ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「政治的仮病」

 自ら「過去の人」となることを宣言した人物をなお「叱責」するより、「悪夢」だったと思って早く忘れたい————でも、こういう「感覚」が政治家を無責任にし続けてきたのだろう————こういうのは自分の中にも少なからずあることは否定できない。

 アベが辞任を発表してから10日余が過ぎ、この間、いろいろなところで安倍内閣の「功罪」が語られてきたが、世間の関心は「次の総裁=首相」へと向けられがちだ。辞任すると宣言した当人はどうしているかというと、特に「病気」が悪化するでも、入院や療養をするでもなく、世間の批判から解放されて元気百倍? 次の内閣に政策提言をすると言い始めた。「病気だから政治判断を誤るかもしれない」と言って総理大臣を辞めた人が、政策提言をするなど許されるのだろうか。しかも、その内容は、イージスアショア配備撤回の代替として「敵基地攻撃能力」の保有が必要だというのだ。「専守防衛」の代替策が「先制攻撃」!? これは防衛ラインを踏み越え、憲法にも抵触する大問題ではないか。ちょっと周りも止めなさいよ、と言いたくなる。

 ジャーナリストの安田純平も、こうしたアベの振る舞いと、体調のために「政治判断を誤ることがあってはならない」とした辞任理由との矛盾を指摘し、「国のあり方まで変える案件を判断するべきではない」とTweetしたという。

 以下、Yahooニュース9月2日付記事より(元はデイリースポーツの記事)。

安田純平氏 敵基地攻撃示す安倍首相に辞任理由との矛盾指摘「判断するべきではない」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース


安田氏は「『病気と治療を抱え、体力が万全でないという苦痛の中、大切な政治判断を誤ること、結果を出さないことがあってはならない』という理由で辞任するのだから、こんな国のあり方まで変える案件を判断するべきではない」と批判した。
 さらに、同氏は連続投稿。「体制維持しか頭にない北朝鮮が日本に攻撃してくるとしたら、米軍にすでにやられてやけくそ状態の最後っ屁であり、どんな武器でも抑止効果など期待できない。中国が本当に攻撃してくる気なら千単位万単位で自国民が死んでも気にしないから基地攻撃能力くらいで抑止はできない」と自身の見解をつづった。
 安倍首相は敵基地攻撃能力保有の方向性と共に、秋田と山口への配備を断念した地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」計画の代替案の考え方も同時に打ち出すと報じられ、次期自民党総裁が選出される前の9月前半に国家安全保障会議(NSC)を開き、安全保障政策の新方針に向けた協議推進を確認する見通しだ。

 

 「敵基地攻撃能力」の「敵」に想定されている国を日本側が公にすることはないだろうが、しかし、北朝鮮は自分のことだと思うだろう。現在、北朝鮮は度重なる台風襲来による被害が深刻だと報道されている。こんなタイミングで、“先制攻撃”論を振り回すさまは、どうみても外交上マイナスだ。しかも、わが国には、拉致問題という別個の案件がある。被害者家族や関係者がこれをどう受け止めるか、想像しないのだろうか。「断腸」だの「痛恨」だのということばを並べ立ててからまだ10日ほどなのに、のど元過ぎたらこれでは……。


 政治学者の水島朝穂さんも、こうしたアベの振る舞いを「政治的仮病」と批判している。まったくそのとおりだと思う。
 この間の流れを含め、やや長くなるが、水島さんのHPより9月7日付の記事を引用する。

平和憲法のメッセージ

安倍辞任をめぐる「不都合な真実
実は8月に入って安倍晋三はピンチだった。オリンピックの中止はもはや現実のものになろうとしている。トランプとの約束の履行で、国民に隠してきたものが次第にみえてきている。コロナ禍で先のばしになってはいるが、「アベノミクス」の壮大なるツケが押し寄せてくる。兵器爆買いの支払いも。そして、何よりもかによりも、「モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ」に象徴される安倍政権の「影と闇」の部分が、あるいは徐々に、あるいは急速に露顕し始めていることである。コロナ対策の大失敗が明らかになる前に逃亡する。「アベノマスク」を自らやめて「ホカノマスク」に乗り換えたのは、その前触れだったかもしれない。当日、内閣支持率は最低を記録していた。
そして、これが決定的に重要なのだが、「アンリ」事件の進展である。「クロケン」(黒川検事総長構想の挫折)によって、東京地検特捜部を止めることはできなくなった。東京地裁では「アンリ」事件について、100人を超える証人尋問が続く。そのなかで、安倍総裁および安倍秘書軍団のダークな関与が明らかにされる可能性が高い。「アクセスジャーナル」によれば、「安倍事務所の秘書が、1億5000万円の約半分を持ち帰っていることについて、すでに河井案里が供述している」というのだ(「アクセスジャーナル」9月1日参照)。
リテラ8月29日は、「首相動静」欄などから「会食ざんまい」を取り上げ、「安倍首相自身の病気や健康状態、辞任決断の経緯などに関する説明が、矛盾だらけのシロモノ」と指摘している。安倍自身も6月の定期検診で再発が判明したというが、連日のように、ステーキなど、およそこの難病の患者とは思えないような会食が続いていた。本当に「潰瘍性大腸炎」が再発しているのか、疑問が生じているという。
元検察官の郷原信郎は、IWJのインタビュー(7月1日)で重要な指摘をしている。郷原は、「これまで「地盤培養行為」として見逃されていた行為を買収行為として2人の逮捕に踏み切ったことは重大だ」と述べ、「自民党本部の側にも交付罪が適用される可能性があり、河井事件捜査の本丸は安倍総理ではないか」と指摘している。
河井夫妻の公判は大きな山場を迎えるだろう。私は前・三原市長など、溝手顕正後援会が強い地域の証人に注目している。秋の後半にまだ首相の座に入れば、当然、現職のまま、この1億5000万円についての弁明が求められる。自分のことを「もう過去の人」といった溝手憎しで、1500万円の「10倍返し」をやったという逆恨みの本音を、半沢直樹モードで言っても的外れである。

