ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

菅野完氏のハンスト

 17日に行われた中曽根元総理の合同葬について調べていたら、フリージャーナリストの田中龍作氏のリポートを見つけた。しかし、それよりも驚いたのは、スガ政権の日本学術会議の人事介入に抗議するためにフリーライター菅野完(たもつ)が10月2日午後から官邸前でハンストをしていることだ。水と塩だけでもう16日目になる。

 田中氏の記事より、中曽根合同葬とこの菅野氏のハンストの2つを引用する。

1)中曽根合同葬の取材
田中龍作ジャーナル | 中曽根元首相・合同葬 田中は官邸報道室にツマミ出された

 政府と自民党による中曽根元首相の合同葬が、きょう17日、都内であった。
 故人の評価はさておき、血税を投じて営まれるのだから、国民目線で合同葬のもようを伝える必要があると考え、葬儀会場に向かった。
 記者クラブやそれに準ずるメディアでなければ入れないことは百も承知だ。要はどうやって潜り込むかだ。
 昨日16日、会場となる港区のホテルを下見した。表からがダメだったら、裏から入れるか。誰何されるとしたら、どこで止められそうか・・・などをチェックするためだ。
 きのうは裏から入ったが途中でガードマンに見咎められ、「リボンは?」などと詰問された。当日の警備は相当に厳重であることが予想された。
 きょう17日は、正面からタクシーで入ることにした。ホテルにつながる私道で警察から、10分間ほど止められ、誰何されたが、とりあえず玄関まで行けた。
 「故中曽根康弘 内閣 自由民主党 合同葬儀場」。白地に黒色で書かれた巨大な看板が目に飛び込んできた。
 記者クラブメディアは向かって右隅の一か所に集められていた。近くにいたりすると政府の役人にチクられるのが常だ。
 田中は記者クラブご一行様がいる所から離れ、柱の陰で息を潜め、ここで取材を続けることにした。
 小泉純一郎元首相、伊吹文明衆院議長、石破茂元幹事長・・・お歴々が高級車で乗りつけた。民主党の菅(かん)直人元首相の姿もあった。
 20分間も経った頃だろうか。ホテルの職員から、マスコミだまりの方に行くように要請された。
 そちらに行くと、役人とおぼしき人物から「どちらの社の方ですか? 登録はしてますか?」と問われた。
 田中は「いいえ。あなたこそ誰ですか?」と問い返した。役人とおぼしき男は「官邸報道室です」と麗々しく答えた。
 「きょうは登録してなかったらダメです。ここから出て行ってください」とお上のご意向を示した。田中の命運はここで尽きた。

<以下略>


2)菅野完氏のハンスト
田中龍作ジャーナル | 【学術会議】官邸前ハンストの菅野完「当然死ぬ気ですよ」
田中龍作ジャーナル | 【学術会議】官邸前ハンストの菅野完 出勤する内閣府役人の耳に痛い声掛け

〇10月9日の記事
 福島の原発事故があった2011年の年末、東電の勝俣会長宅そばの公園でハンストを決行した民族派右翼のY青年がいた。
 水一滴も飲まない熾烈なハンストだった。48時間目あたりから体がフラフラするようになった。体温を計ったら34.4度しかなかった。低体温症である。
 友人が救急車を呼んだが、Y青年は断った。その後、所属する民族派右翼団体の議長から「70時間を超えると死ぬ可能性がある。命令だ、止めろ」と言われ、泣く泣くハンストを中止した。
 Y青年は意識が戻った後、田中に「死ぬつもりだった」と話した。
当時、この青年に毛布の差し入れをした人物がいた。のちに『日本会議の研究』で一躍注目を浴びることとなった著述家の菅野完である。

 菅野は「学術会議人事への介入」に抗議して2日午後からハンストに入った。場所は官邸前。曲がったことには、相手がどんなに強大であろうが、面と向かって異を唱える菅野らしい。
 ハンストはきょう午後7時で丸一週間を経過した。摂取するのは、水分と塩だけ。明らかに危険水域に入った。
 田中は菅野に「Y青年は死ぬつもりだったと言ったが、あなたはどうか?」と尋ねた。
 菅野は間髪を入れず「(私も)当然、死ぬ気ですよ」と答えた。「でも、なかなか(簡単に)死んでやるか」と加えた。
 自分の命と引き換えにしても菅政権に一矢報いようとしている菅野は、国会日程をニラんでいるのである。
 国会は23日(金)か26日(月)に召集され、28日から予算委員会となる見通しだ。菅首相入りで、NHKも中継する。当然、「学術会議人事の介入問題」が世間の注目を浴びる。
 菅野は「28日か、29日に死ねたら本望」と言う。諫死だ。

 菅野がここまで思い詰めているのは、学者や言論人の危機感が緩慢であるためだ。
 今回の人事介入は、令和の滝川事件(1933年=昭和8年)とも呼ばれる。京大法学部の滝川幸辰教授の学説や講演内容が危険思想であるとして、文部省により免官された事件である。
 滝川事件では、京大法学部の全教官が辞表を出し、法学部の学生全員が退学届けを提出した。
 ひるがえって現状はどうだろう。学術会議の誰も辞表を書かない。大学の教官がストを打つのでもない。
 学術会議の次に官邸は国立大学の人事に手を突っ込んでくるだろう。
 「この状況を見て何も思わないんだったら(危機感を持たないのであれば)、学者だとか言論人(記者含む)だとか辞めちまえ」。目は落ちくぼみ頬はこけていたが、菅野は語気も鋭く語った。(文中敬称略)

〇10月15日の記事
 菅野完の朝は早い。いつもは5時起きなのだが「けさは寒くて3時半に目が覚めた」。
 「あそこに居続けることが、あいつら(菅政権)への最大の嫌味になる」と言って、官邸前の定位置(厳密には国会記者会館前)で寝起きする。
 スガ首相の動向もその目でチェックする。「パンケーキおじさん」は毎朝7時30分頃、官邸を出て近くのホテルに朝食に向かう。
 「スガは9時頃、(官邸に)帰って来ますよ」「旗を持った機動隊が外に出てきて、SPが立ったらスガが帰って来ますからね」。
 現場で見ていたら、実際、菅野の言った通りになった。

 「学術会議への人事介入」に抗議するハンストは、きょう15日午前7時で300時間を超えた。
 テントでハンストしても限界を超える時間なのに、菅野の場合は夜露を浴びながらである。肉体はきしんでいるはずだ。
朝の日課は7時45分に始まる。内閣府に出勤してくる役人たちに声掛けするのである。
 「全体の奉仕者の皆さん、お早うございます。不偏不党の職務執行をお願い致します」
 「公務員倫理規定に基づいた職務執行をお願い致します」
 「日本国憲法に忠実な職務執行をお願い致します」。
 スガ政権の実働部隊である役人には、いずれのフレーズも耳に痛いはずだ。嫌味にさえ聞こえた。
 だが、役人たちは下を向いたまま通り過ぎる。まったく意に介さないのか、目もくれずに足早に行く。
 以上が第一陣。午前8時頃には一段落する。

  第二陣は10時前にやってくる。皆、スーツ姿がパリッとしている。高級品という意味ではない。ズボンの折り目がキレイに通り、ワイシャツもパリっとノリが効いている。
 キャリア官僚だろうか。彼らの反応は第一陣と同じく冷淡だった。

<中略>
  すでに自分たちの人事に介入されている役人たちにとって「学術会議」は、驚くような問題ではない、ということか。

 軽々にコメントはできない。しかし、できることなら菅野さんには別の方法をとってもらえないかと願うばかり。



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