昨日の参院予算委員会で蓮舫氏が高市首相に、「裏金議員」の一人である佐藤啓・参院議員をなぜあえて官房副長官に起用したのか、「いったん白紙撤回すべきだ」と迫りましたが、拒絶されました。念のためこれに関する質疑を一通り見てから書こうと思ったのですが、webの国会中継の動画がなぜか閲覧出来ない状態で、「全容」が把握できませんが、蓮舫さん、撤回させたいのなら、もう少し詰め方を工夫した方がよかったんじゃないかなと思いました。(蓮舫曰く)「私は自民党の人材がそんなに乏しいとは思っていない」は余計な一言で、ポイントは佐藤副長官に資質や能力があるかどうかではなく、「裏金議員」を要職に任命すること自体です。任命権者の倫理の問題であることがもっと強調されるべきだと思いました。高市首相は「裏金問題は決着済みと思っていない」と言ってるんですから、こういう矛盾した「ゴリ押し」を見せるのは、子どもの教育上よくありません。
高市早苗総理「仕事で返してもらう」 306万円不記載の官房副長官起用に蓮舫議員が「一旦白紙に」と追及も提案拒否 | TBS NEWS DIG (1ページ)
高市首相に立憲・蓮舫氏「いったん白紙にしませんか」“政治とカネ”議員の起用めぐり…参院予算委 首相「するつもりはございません」(FNNプライムオンライン(フジテレビ系)) - Yahoo!ニュース
9月の自民党総裁選の討論会では、高市はコバホークとともに「裏金問題」は解決済みだと言っていました。
総裁選2候補が裏金問題は決着済み回答「責任回避する姿勢に驚きました」と紀藤弁護士が私見 「NEWS23」で(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
ところが、首相になった今は、委員会質疑を乗り切るのにマイナスと踏んだのか、「決着済みとは決して思っていない」とスタンスを変えてきました。総裁選前の自民党員(裏金議員)向けと国民一般向けの「二枚舌」は、これはこれで追及すべきと思いますし、決着をつける気があるかどうかが大問題ですが、そもそも論として、高市ほか自民党の多数派が「裏金(不記載)」なんぞ大した問題じゃない、「二枚舌」でも何でも適当にはぐらかして時間をかけていれば、(主要メディアも一般国民も執着心がないから)だんだんと忘れていくと高を括っているわけです。
もうひとつ、高市だけでなく、小泉もそうですが、「一番大事なことは(過ちを)繰り返さないことだ」式の論法をあちこちで繰り返しています。「未来志向」は悪いことではありませんし、一般論として過ちを繰り返さないことが大事じゃないという人はいないでしょう。けれど、それは振り返るべき「過去(の過ち=悪事)」を見てからの話です。それをしないで済まそうという姿勢は看過できません。
物事には手順というものがあるでしょう。裏金問題という過去の過ちは、「過ち」の中身がまだ判明していません。誰がどういう経緯で始めたのか、いったんこれはヤバイから止めようという話になったのに、なぜそれがまた再開されたのか――旧安倍派の重鎮ども(最重要責任者)の証言は食い違っており、それが放置されたままで、全然ケジメがついていないわけです。これでどうして、「一番大事」だと(称して)、「再発防止」の話へと進めるのか。
企業・団体献金の禁止をめぐっては、去年の12月に国会で今年の3月までに結論を出すと先送りしておきながら、さらにまた先送りです。自民党だけが現状維持を望み、ごね続けて今がある。まさに「ごね得」です。
『論語』に「過ちて改めざる、是を過ちと謂う(過而不改、是謂過矣)」という言葉があります。過ちを犯していながら改めないのが、ほんとうの過ちである。過失はやむを得ないが、過ちと気づいたら改めよ、という意味です。
自民党は夏の参院選に敗れ、衆参ともに少数与党になったとはいえ、比較第一党です。野党も現状頼りになるわけではありませんが、この裏金・献金問題だけは別格でしょう。自民党は衆参で議席数を減らしても、依然として裏金問題の全容解明や企業・団体献金禁止には後ろ向きです。延々と「過ち」を改めずに来ているわけです。となれば、国民(有権者)の総意として、自民党を第一党にしたこともまた「過ち」ということにならないのか。
高市自民党内閣は高支持率をバックに、解散総選挙にうって出る機会をうかがっています。
【選挙区リスト付き】衆院選当落予測 サナエ劇場で自民圧勝!《大人気の高市内閣でも副大臣7人、政務官1人が危機》《丸川珠代、パンツ高木、武田良太…裏金浪人候補の明暗》 | 週刊文春
公明党の協力なき後の票読みのシミュレーションを、今頃繰り返しているかもしれません。前にもブログに書きましたが、自民党は完全に下野でもしない限り、解散総選挙を勝つまで止めない。毎年になろうと、半年先であろうと、勝てるとみればやるでしょう(憲法7条を都合よく衆院解散の根拠=首相の専決事項にする問題性は言わずもがなです)。我々も「過ちを改め」なくてよいのかということだと思います。
