昨日連合のメーデーに高市首相が呼ばれて挨拶したようですが、賃上げ実現のために「協力をお願い申し上げます」っていう話は、高市が成長戦略の一つと位置づける裁量労働制の拡大、すなわち「働いて、働いて……」の長時間労働に「協力」しろと。さすがにそれは言いませんでしたが、メーデーに呼ぶってことはそういう意味を帯びます。労働者の祭典で舞台に上がって挨拶するに、ふさわしからぬゲストに思えますが、どうでもいいんですかね。
それから、メーデーなんですから、やっぱり5月1日にやるべきなのでは。連休の真ん中に開催すると参加人数が減りそうだと、連休初日にもってきたのかもしれませんが、誕生日を前倒ししてお祝いするような違和感がありますね。メモリアルはメモリアルでしょう。この種の「柔軟性」や長時間労働推進者の招待は、メーデーの形骸化をさらに進める感じがしますが。
さて、「形骸化」と言えば、今朝の新聞に興味深い対談記事がありました。ライターの梶原麻衣子さんは、保守系論客とされる方のようですが、傾聴に値する話をしていると思います。
論点:対談・「憲法」と分断/上 | 毎日新聞
――最近の高市早苗首相の改憲論や国旗損壊罪の話に違和感があるとか?
梶原 高市首相は「日本国の理想の姿を憲法に書き込む」みたいに言いますが、これまで保守派は「9条に理想が書いてあるから世界が平和なわけじゃない」とやゆしてきました。これをそのままお返しできそうです。たとえば、「家族は仲良くせよ」と憲法に書けば家庭が平和になりますか。
湯浅 大事なのは条文よりも実態だと。
梶原 国旗損壊罪については、人を罰して国旗への敬意が広まるとは思えません。私は、目の前で国旗を焼かれたら傷つきます。でも、そう思わない人にとっては、ただの布が燃えているだけかも。燃やす人も、この布を大切に思う人の気持ちまでは想像していなさそうです。……私の世代は国歌だけでなく国旗についても教わった記憶がない人もいます。そんな社会で、人を罰して国旗が敬われるようになるはずもないでしょう。国旗とは国際法的にどんな位置づけのもので、日本の国旗にはこんな来歴があり、もちろん負の側面もある……。こうした認識が社会に共有されて初めて「ではどう扱うか」と議論できる。なのに、そのずっと手前で「燃やしてやる」対「罰してやる」の応酬が続いているように見えます。
小生の目には、「燃やしてやる」よりも「(処罰するとか)そこまでやらなくていい」派 vs「罰してやる」派の構図に見えますが、共通認識に至るかなり手前で議論が放棄され、互いに相容れなくなっているという感じはします。
梶原さんが言うとおり、罰則付きの法律をつくることは、国旗を敬愛する気持ちをもつことにはおそらくつながらないでしょうし、罰則を付けなければダメだと考える人たちにしても、国民に国旗を敬愛する心を育みたいから法律をつくりたいと思っているのではなく、自分の敬愛するものを「損壊」する人間が許せないから、懲罰すれば少しは気持ちが晴れるということでしょう。
「そこまでやらなくていい」派の立場からすれば、国旗損壊に類する行為を自分がすることはほぼありえないにしても、そういう権威的なやり方を一つ認めると、また次が派生して、社会全体がだんだんと息苦しくなっていく。これをしたら睨まれるとか、メディアやSNSで叩かれるとか、そうなると嫌だ、面倒だからと、結果的に自己検閲や忖度が蔓延していくような社会の方向は嫌だということでしょう。サッカーの国際試合でもあれば日本チームの応援で日の丸の小旗を振ることはあっても、「国旗」に特別な思い入れがあるわけでないという人も大勢います。
折り合いはつかない。それでも、「決着」をつけてしまうのだとしたら、一方にはよいけれど、もう片方には失望とか怨嗟が残ります。予算みたいな話は期限までに決着をつけなければいけないけれど、これはそうではありません。また、巷で日の丸が燃やされたりとか、何か早急に対応しなければならないような事件や問題が起こっているわけではないし。だから、国論を二分する政策に果敢に挑戦する、などと意気込み、勇んで「決着」をつけても、形骸化するだけでしょう。
「法令によって民を導き、刑罰によって民を統制しようとすると、民は法令や刑罰の裏をくぐることだけを考えて悪を恥じる心を持たなくなる」と孔子も言っています。「国旗損壊」が「悪」かどうかはさておき。
孔子曰く、之を導くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。… | 今日の漢文 | web国語の窓
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