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日常と世相の記

映画人有志22人の抗議声明

 10月5日に日本学術会議の会員任命拒否問題に関して、映画人の有志22人が下の「抗議声明」を発表した。

映画人有志22人が「日本学術会議への人事介入に対する抗議声明」を発表 - 映画・映像ニュース : CINRA.NET

日本学術会議への人事介入に対する抗議声明
 菅義偉首相は、政府から独立して政策提言する日本学術会議の新会員について、会議が推薦した105名のうち6名を任命しませんでした。
 同会議が推薦した候補を首相が拒否するのは本来あってはならないことです。1983年には当時の中曽根康弘首相が「政府が行うのは形式的任命にすぎない。学問の自由独立はあくまで保障される」と答弁しています。この答弁を引き合いに出すまでもなく、憲法23条は「学問の自由は、これを保障する」と定めています。この規定は、単に個人が国家から介入を受けずに学問ができることだけでなく、大学など公的な学術機関が介入を受けずに学問できることまで保障しているとの考えが通説になっています。元々、日本学術会議は、第二次世界大戦に科学が協力したことを反省し、1949年に設立されたもので、内閣総理大臣が所管し、経費は国費負担としつつも、独立して職務を行う「特別な機関」と位置づけられました。
除外された6人の候補者は、安保法制や共謀罪に異を唱えた学者たちです。今回の任命拒否は、会議の理念を踏みにじるだけでなく、「会議の自律性とそれによって守られる学問の自由への挑戦」であり「政府に批判的な研究者を狙い撃ちにし、学問の萎縮効果を狙ったとみられても仕方ない」(江藤祥平上智大学准教授)ものです。
内閣法制局は、安倍政権時代の2018年11月、同会議から推薦された人を「必ず任命する必要はない」ことを内閣府が示し、了承したことを認めています。その2年前2016年にも同会議の補充人事に難色を示し、3人の欠員が補充できませんでした。安倍政権がずっと狙っていたことを管政権が今回、ついに実行に移したのです。案の定、菅首相は「法に基づいて適切に対応した結果だ」と答え、加藤勝信官房長官も「政府として(任命除外の)判断をした。判断を変えることはない」という考えを示しました。菅政権は「説明責任」を果たさないこともまた継承したようです。また、菅首相は総裁選前のテレビ討論会で「政権の方向性に反対する官僚は異動」と公言していました。その矛先が学者、研究者に向けられたのです。次にその牙はどこに向けられるのでしょうか?
この問題は、学問の自由への侵害のみに止まりません。これは、表現の自由への侵害であり、言論の自由への明確な挑戦です。
 それは今に始まったことでなく、安倍政権の7年8ヶ月間続いている、そして、「あいちトリエンナーレ」の助成金一時不交付から顕著になったことだと考えます。
 今回の任命除外を放置するならば、政権による表現や言論への介入はさらに露骨になることは明らかです。もちろん映画も例外ではない。

ナチス共産主義者を攻撃し始めたとき、私は声をあげなかった。なぜなら私は共産主義者ではなかったから。
次に社会民主主義者が投獄されたとき、私はやはり抗議しなかった。なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。
労働組合員たちが攻撃されたときも、私は沈黙していた。だって労働組合員ではなかったから。
そして彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる人は一人もいなかった。
マルティン・ニーメラー

 私たちはこの問題を深く憂慮し、怒り、また自分たちの問題と捉え、ここに抗議の声を上げます。
 私たちは、日本学術会議への人事介入に強く抗議し、その撤回とこの決定に至る経緯を説明することを強く求めます。

2020年10月5日
以下有志22名の氏名(割愛)

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 この「声明」のとりまとめ役の一人、森達也監督朝日新聞の石飛徳樹記者の取材に応じて、次のように話している。
 以下、朝日新聞デジタル10月6日付の記事より引用する。

学術会議、ナチス時代の牧師の言葉が現実に 森達也さん [日本学術会議]:朝日新聞デジタル


 井上淳一、(脚本家の)荒井晴彦、(映画監督の)白石和彌と私の4人で、ここ数カ月間、コロナ禍で苦しむ映画館のために「ミニシアター押しかけトーク隊」という活動をやってきました。井上から今回の問題について「抗議声明を出すべきだ」と提案がありました。4人で知り合いの映画人に声をかけ、2日間で22人が賛同してくれました。みんな思想的にはバラバラです。しかし「これは危ない」という意識は一致しています。

 私は声明の中に、ドイツの牧師マルティン・ニーメラーの次の言葉を入れたらどうかと提案しました。
 「ナチス共産主義者を攻撃し始めたとき、私は声をあげなかった。なぜなら私は共産主義者ではなかったから。次に社会民主主義者が投獄されたとき、私はやはり抗議しなかった。なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。労働組合員たちが攻撃されたときも、私は沈黙していた。だって労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる人は一人もいなかった」
 この著名な警句が、これほどリアルな意味を持つ時代が来たことに私は驚いています。

 安倍首相が退陣を表明した時、内閣支持率がはね上がりました。そして、菅内閣も高い支持率を得ています。この2人が日本社会を壊したという人がいます。しかし、私には、日本社会に内在していたものが2人を触媒として表に出てきただけであるようにも見えます。政権もメディアも、国民が望むような形になるものです。

 サイレントマジョリティーはここにあるのだ、と諦めに近い気持ちにもなりますが、たとえ少数派になっても「危険だ」と発言し続けなければいけないと思っています。



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