ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

米国でWBCやW杯を開催する違和感

 冬のオリンピックが終わったと思ったら、今度はパラリンピック……と思いきや、日本ではすっかり野球のWBCの応援一色です。日本チームが前回優勝してることもありますし、盛り上がらないわけがありませんが、しかし、日本での1次ラウンドが終われば、会場は米国に移ります。戦争をしている(というより他国に戦争をしかけた)国で、このまま躊躇なくスポーツの世界イベントが行われようとしていることに違和感を覚えます。ベルリン・オリンピックがナチの政治宣伝に利用されたことはよく知られていますし、そんな例を挙げるまでもなく、他との類推からも、今次のWBCやサッカーのW杯が、米国による戦争犯罪の忘却や人々の関心そらしの「道具」にされるのを黙って受け流してよいのかという思いがよぎります。米国トランプ政権によるイラン攻撃正当化の既成事実化や「踏み絵」にもされかねません。

 日本には、スポーツと政治は別ものだ、あるいは、スポーツに政治を持ち込んではいけないという物言いがあります。それは実際そうだと言えなくもない。紛争当時国が関係する競技が、時と場合によっては、代理戦争の役割を担ったり、新たな対立関係を持ち込まないともかぎりません。そう考えれば、スポーツ競技から政治性を排すること(を呼びかけること)には一定の合理性が認められるでしょう。しかし、何を「政治性」ととらえるかという問題や、「政治的中立」なるものが文字どおり中立とは限らないという見方は、この冬季オリンピックでも払しょくされたとは言いがたいと思います。
 たとえば、今回、ウクライナのスケルトンの選手が、ロシアによる侵攻で犠牲になった同胞数人の肖像が描かれたヘルメットを着用しようとして認められず、失格処分になったことが物議を醸しました。あるいは、米国の選手の中にも、現トランプ政権下の米国のあり方に懸念を示す者がいました。どの選手もできる限り自身の競技に専念したいのが本心でしょうけれど、やむにやまれぬ気持ちで「政治的」発言や行為に及んでいるものと思われます。毎日新聞ロンドン支局長の福永方人(ほうじん)氏は3月1日付のコラムで、こうした各国代表選手が批判されることを覚悟で世界に発信した勇気を讃えつつ、日本選手や日本社会のあり方についてこう述べています。
あいまいな基準、分断生んだ冬季五輪 IOCは見直しを | ロンドンEYE | 福永方人 | 毎日新聞「政治プレミア」

……今大会では(ウクライナのヘラスケビッチ選手だけでなく)米国の選手からも政治的発言が相次いだ。記者会見での質問に答える形で、米移民・税関捜査局(ICE)による強硬な移民取り締まりや、性的少数者(LGBTQなど)の苦境など、トランプ政権下の母国に対する懸念を伝えた。心理状態が重要な競技直前にもかかわらず、批判も覚悟で世界に発信する勇気に敬服した。
 日本選手からは、平和や政治に関する言動は確認できなかった。日本ではアスリートが社会的問題に意見を表明することが少ないと、かねて指摘されてきた。ファンが望んでいないとも言われる。
 そうした傾向を裏付けるような調査結果がある。IOCが日本を含む185か国の五輪選手ら約3500人のアスリートを対象に実施したアンケート(21年公表)だ。
 選手数が40人以上の欧米や中露など16か国の中で、「包摂と連帯に関する統一メッセージを五輪の競技会場で出すことが重要だ」と答えた割合が日本は18%と、言論統制がある中露を下回って最低だったのだ。「開会式で差別反対に連帯する瞬間を設けることが重要だ」も26%で、中国は上回ったものの、ロシアと並んで下から2番目だった。
 もちろん、アスリートに競技以外のことを発信する義務はない。ただ、尊敬を集める選手たちの言葉は、広く深く世の中に届く。もし日本社会や世界のために訴えたい思いがあるのなら、積極的に伝えてほしいと願う。オリンピズム(五輪精神)も「平和でよりよい世界の実現に貢献する」ことをうたっている。
 「スポーツは社会の中にある文化の一つであり、アスリートはスポーツの外側の社会にも価値を届けることが求められる」竹村
(瑞穂)*さんはそう考える。
 自由な発信を促すには、それを受け入れる環境づくりが欠かせない。だが今大会中も、日本代表を含む選手たちへの誹謗中傷が交流サイト(SNS)で多発した。まず変わらなければならないのは、ものを言えない風潮が強まっている社会の方なのだろう。
 *竹村瑞穂:東洋大学准教授(スポーツ倫理学)

 ほんの思いつきですが、誰か有名な選手が出場する全選手に呼びかけて、米国がイラン攻撃をやめなければ試合には出ないと言って、みんながそれに同調すれば、WBCもW杯も成立しません。トランプ政権にとってはとてつもない政治的プレッシャーとなるでしょう(ま、怒り狂うでしょうけど)。大谷選手やメッシ選手にそんなことをやれとはもちろん申しませんが、しかし、普通の人が生涯に得られる金額の何百倍も稼いでいる有名スポーツ選手には、そのレベルの「社会的使命」というか「社会的責任」はあるということです。あとは、福永さんも最後に書いているとおり、世論がそれを支えられるかどうか。ファンあってのプロ・スポーツなら、同時に、平和あってのスポーツ・イベントではないのでしょうか。




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