ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

ビルマのクーデターについて

 コロナ禍の籠り生活で関心が “内向き“ になりがちだが、ビルマミャンマー)のクーデターにはちょっと驚かされた。背景がよくわからないと思い、調べてみるが、それでわかることもあるし、さらにわからなくなることもある。また、“実感” というか、“空気” をつかむのにインターネットと想像力だけでは難しいのは言うまでもない。まずは、ビルマの人々の話を聞いてみなければと思っていたところ、日本国内の関係者の声を、2月1日付の毎日新聞が伝えている(以下の記事)。

「これでは元に戻ってしまう」 日本国内のミャンマー人ら、軍事クーデターに心配の声 - 毎日新聞

……東京都渋谷区の国連大学前では同日、在日ミャンマー人の団体が国際社会の支援を呼びかけるデモを行った。警視庁によると、約700人が参加。拘束が報じられたアウンサンスーチーさんの写真を掲げ、国連などに釈放を働きかけるよう求めた。
 デモに参加した新宿区の飲食店員、タンジェンさん(53)は「民主化でせっかく発展したのに、これでは元に戻ってしまう。軍は何を考えているのか」。難民申請中のゾーティアウンさん(31)は「軍政下では自由がなかった。スーチー政権が続けば帰れると思っていたのに」と悲しんだ。また、デモを呼びかけた在日ミャンマー市民協会のタンシュエさん(58)は「国をまとめてくれるリーダーはスーチーさんだけ。日本政府も軍に釈放を求めてほしい」と訴えた。
 多くのミャンマー人が暮らす東京・高田馬場ミャンマー料理店を営むユーユーウエーさん(58)もスーチーさんについて「リーダーとして国民みんなのため頑張ってきたので、(拘束は)大変残念。みんな悲しんでいる」と話した。現地の親族と連絡がつき暴動は起きていないと聞いたものの「何が起きるのか分からない。見守るしかないが、平和的な解決を目指してほしい。………」


 ジャーナリストの近藤大介氏は「いつかこの日が来るのではないかと案じていた」とかねてよりアウンサンスーチー氏の政治手腕に疑問を抱いていたと言う。一部の要約は以下のとおり。

政変ミャンマー、記者が見たスー・チーの虚像と素顔 東アジア「深層取材ノート」(第73回)(1/4) | JBpress(Japan Business Press)

 9年前の2012年6月にタイのバンコクでWEF(世界経済フォーラム)によるASEANの国際フォーラムが開かれ、そこにアウンサンスーチー氏も参加していた。彼女は、1988年の軍事クーデターによって自宅に軟禁された。1991年にノーベル平和賞を受賞し、1999年にはイギリス人の夫が死去したが、出国は認められず、2010年11月にようやく軟禁を解かれ、この時、24年ぶりに出国してバンコクに来ていた。
 私(近藤氏)はこの国際フォーラムで、朝から夕刻まで一日、彼女と一緒だった。そこでランチの時間も含めて、日本や中国との関係など様々なことを質問した。その中で、彼女がポツリとこう言った。
 「今回バンコクへ来るのに、20数年ぶりに飛行機に乗ったでしょう。席の前に取り付けられていたポータブル機器のコントローラーの使い方が分からなくて、機内のスタッフが教えてくれたの。世の中は複雑になったものだと思ったわ。
 そして、1980年代にバンコクを訪れた時は、ヤンゴンと変わらないイメージだったけど、今回久しぶりに来て、あまりの発展ぶりに愕然とした」と。
 ランチには豪華なフランス料理のフルコースが饗されたが、彼女は目の前に置かれた皿を、物珍しそうに観察するばかりで、一向に口をつけなかった。パンの切れ端を少し齧(かじ)り、前菜のサラダを少し食べただけ。デザートにライチのシャーベットが出た時だけは、少女のように喜々として食べていた。
私は、当時書いた国際フォーラムのレポートの最後に、次のように記した。
 スー・チー女史は確かに、「ミャンマー民主化の象徴」であり、世界で最も有名なアジアの女性政治家である。だが、スー・チー女史と丸一日一緒に過ごしていて感じたのは、彼女がまるで「1980年代の化石」のような存在だということだった。これは、欧米から参加した多国籍企業の経営者たちも、異口同音に口にしていた。
 彼女が軟禁されていた24年の間に、世界もアジアも大きく変化した。ベルリンの壁ソ連邦も崩壊し、EUが経済統合を果たし、いまはASEAN10カ国が経済統合するところまで来ている。ところが彼女は、いまだに冷戦時代のような発想で世界を捉えていて、激動する世界の変化に対応できていない。
 「改革」とは、旧きを破壊し新しきを整備することであるが、彼女にできるのは、旧きを破壊するところまで。一言で言えば、「スー・チー女史の限界」を感じた。


