昨晩、映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」を“視聴”した。アンテナが低くて、当日の朝までオンライン上映のことを知らなかったのだが、幸運なめぐりあわせにより、念願がかなった。なかなかおもしろかったので、ぜひ多くの人にみてもらいたいと思う。
以下、少し、断片的に感想をつらねる。
映画の切り込み方や手法に特に奇抜さや目新しさは感じなかった。昔からある、わりと“忠実”なドキュメンタリーだと思う(別にこれは否定的・批判的な意味ではない)。これが世間ウケするとしたら、「世間」の方が変わってきているのではないかと思う。これは、偶然とはいえ、コロナの禍中に上映されていることと無関係ではないだろう。とはいえ、監督の大島新氏がトークで述べていたように、「(映画に比べ)テレビの力は圧倒的」だから、早く地上波でこの映画が見られるようになるといいなと思う。それは意外に早いかもしれないが……。
話はほとんど「選挙」、「選挙」だが、至近距離からとらえられる関係者の言葉や表情はどれも印象深い。たとえば、小川さんの娘さんたちが「娘です」と書かれたタスキをかけて通行人にビラを配るシーンがあるのだが、全然受け取ってもらえない。「お願いしまーす」という娘さんの言葉は遠慮がちだが、決してアリバイ的ではない。通り過ぎていく人たちの一瞬の素振りにも、無関心さより、距離感の方が感じられる。受け取ってもらえたとき、娘さんたちはきっと弾けるような笑顔で「ありがとうございます!」と言っただろう……(そんなシーンもあったのではないかと思うが、映画には出てこない)。こんな選挙のありふれた光景が、この映画の“貴重”な部分を担っている。
結局、2017年の衆議院選挙で小川さんは選挙区選挙には勝てなかった(比例復活で当選)。ドラマは、立候補した人とそれを支援する人の人間模様に目がいきがちで、もちろんそれはひとつひとつ興味深いのだが、この選挙戦を見て投票する人(しない人)の存在を想像しないわけにはいかない。彼ら有権者(=国民)は何を見ているのか(見ないのか)。その全体像を緊張感をもって語れるのは立候補した側だけだ。しかも、結局、選挙結果がほぼそれを左右する。
確かに選挙は勝つか負けるかだが、小川さんは、投票結果が51対49なら、「勝った51は負けた49を背負って政治をしなくてはならない」と言っている。選挙は「敵・味方」かもしれないが、民主主義は「敵・味方」では済まない。「敵」方からの批判は、自身のミスを正し、反省し、よい緊張を保つきっかけとなりうるのだ、と。たぶん小川さんの言うことは正しいだろう。勝負事を抜きに考えれば……。
昔参議院議員だった俳優の中村敦夫さんは
「政治が頑張らなければダメなんだけど、そう思って政界に飛び込んでみたらとんでもない世界だったのは事実です。みんな就職のために議員になるんだな。票になるなら何党でも構わない、次に当選できるのであればどこでもいい。そんな議員が9割ですよ。だから、僕が政治の話をしようとするとみんな嫌がるんだな。原発の危うさは分かっていても、票にならないから反対しない。そんな議員ばっかりですよ、与党も野党も。」
と述べている。
中村敦夫氏が警鐘 「安倍政権は高速道を逆走している」|日刊ゲンダイDIGITAL
小川さんが中村さんの言う「9割」でないのは明らかだ。小川淳也が「固陋な堅物」なのか、それとも「早すぎた未来」なのか、それを明らかにするのはやはり有権者であり国民ということになるだろう。
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