ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「七夕革命」と「落選運動」

 X(ツィッター)で「七夕革命」という語を見ました。これは、都知事選で現職の小池候補が敗れること、端的に言って、蓮舫候補が勝利することを表す「願望」であり、「スローガン」かと思います。小生にはいい響きです。でも、「立場」が逆なら、「七夕災難」か「七夕悪夢」でしょう。

 2009年に民主党政権が誕生したとき、新聞(確か読売)で、「これは革命だ」という文言(見出し)を目にしました。日本の国政史上、政権交代が初めてということはありません。戦後も1993年に一度非自民・細川連立政権が成立したことがあります。ですから、自民党が選挙で負けて下野したくらいで「革命」というのは大袈裟過ぎるのですが、それでも長く続いた自民党政権が完全に下野するというのはインパクトが甚大でしたから、これを「革命」と呼びたくなるのも無理はありません。……しかし、祭りが過ぎ、熱気が冷めると、「革命」は「幻滅」にかわり、「希望」は「失望」にかわります。歴史上「革命」と銘打たれた世界各地の政権交代も、小生の知る限りではだいたい同じです。ですから、「革命」という語に過大な思い入れをしても、「反動」の波に呑まれるのは避けられないと見て間違いありません。これはこの国の民主党政権のその後を持ち出すまでもないでしょう。
 しかし、だからやっても無駄なのかといったら、そんなこともないでしょう。自民党議員の裏金づくりに対する国民の強い不信と反感がなければ、現在の政治情勢は生まれていません。批判の声が大きくなれば政治は動かざるをえなくなります。「やっても無駄」「馬鹿らしい」というのは現状肯定の「哲学」です。もちろんやればすべて良い結果がともなうわけではありませんし、幻滅や失望はついて回りますが、それでも少しはいい世の中にしたいと思うこと、そのために動く(働く)こと、人々に訴えかけることがどんなに尊いことか、立候補者はもちろんですが、その他「渦中」にいる人たちの多くは実感していることと思います。

 現在、弁護士の郷原信郎さんが小池氏の「落選運動」を続けています。郷原さんは街頭演説で、政治家・小池百合子は「嘘から始まり、嘘にまみれ、嘘によって権力者として肥え太った」と言っています。学歴詐称から始まり、嘘が次第に巨大になっていく様と、国務大臣を経験しながら東京都知事にまで上りつめた様を一言で言い表せば、そういうことになると思います。
【小池百合子氏落選運動6月24日午後6時都庁前にて街頭演説!】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#343 - YouTube

 しかし、「肥え太らせた」責任は、都民だけでなく、千葉県民の小生を含む我々国民にもあると思っています。昨日の夕方のテレビで(TBSだったと思いますが)、公務を理由に討論会への出席を拒む小池氏に討論会への参加を呼びかける蓮舫氏のコメントが紹介されていました。小池候補は、一度6月24日の東京青年会議所主催の討論会に出て、神宮外苑の再開発業者にパーティー券を買ってもらったことを追及されて苦境に立たされました。それがよっぽどこたえたのか、その後、「公務」をたてに討論会には出てこなくなりました。「主役」不在と見たテレビ局も当初企画していた討論会を流会にしたようです(小池空席のままでやってもいいと思うのですが)。しかし、小池候補の方は、実際にはその合間に電車内のプロレス見物だの、運河の船上遊説だの、自身の選挙活動はちゃっかりこなしているわけで、参院議員他、公職を辞して選挙に臨んでいる候補に対して、「公務」云々を理由に討論会に出ないというのは失礼な話です。これを、テレビでは「(小池候補は)老獪だ」などと形容していましたが、これは「老獪」ではなく「卑怯」「姑息」と言うべきで、日本語の意味がそもそもまちがっています。
小池都知事、神宮外苑再開発事業者がパーティー券を購入しているかに「イエス」「ノー」で答えず | ハフポスト NEWS


 もちろん小生には投票権がないので最終的には「傍観者」に過ぎませんが、4日後に迫った都知事選挙で都政が変わることを強く望んでいます。「〇〇(地方)から日本を変える」というのはもはや言い古されて陳腐化していますが、東京都の変化は別格です。そのために、直截的に言えば、都民の有権者の皆さんには蓮舫候補に投票してほしいと思います。



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