今日は短く。
昨日のブログで、あるのかどうかも疑わしい首相の解散権(いわゆる7条解散)などという代物を振り回し、議員の任期を無視して議会を解散させてて総選挙を強行したり、他方で、非常事態時には衆院選を行わず、議員の任期を延長・再延長できるよう憲法条文を改定しようとする動きについて触れましたが、政権の裁量で選挙をやる・やらないが決められる「しくみ」自体がおかしなことで、こんなことが(権力抑制を前提とする)憲法によって認められているはずがありません。少し、補強というか、補足をさせてください。
今朝の毎日新聞に、憲法学者の橋本基弘さんのインタヴュー記事がありましたが、この「7条解散」について興味深いことが書いてあります。
高市首相:大義なき解散、国民への「けんか」 「高市現象」 橋本基弘・中央大教授と考える | 毎日新聞
……(2月の衆院選について)忘れてはならないのが、衆院議員の任期の3分の1にも達していない状況で解散に出るなど、高市氏がとった奇襲策の影響だ。近年は何を問題としているかもあいまいなまま、首相が憲法7条のみを根拠に、政権に最も優位なタイミングで大義なき解散を繰り返している。首相の一存で国民の信任を得た議員を任期満了前に「クビ」にする行為は、国民への「けんか」と捉えるべきだ。
高市氏は「高市早苗が首相でよいかどうかを国民に直接判断いただきたい」と訴えた。議員内閣制なのだから、高市氏の首相の地位は既に国会の信任を得ていた。それなのに国民に問うのは、もう大統領制だ。日本の政治のあり方を根本的に否定した。……
(憲法)69条で内閣不信任案が可決した場合などに内閣が総辞職するか、衆院を解散しなければならないと定める。7条は天皇が内閣の助言と承認によって形式的・儀礼的に行う「国事行為」を定めており、国事に衆院解散も含まれるが、これは69条に基づいて解散が決まった場合の手続きを定めたものと考えるのが素直な解釈だ。
1952年に吉田茂内閣が初めて7条のみに基づく解散をした時、野党衆院議員だった苫米地義三氏は「やがて首相専横(自分勝手な振る舞い)の基礎となり、国家の運命は一首相の手に握られ、旧憲法時代よりも恐ろしい結果が生じる」と訴えた。7条解散に基づく総選挙は違憲で無効だと主張し、任期満了までに受け取るはずだった報酬の支払いを求めて提訴した。
1審では訴えが認められたものの、2審は衆院解散を有効と判断し、結論を出すはずの最高裁は「高度に政治性の高い国家行為は、裁判所の審査の対象とはならない」とする「統治行為論」で憲法判断を避け、訴えを却下してしまった。……この判決により、権力者たちが「政治領域ではある程度、自由な判断が許される」と捉えるようになった。
それでも、かつての政治家には7条解散は「異常」との認識があったように思う。中曽根康弘内閣の「死んだふり解散」の時にはメディアも一斉に批判した。今では「衆院解散は首相の専権事項で制約はない」との誤解が広がり、メディアも「伝家の宝刀」という根拠のない言説を一緒に広めている。7条解散を国民が疑問視しない空気ができてしまった。……
日本語の理解能力がある人が、普通に憲法7条を読んで、なるほど首相には解散権があるなあとは解釈しないでしょう。そもそも一連の条文の主語はすべて天皇なのですから。そんな「読み込ませ方」はかなりの「無理芸」「無茶ぶり」というものです。最高裁は、解散権があるとも、ないとも判断せず、国民の政治判断にゆだねると責任放棄(転嫁)しているわけです――卑怯だとは思いますけれども、これは法律家が何度憲法条文を読んでも、首相に解散権があるという理屈は導き出せない=無茶だということを結果的に(逆に)暗示しているでしょう。
議員任期の条文規定を無意味にするこうした「暴挙」はやめさせるべきですし、「首相の専権事項」はおろか、「伝家の宝刀」――これは、その家に代々伝わる「名刀」という意味でしょう。よくこんな表現でたとえるもんだと改めて驚きますが――などというメディアによる欺瞞報道をも併せて止めないといけません。
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