ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

PTA再考記事を読んで

 最近ブログで毎日新聞の記事の論評ばかりやっていて恐縮ですが(苦笑)、今朝の毎日新聞の一面トップは、公立学校のPTA会費が公費(学校の管理運営費)の穴埋めとして使われている実態を伝えるものでした。
PTAの学校寄付5.9億円 24年度94自治体 公費補完の側面も | 毎日新聞

 毎日新聞は4月から「何のため?PTA」と題する特集を不定期に連載していて、PTAへの「自動入会」や「恐怖の!」役員決め等々、とりようによってはPTA不要論へと発展しかねない内容の記事を連ねてきました。というような書き方をすると記事に批判的ととられてしまいそうですが、小生もむかし学校現場で働いていた端くれなので、ある程度は「内情」を理解しているつもりですし、問題のある組織だという点で、基本的な認識は同じです。
 とりわけ、今朝の記事にもありますが、本来公費で賄われるべき消耗品や備品の類に、「寄付・寄贈」のかたちでPTA会費を充当し、公費の補完を常態化させているのはおかしなことです。おそらく、組織上は、PTA会長がいるようにPTA会計というポストもあるでしょうけれど、実際のところは、PTA会費の会計処理をしているのは学校の事務職員で、PTA会計の担当は名前だけになっているところが多いと思われます。中には、年に一度開かれるPTA総会では、会計報告を(PTA役員の会計担当者ではなく、手っ取り早く?)学校の事務長がやってしまうところもあるくらいですから。親や保護者の要望で学校備品への支出が決まるのではなく、ほとんど学校側の裁量で決まり、PTAはだいたいそれを追認するというわけです。
 要するに、PTAの会計は学校会計と事実上「一心同体」で、学校事務にとっては、公費分とPTA会費分と二つの財布があり、その境界があいまいになっていることが多いわけです。もちろん、支出にあたっては、ある程度の種別・線引きの「内規」はあるでしょうけれど、たとえば小生の記憶では、教科書会社がつくっている授業用マニュアルの「指導書」の購入費用などはPTA会費から支出していて、驚いた覚えがあります(教科にもよりますが、この「指導書」なるもの、非常に高額な代物です)。先生方は授業用マニュアルをあてにしないと授業ができないのかという声が聞こえてきそうですが、英語などは教科書本文の音声付録があり、教科書が変わるたびにこれを入手しないと授業に支障が出るので、どうしても購入が必要ということでした。その他、部活動の公式大会で応援団を派遣するときのバス代なども、確かPTA会費からの支出だったように記憶しています。
 識者にも「寄付・寄贈」の横行は好ましくないとする意見が大勢です。記事によれば、教育行政学が専門の福嶋尚子さんはこう言っています。
格差、維持管理、同意の担保… PTAから学校への寄付がはらむ問題 | 毎日新聞

 ……寄付の背景には「学校に十分なお金が回ってこず、教育環境を整備できていない問題がある」……。「寄付が公費不足を隠し、多寡によって教育環境に格差が生じてしまう」と危惧し、「本当に必要なものは公費で賄うべきだ。古くて危険な椅子があるなら、自治体に予算を付けてほしいと要望するのがPTA本来のあり方」と強調した。……

 しかし、予算不足を訴えるべき相手は自治体よりも国の方ではないかと思います。というのも、今年のOECDの教育白書によれば、2022年の日本の公的教育費支出の対GDP比は2.86%、政府支出に占める割合は8.04%で、比較上はかなり少額の部類ですし、子ども・若者1人あたりの額で言うと日本は37カ国中27位で、韓国やアメリカに遠く及ばない状況です。これをとりあえず中位くらいまで引き上げれば、状況は相当に変わってくるはずです。高市政権には(防衛予算増の前倒しよりも)教育予算増(投資)に一層努力すべきとの思いを抱きます。
日本の公的教育支出は、GDP比で見ても子ども1人あたりで見ても他の先進国より低い|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 毎日新聞の連載記事は「共働き世帯が増える中、時代にそぐわない運営や負担の重さを理由に、PTAのあり方に疑問の声が上がっている。時代に沿った保護者会組織の姿を考える」という趣旨で続けられているものですが、地域の自治会などと同様、任意ならば入りたくない、役員や活動の負担をもっと軽減すべきだという声は以前からありました。実際上、上に述べたとおり会費の使われ方をはじめ、問題はいろいろありますが、教職員と親・保護者(加えて地域も)が協力して子どもたちの教育活動にかかわるというPTAの趣旨(理念)自体が無意味と考える人が多いわけでは決してないでしょう。実際、学校行事を通じて子どもたちの様子を見たい、知りたい、あるいは教育活動にも可能な範囲で協力したいという親・保護者は少なくないわけで、「全否定」すべき組織ではないと思います。人に接する方法と同様、「手段」ではなく(「手段」ばかりではなく)「目的」として関わる=接するというスタンスであれば、惰性やら形式主義やらに流れて生じてきたこれまでの問題点を軽減できるのではないかと思います。毎日新聞の担当者たちも決してPTAが不要な組織だと言いたいわけではないでしょう。




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