 彼女はロヒンギャ虐待の件で国際的非難を浴び、すでに過去の好意的評価は失われているが、それはおくとして、今回のクーデターは、特権にしがみつきたいばかりに最後の悪あがきをする頑迷固陋な人々——免税特権廃止に “反対” し、フランス革命のきっかけとなった “貴族の反乱“ 、ゴルバチョフを軟禁して失敗した1991年夏のソ連の八月クーデター、等々と同じに見えてしまう。歴史の大局としてはそういうことになるのだろうが、個々の人々が寝ていて翌朝起きたら、これが「悪あがき」に終わって、めでたしめでたし……という展開にはならない。よもやこれで命を落とす人など出してはいけない。

 今後についてのBBCの解説記事からの引用(翻訳)。

【解説】 ミャンマー国軍のクーデター、なぜ今? これからどうなる? - BBCニュース


 専門家たちは、国軍がなぜ今このような行動に出たのか、確信がもてていないようだ。国軍が得られるものはほとんどないと思われるからだ。
「現行制度が国軍にとって非常に有益であることを忘れてはならない。国軍には完全な指揮権や、商業的利益における大規模な国際投資、戦争犯罪をめぐる民間人からの政治的保護がある」と、シンガポール国立大学アジア研究所の博士研究員、ジェラルド・マッカーシー氏はBBCに説明する。
「国軍が発表したとおり1年にわたって権力を掌握すれば、中国以外の国際パートナーと孤立し、軍の商業利益が損なわれ、アウンサンスーチー氏とNLDを権力の座に就かせた数百万人からの抵抗が強まることになる」。
マッカーシー氏は、おそらく国軍は将来の選挙でのUSDPの地位を向上させたいと考えているのだろうとしつつ、このような動きには「重大な」リスクが伴うとしている。

HRWのロバートソン氏は今回の動きについて、ミャンマー国内の人々の怒りを買う一方で、同国を再び国際社会から疎外される「パーリア国家」にしてしまう恐れがあると指摘する。
ミャンマーの人々がこれを受け入れるとは思わない」とロバートソン氏は付け加える。「国民は将来、軍事政権に戻ることは望んでいない。彼らはアウンサンスーチー氏を軍政回帰を防ぐとりでだと考えている」。
ロバートソン氏は、交渉による解決の可能性も残されているが、「大規模な抗議行動が始まれば、重大な危機に陥ることになる」としている。

 なお、「ビルマ」と「アウンサンスーチー」という2つの表記についての補足。
 アウンサンスーチー氏によれば「ミャンマー」という国号は、軍事政権が勝手に付けたものだから使いたくない、自分は父親のアウンサンの時代に定められた「ビルマ」という呼称を使いたいとのこと。本稿でも「ビルマ」を採用した。
 また、氏の名前については、父親の名前(アウンサン)に、父方の祖母の名前(スー)と母親の名前(キンチー)から一音節ずつとられたものであるが、ビルマの人々は性別に関係なく姓を持たないので、アウンサンスーチーの「アウンサン」も姓や父姓ではなく、個人名の一部分に過ぎないという。日本の大手メディアでは、毎日新聞が1996年から、朝日新聞が2012年から「アウンサンスーチー」と表記しているが、それ以外は「アウン・サン・スー・チー」と表記されているとのこと(Wikipediaより)。本稿では、・で区切らないフルネームの表記を採用した。



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