところだが…。
以下に部分引用する。
時代の風:コロナ時の危機対応力 日本の国際的評価、失墜=ビル・エモット 英誌「エコノミスト」元編集長 | 毎日新聞
<前略>
日本には、優れた技術を持ち、高い危機対応能力や組織力を兼ね備えているとの国際的なイメージがあった。さらに今夏に東京オリンピック・パラリンピックの開催を控え、大会の成功を期す上でも国民の安全を守るワクチン接種を早期に実施するとみられていた。
そのような予測が完全な誤りだったのはいまや周知の通りだ。このような期待に沿えなかった日本の失敗の原因について、世界ははっきりと理解できていない。他の東アジア諸国と同様に、感染症を抑制した過去の成功体験に政府があぐらをかいていたからなのか。真の危機対応を妨げるほどに硬直化して、縦割りになっている官僚機構の弊害を単に示しただけなのか。もしくは、日本に優れた技術力など実はなかったということなのか。
どのように説明しても、欧米や中国が輝きを放つ中、日本の国際的なイメージは傷ついた。途上国などにワクチンを供給する国際的な枠組み「COVAX(コバックス)」に追加の資金拠出を決めたことは肯定的に受け止められるが、これまでに負ったダメージを挽回できるほどではない。
感染が収束していない国での大会の参加を望まない海外アスリートたちによって五輪が中止に追い込まれたり、世論の圧力に押された日本政府が中止を要請したりすれば、日本の国際的な評価はさらに打撃を受けるだろう。……
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