ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

繰り返される失敗 2

 これも今は昔、5月2日付「Newsweek 日本版」に丸川知雄さんの「繰り返される日本の失敗パターン」というコラムが掲載され、一時反響があったように見受けられる。日本政府のコロナ対策はまるで日本軍の失敗パターンを踏襲しているかのようだという話なのだが、こういうのを「日本の政治的伝統」のようにとらえると、何かわかったような気になって思考が停止してしまうので、そこは注意が必要だと思う。そのうえで、今から2カ月以上も前の話だが、丸川さんが指摘したことを考えてみたい。

繰り返される日本の失敗パターン | 丸川知雄 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 丸川さんによれば、5月1日時点で、日本のコロナ感染者数は1万4,119人、死者は435人。この数字、台湾(感染者429人、死者6人)はもちろんんこと、韓国、人口当たりでは感染の出所である中国と比べても、感染者数、死者数ともに日本が上回っている。欧米に比べればまだマシという言い方もできるが、どう見ても東アジアのなかでは「負け組」である。日本で急激な感染拡大が起きたのは中国より2か月、韓国より1か月遅れであり、準備を整える時間的猶予があった。にもかかわらず、なぜこのような失敗に至ったのか。戸部良一ほか『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』には、コロナ禍に直面した日本政府の行動を読み解くヒントがちりばめられていて、これを読むと、日本政府が旧日本軍の失敗パターンを繰り返している気がしてならない、という。
 丸川さんは、4つの点を挙げている。

1.あいまいな戦略
 日本政府とマスコミが市民に呼びかけられている対コロナ戦略は概してあいまいであり、たとえば、「人との接触の8割削減」は人によって解釈の幅が大きい。また、「最高指揮官」の首相でさえ、「人との接触」と「人の流れ」を混同しているふしがある。
 おそらく、一般的な人で、「8割」と「7割」の差を説明できる人はいないだろう。具体的な数字を示せば達成目標が明瞭で客観的な印象を与えるが、実際上、この「8割削減」(理論疫学から導き出されたものらしいが)はお飾りでしかない(別に「7割」でも「9割」でも素人には大差ないのである)。丸川さんが言う通り、政府は、たとえば、「外出は一日一回、生活必需品の買い物のみに限定する」とか「他人との距離は2メートル以上保つ」など、具体的で実行可能なものを戦略メッセージとして発するだけで十分なのだ。
 それにもかかわらず、政府が「あいまい」なメッセージを発するとしたら、それは「あいまい」な方が政府にとってメリットがあるからだろう。つまり、メッセージがあいまいで解釈の幅が大きい方が、事後の政治判断(ごまかしやこじつけ)に都合がよいのだ。

2.役に立たない兵器
 太平洋戦争中の旧日本軍の秘密兵器に「風船爆弾」があった(和紙で作った直径10メートルの気球に焼夷弾をつけたもの)。アメリカに向けて約9,300個が放たれ、実際にアメリカに到達して爆発したものは28個。「戦果」は6人がケガ( ケガではなく死者の誤りという指摘あり)、小さな山火事2件。
 「アベノマスク」も役に立たないという意味ではこの風船爆弾といい勝負だ、と丸川さんは言う。それは多くの国民にとっても同じで、朝日新聞社が6月20・21日に行った世論調査の結果によく現れている。
【あなたのお宅では、政府が配っている布製のマスクが役に立ったと思いますか】
・役に立った   =15% (政府のコロナ対策を支持する層では、27%)
・役に立たなかった=81% (     〃           69%)

 
 では、この「公共事業」は問題が明らかになった時点で取り消したり、方法を考え直すのかというと、そうはならない。これはまず、国民の健康や安全、財政的損失よりも、政権と結ぶ事業者の利権を優先する政治姿勢の問題が大きい。加えて、上の1.の「あいまいさ」にもつながるが、真理を追究しない、なるべく白黒をつけない、この国の政治文化と関係する。なぜ、真理を追究しないか。なぜ、白黒をはっきりさせないのか。それは関係性を壊すからである。これは一種の馴れ合いであり、保守思考につながるため、権力側にとっては都合がよい。
 だから、「役に立たない兵器」があっても、これを公式に「役に立たない」と認めたりはしない。政府としてはこう考えるが、いろいろな考えがあり、それを一概に否定するものではない……とでも言っておけば、「あいまい」なまま関係性は保持され、何も変える必要はない。

3.科学よりも情緒に引きずられた入国拒否
 日本政府も他の国々と同様、感染爆発が起きた国や地域からの入国を拒否する措置をとったが、そのタイミングを見誤った。しばしば入国を拒否するタイミングが遅すぎ、それが3月末以来の急激な感染拡大を招いたとみられる。
 中国に関しては、日本政府は1月31日に中国湖北省に滞在歴のある外国人の入国拒否を発表したが、武漢の都市封鎖が行われた1月23日の直後でもよかったはずなのに、8日も遅れた。4月に予定されていた習近平国家主席の来日が頭にあったと疑われる。
 アメリカに関しては、3月半ば以降、アメリカでの感染は大きく拡大していたのに、日本政府がアメリカからの入国拒否を発表したのはようやく4月1日であった。その日のアメリカの新規感染確認数は22,559人であり、こちらはあまりに遅すぎた。
 なお、政府がヨーロッパからの入国者に自宅待機を要請する措置を始めたタイミングは3月21日で、アメリカの3月13日より8日も遅れている。これはオリンピックの聖火が日本に到着した3月20日の翌日であり、非科学的な政治的判断を下したのではないかと疑惑を抱かせるには十分である。
 要は、「科学的」判断よりも"人為的"判断を優先させた結果、3~4月の国内感染増大(第一波)を招き、多くの命を失わせたのである。これは、「第二波」の渦中と思われる今でも変わるところがない。科学的思考は真理を追究し、白黒をはっきりさせる。これは、上の2.と重なるが、関係性を壊したくないと考えれば、主観的感情、情緒的反応が頭をもたげるのだろう。

4.厚生労働省による統計操作
 太平洋戦争中の大本営発表は異例過ぎるが、この大本営ではないにしろ、厚生労働省が日本の患者数や死者数を意図的に少なく見せようと弄した小細工には不信感を抱かずにはいられない、と丸川さんは言い、ダイヤモンド・プリンセス号の感染数を「日本」に含めないことによって日本の感染者数を少なく見せようとしたこと、新型肺炎の死者数を一時韓国よりも少なく見せるために策を弄したと思われること、の2例を挙げている。
 これは、3.の「科学よりも情緒に引きずられた」所産の別のかたちでもある。しかし、統計は、普通誰もが無前提に信をおいているものであって、これが事実かどうか疑わしいとなると、政策の立ち上げとその結果・効果を客観的に検証できなくなる。

 たぶん、ここに挙げられた諸点に共通する非科学性、あいまい性、無責任性(関係性への埋没)は、これまでの日本の政治でも時折可視化されてきたもので、問題が表面化するとモグラたたきのように一時的には引っ込むが、そのうちにまた頭をもたげるような"通脈(地下茎)"がある。現在の政権が問題なのは、この通脈から派生する問題を次々と極大化させて、絶えず国民に忍耐ラインの後退を迫っていることだ。後退の先には、憲法改定・非常事態条項下の世界がある。異国のこととはいえ、香港国家安全維持法により、その姿を我々はすでに目にしている。




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