酒井隆史・山下雄大編『エキストリーム・センター』を読みました。少々手を広げている感じもしますが、興味深いことがいろいろと書かれています。
「エキストリーム・センター」とは「極中道」「過激中道」という意味で、「極右」や「極左」になぞらえた過度な「中道至上主義」を表現したものと思われます。本書冒頭の序文で酒井さんが書いているとおり、「右でも左でもないあらたな見方で」とか、「われわれは是々非々であり、批判ばっかりしている人たちとはちがう」「イデオロギーにとらわれない柔軟な(発想で)」「「べき論」でなく「である論」でやるべき」「声高でなく穏やかな言葉だけが人に届く」「真の保守は穏健と抑制を旨とする」「正義の暴走が社会の分断を深める」――式の前置きで始まる言説が氾濫し、世の中上げて「真ん中」を是とする空気に覆われています。しかし、この手の形容句で自分は政治的には真ん中志向でバランスがとれていると思っている人ほど、その「中立性」にはいかがわしいものがあると思います。
図式的ですが、長さ10センチの直線の両端を極右と極左としましょう。真ん中は5センチの位置です。もし、左右どちらか一方だけが2センチ短くなったら、真ん中は4センチになります。以前の位置からは1センチだけ片方の側に寄ったことになる。さらに2センチ短くなったら、真ん中は3センチですから、さらに片側に寄ります。
日本の世論が保守化していると指摘されて久しいですが、テレビや新聞で世論をリードできる大手メディアが大資本であるのは動かない事実です。もちろん時代の状況や課題に左右される面はあるし、中には良心的な(真の意味で中立的な)記者や放送人もいるでしょうけれど、そうだとしても、経営陣や管理職は総じて大資本の意思に反する報道は回避・抑制しがちです。となれば、労働者や弱者の擁護、公平・平等に価値をおく左派的な内容の記事や番組は、結果的に好まれず忌避される。先の10センチの直線で言えば、左の端が短くカットされていくので、「真ん中」はどんどん右側に寄っていくことになります。
もうひとつ、左の端を切り刻むだけでなく、右側のウイングを広げ、右の端を延長するという手もあるでしょう。市民運動というのは(小生の記憶にすぎませんが)70年代くらいまではだいたいは左翼・左派が担うのが相場で、右翼・右派といえば街宣車でがなるくらいという印象でしたが、その後は(誰かが助言したのか)右派による市民運動も目に付くようになりました(個人的には右翼も、嫌いなはずの「市民」を称して「市民運動」をするんだなと驚きました。「公民」はよくても「市民」は左翼用語で嫌いだと思っていましたので)。「中道」論で言えば、左右両翼があるから「真ん中」が「確定」できる(ような気がする)わけで、右派的な言説・運動・集団(政党も)を増やし、目に見えるようにすることは、かりに自身の支持者は増やせなくても、「中道」志向の世論を右寄りにする一法かもしれません(これを望む側には、たとえ泡沫的であっても、そうした文化人気取りのライターやら団体やらに資金援助をする価値があることになります)。かりに「極端・過激(エキストリーム)」でなくとも、「中道」は知らず知らずのうちに「右」に引きよせられていく。右側がとんでもない失策でもやらかさない限り、これは必然かもしれません。
かような「中道志向」の世論の現在地を知るために、右派的言説のアドバルーンを上げて世論の様子を見たい側には、先日の「核兵器保有発言」に対する世の反応の鈍さは非常に「喜ばしい」ことかもしれません。現政権ではなく、去年の石破政権だったら類似の事態が起こったらどう対処するか。想像するに、さすがに安倍政権下でも、「核を保有すべき」などと発言する人間を、何のお咎めもなくそのまま官邸においておくわけにはいかなかったのではないかと思うのですが(当時は)、現政権は「ざわめく」こともなく完全無視。これもこれで「暴力的」な感じで、謝ったら負けみたいな首相の人格をよく現しています。しかも「中道」の世論からの抗議のトーンは低い。これでは逆に、誰がオフレコ発言を表に出したんだ、そんなメディアは出入り禁止だ、ということになるでしょうし、ますますメディアは政権寄りのことしか報道できなくなります。
核保有発言「絶対許さない」被爆者団体が抗議 「非核三原則」堅持表明求める
官邸幹部「日本は核保有すべき」発言めぐり被爆者らが外務省に抗議 防衛省に申し入れ 高市総理に“非核三原則”堅持を強く要請 | TBS NEWS DIG (1ページ)
本書にはこうあります。これは山下雄大さんの文です。
「右でも左でもなく、前へ」――誰しもが競って「中道」の肩書きを争う昨今、漠然と待望されている「強いリーダー」と同じ程度に、日本を席巻しているこのフレーズに立ち戻ってみよう。その文言がわたしたちの生きる政治的近代の存立条件そのものを揺るがせにかかっていることにお気づきだろうか。そもそも代議制統治の「建前」は、諸権力間の「抑制均衡」を保ち、あらゆる慣行を無視して強権を振るう「強いリーダー」の出現を阻止するために掲げられてきたのだから、すべてが逆向きに進んでいる……。代議制統治それ自体が十分に機能しているか否かの評価はともかく、内側に席を占める者たちがこの「建前」を蹂躙して恥じるところがないとすれば話は変わってくる。……
「右でも左でもなく、前へ」――ところで、その「前」とはいったい何だろうか。……「前」を奪取しようとする自称「中道」は、左右の対立の末に歩み寄られた「真ん中」を目指しているのではなく、討議空間に空隙をこじ開けようとする。この意味において、「中道」こそが左右の両端を「過激」だと一蹴し、退場を宣告する点でこの上なく「過激」となりうる――そしてこの現象は、通時的にも共時的にも、わたしたちに特有のものではない。……
(『エクストリーム・センター』、105-106頁)
上にあるように、過激中道は左右両派との距離をはかり、妥協点を探って「真ん中」を進むというよりも、批判を塞ぎ、議論自体を無意味なものに転化しているように思えます。結果、「強いリーダー」をかたるポピュリストが登場する余地、その下地がますますつくられていきます。
メディアの報道によれば、高市内閣の支持率は3か月目に入った今月も高い水準を維持しているとのことです。何がそんなにいいのかわかりませんが、世論調査の結果がどうあれ、行政独裁のかたちだけは着々と整えられ、あとは誰でもいいから、頭に据えればいいだけになっています。「鉄の女」を気取り、弱みを見せたら負けだと思っている高市のような人間は、行政権力にとって担ぐのにはちょうどいいのかもしれません。
中道は独裁への道を掃き清める――「独裁」というより「暴政」かもしれません。「暴政」とは物理的暴力を伴うというより、心理的・思想的に「暴力」的という意味合いです。高市は旧安倍政権時代、その中枢にいた人間を一人また一人と周りに集め、安倍政治の再現を志向しています(官邸の「守護神」と呼ばれた杉田和博元官房副長官は21日に死去しましたが)。でも、それを志向しているのは、高市だけではないでしょう。そして、それに媚びをうる有象無象――新年の準備で忙しい中、おちおち(ぼーっと)お茶も飲んでいられません。
[以文社、2025年9月刊、300頁]
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