元日に亡くなった久米宏さんの訃報を知ったのは、おとといの昼。NHKの昼のニュースの最後にアナウンサーが、久米さんが亡くなったと繰り返しました。ついこの前までTVで姿をお見かけしていたような気がしていたので大変驚きました。
それから昨日まで、縁のあった人たちの言葉を聞き(見て)、追悼番組をいくつか見ました。皆さん悲しみにうちひしがれていて、中でも、長年歌番組の司会で一緒だった黒柳徹子さんが、昨日の昼「徹子の部屋」の冒頭で見せた表情には(ほんの数十秒でしたが)、過去の放送での快活なトークとのコントラストというか、落差が大きすぎて痛々しい感じがしました。
【記事全文】徹子の部屋 放送内容変更で久米宏さんを緊急追悼「クールに見えましたけど実はとっても…」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能
久米さんがメインキャスターを務めていたニュースステーションについて、断片的で大したこともないのですが、思い出すことを書き留めておきます。
1987年の暮れに千葉県東方沖の地震があって、JRのダイヤが乱れていた夜。とにかく行けるところまで行って、あとは歩きだと決意して電車に乗ったのですが、はるか手前で先へ進めなくなり、やむなく長い時間、2時間以上だったでしょうか、歩きに歩いて、ようやく自宅にたどり着き、TVをつけたらちょうどニュースステーションが始まったのです。そのときの内容は全然覚えていませんが、番組が始まったのは1985年なので、まだ2年しかたっていなかったことになります。
当時はコメンテーターだった小林一喜さんも元気で、ニュースステーションが新しいかたちのニュース番組として認められていく、まさに上り坂にあった頃だったと思います。視聴率20%超えのニュース番組など当時は(今も、でしょうが)ちょっと考えられないことでしたが、スタートした頃は低視聴率で(第一週の平均8.68% これでも今からすればがんばっている感じですが)、Wikipediaによると、「楽観的」な小林さんは、スタッフとの飲み会で「いや、圧勝、圧勝!」と励ましていたそうです。その小林さんが1991年に亡くなったのは、久米さんにとって大きなショックだったでしょう。のちに番組内に「最後の晩餐」というコーナーを設け、著名人へのインタビューの最後に「人生の最後に食べたいものは何か」と聞いていたのも、小林さんの「影」と、あながち無関係ではない気がします。
久米さんは語り口が軽妙だから、ついつい誤解してしまいそうですが、並みいる政治家たちに物おじしないで突っ込みを入れる(回顧)シーンを見ていると痛快で、あの金丸信もタジタジです(笑)。
座右の銘は「政治は風俗を語るように」久米宏さんが“テレビ報道に遺したもの”(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース
でも、得意げにというか、調子に乗ってやっていたわけではないでしょう。証人尋問だか参考人招致だか忘れましたが、「心因反応」を理由に出席を拒んでいるというニュースを伝えた最後に、久米さんが「僕なんか、毎日心因反応ですよ」と吐き捨てるように言ったシーンをおぼえています。こういうのを久米さん一人、ニュースステーションだけにやらせていたわけでもなかったのが90年代の日本でした(TBSも1989年から記者の筑紫哲也さんをメインに据えたニュース番組News23を始めていましたから)。それから30年以上。今から考えれば稀有な時代だったのかもしれません。
昨日、やっぱり(すいません、7や5.5どころじゃなかったです)解散総選挙をすると自維幹部に伝えた高市現首相も、当時だったら、まちがいなくスタジオに呼ばれて久米さん(あるいは筑紫さん)から根掘り葉掘り質問され、突っ込まれていたでしょう。なぜ、いま解散総選挙なのか。自維連立の信を問うというのなら、成果を上げてからの方がむしろ好ましいはずなのに、あえて年度予算成立を遅らせてまで強行する必要があるのか。つまり「大義」なんかなくて(自民党の)「自己都合」なんじゃないのか、等々。
TVで姿を見るだけの小生らと違い、間近で久米さんを見ていた関係者の喪失感は想像以上でしょう。でも、最後は笑ってお送りするのがいいのかなと思います。昨日の黒柳さんの「徹子の部屋」の制作スタッフにも同じものを感じました。ラブホの下りは見ていて大笑いしました。久米さんを見る黒柳さんの目。少女のようなその目がほんとに印象的です。
久米宏さん 黒柳徹子と「夜中に赤坂のラブホテルから出てきた」過去暴露 徹子の部屋過去放送で追悼(スポニチ) | 毎日新聞
久米さん、お疲れさま。粋で、ほんとにかっこよかったです。
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