内閣法9条事態ではないのか
吉祥寺北町3丁目のエスカレーターで16年間過ごしたときに身につけた「言い訳」と「ずる休み」の能力を十二分に発揮したものである。父親の安倍晋太郎は外相、農相、通産相官房長官自民党4役(幹事長、総務会長、政調会長国対委員長)をすべて経験して、首相へのパスポートをもっていたが果たせなかった。息子の晋三は第3次小泉改造内閣官房長官として初入閣するも、わずか9カ月で総裁選に立候補して当選。首相となった。父親と違って、主要閣僚の経験がほとんどない晋三は、小学校から大学までのエスカレーター的生活の延長で、閣僚としての基礎修行も乏しく、一気に首相になってしまった。人間力もなく、経験不足も著しい人物が長期にわたって首相をやったあげくが、病気を理由にした辞任である。私はこれを「政治的仮病」と呼ぶ。 一般に仮病とは、病気でないのに病気をよそおい、病気のふりをすることである。「政治的仮病」とは、実際に病気になっていても、政治的必要性からそれを過度に重く見せるなど、病気を政治的に利用することをいう。安倍流「5つの統治手法」のうちの「論点ずらし」の典型的な形である。これが「フェイント政治」である。
私が「政治的仮病」(念のためにいうが、病気でないとはいっていない)という根拠はこうだ。首相を辞任しなければならない病状ならば、直ちに入院するだろう。内閣法9条は「内閣総理大臣に事故あるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う。」と定めている(直言「内閣総理大臣が欠けたとき」参照)。本当に、本当に病気で職務遂行が困難ならば、内閣総理大臣臨時代理(麻生太郎副総理)をたてて、国政運営に支障がないようにするところだろう。ところが、辞任を決めた病人が、後任の決まるまで首相の地位にとどまるというのである。いま、この国はトップが中途半端な状態にある。しかも、コロナ禍の巨大台風への対応を求められる決定的に重要な局面において、首相の顔が見えない。「これまで経験したことのない台風」が九州に迫るという真正の非常事態に、「憲法改正で緊急事態条項を」という改憲フェチの首相が居すわっている不幸を思う。

「敵基地攻撃能力」をもつ国へ
辞任会見のなかで安倍は、「病気と治療を抱え、体力が万全でないという苦痛の中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはなりません。国民の皆様の負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断いたしました。」と語っている(首相官邸ホームページ(2020年8月28日))。ここでは重要なことがいわれている。病気のために「大切な政治判断を誤る」可能性があるというのである。だとすれば、前述のように、内閣法9条に基づき臨時代理を立てて、自らは入院して治療に専念すべきであろう。ところが、不思議なことに、辞任会見が終わるや、妙に吹っ切れたように、在任中に「敵基地攻撃能力」についての方向性を出すようにと指示を出しているのである。「在任中に憲法改正を」とか、オリンピックを自ら主催するとか、やたら「レガシー」ばかりを強調する人物が、とうとう、「敵基地攻撃能力」を「レガシー」と勘違いしているようである。6月に「イージス・アショア」を撤回するや、唐突に出てきたのが「敵基地攻撃能力」だった。北朝鮮もコロナや水害でそれどころではないというのに、なぜ日本が攻撃能力を急ぐのか。究極の「不要不急」の議論を、辞めると宣言した首相が熱心にやっている。本当に病気ならば、おとなしく入院するか、自宅療養に徹するはずなのだが、「敵基地攻撃能力」についての首相談話まで出すと言い出している(9月4日現在、朝日新聞参照)。「政治的仮病」という私の指摘は外れていないように思う。「フェイント政治」にひっかかるな。国民の「忘却力」(Vergesslichkeit)に依拠する統治に対しては、国民は立ち止まってしっかり考え、選挙での「一票」を行使することが求められている。





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