ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

J.リード『世界をゆるがした十日間』上

 1917年のロシア"十月(十一月)革命"のルポルタージュ。著者はアメリカの人。別のルポ『反乱するメキシコ』でジャーナリストとして名を上げた。
 この年のロシアには早春と初冬の2回、政変があったが、ロシア暦(ユリウス暦)と西暦(グレゴリオ暦)に12日のズレがあり、2度目の政変が起こった西暦11月7日は、ロシア暦では10月25日に当たるので、ロシア暦では「十月革命」、西暦では「十一月革命」とややこしいことになる。
 2017年に光文社・古典新訳文庫より伊藤真氏の新訳が出ているようだが、そちらはまだ見ていない。読んだのは、岩波文庫版の原光雄訳の方で、本邦初訳の修正版に当たる。訳者の原さんは戦中に翻訳を完了させ、戦後の出版を心待ちにしていたらしい。岩波文庫版には、原書になかったものまで付録に盛り込まれ、その「充実」ぶりに訳者の原さんの思い入れが見える。

 当初、レーニン夫妻が序文(他序)を書いたり、リード本人も「闘争において私の同情は中立的ではなかった」と述べているところから、いわゆる「ボリシェヴィキ史観」(十月革命=ソヴィエトの武装蜂起を肯定し、ソヴィエト政権を擁護する立場)への傾倒があるのかと思って読んでいたが、意外なほど「公平」に「敵方」の臨時政府(ケレンスキー側)の主張や文書も紹介している(場面によっては、そちらの方が量的に多いことさえある)。これは、ある種の“自信”の裏付けなのだろうか。ジャーナリスト・リードを育んだアメリカの民主主義文化の奥深さを感じさせる。
 難題は対立軸が単純でないところ。ソヴィエトvs臨時政府という「二重権力」を主軸に、ブルジョワ vs 労働者というイデオロギーの対立に各政治党派や人物の敵・味方が複雑に絡む。鳥瞰図が描けている人はよいが、「初心者」は面食らうところがある。

 読んでいて、感じたことのメモ書き。
 1つめ。2度目の政変=反対の声を押し切りソヴィエトが武装蜂起によって臨時政府を倒して一気に決着をつけた背景に、首都ペトログラード極度の治安の悪化がある。これは、むかし、谷川毅(つよし)さんの『ロシア革命ペトログラードの市民生活』(中公新書 1989年)を読んで、初めて実情を理解したのだが、リードも次のように書いている。
 「(臨時)政府は日々ますます無力化していくように見えた。市政さえ破綻した。朝刊新聞の各欄は、傍若無人きわまる強盗殺人の記事でみたされ、しかも犯人はつかまらなかった。
 他方では、武装した労働者たちが夜になると街路を巡回して、略奪者と戦い、武器を見つけ次第これを徴発していた。
」(89頁)
 ホッブズの「万人の万人に対する闘争」を地で行ったような非常事態は、結果として強大な権力を呼び込む。自力救済ができなければ誰(何)かに「主権」を委ねて守ってもらうしかないからである。民主主義の本質が問われる事態だが、革命後、ソヴィエト=ボリシェヴィキ政権が暴力をむき出しにしていく契機は革命前に「準備」されていたように思える。しかし、だからこそ、平時から危機的状況に陥らないための工夫をしなければならないし、あるいは、かりに陥ってしまったとしても、感情的、短絡的に物事を決めない“しかけ”を、冷静な時につくっておくことが必要なのだと思う。

 2つめ。治安の悪化や暴力のはびこりが人間相互の信頼を砕いていくかと思えば、他方では、街のいたるところで街頭での論戦が繰り広げられていた。弁の立つ者も立たない者も、とにかく自身の思いを聴衆に訴えかける。「みんな聞いてくれ」「俺にもひとこと言わせろ」と。それに対する聴衆の賛同の声やブーイングがあちこちで何度も繰り返され、次第に「世論」らしきものが形成されていく。これは人間同士が完全に分断されていたらありえないことであり、その意味で民主主義の原初的な姿なのかも知れない。ペレストロイカ期のソ連ゴルバチョフ書記長が市民と“激しく”対話して、この民主主義の記憶を呼び覚ましたように、あるいは、そのゴルバチョフが軟禁された8月クーデターで戦車部隊を市民が取り囲んで動けなくしたように、ロシアの人々の“民主主義”の命脈をここでも見たような気がした。

 下巻は、「反革命」から始まる。政権を奪ったソヴィエト、その主導権を握ったボリシェヴィキ。これに対し、たとえば電話交換局の交換手(少女)たちは露骨に協力拒否を宣言する。さあ、どうするのか?




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