米国トランプ大統領の来日で、昨日のメディアは日米首脳会談の報道一色でした。「演出(詐術)」の妙でも観察しようという気にもならず、テレビはチラ見してスウィッチ・オフでしたが、途中、ちらっとトランプが高市の肩か背中に手を回した映像を見たときには、昔の飲み屋かスナックの「画」かと思い、少々驚きました。一応二人は日米両国の首脳同士。意気投合した男性客と女性客、飲み仲間か、コンパニオン(失礼!)じゃあるまいし。トランプの男尊女卑や馴れ馴れしさは知られたところですが、(たぶん)相手がドイツのメルケル元首相(やイタリアのメローニ首相)だったら、いくらフレンドリーな気持ちを表すとしても、こういうことはしないでしょう。高市は女性として男のこういう所作に何か感じることはないのか(男から肩や背に手を回されるとうれしいとか)。いや、不快だったけれど、政府の代表として変なトラブルになるのを避けて、何事もなかったかのように振る舞ったとか。いずれにせよ「ちょいと、ドナルド! あたしに気安く触んないでちょうだい!」とは言わないで笑っているのは、相手に媚びているわけで、それが男女と同時に日米の上下(主従)関係の現れでもあるでしょう。片山財務相とベッセント財務長官が二人並んだ写真にもそういう雰囲気が漂いますし、男女ではないですけど、以前、岸田元首相も当時の米国バイデン大統領に肩をつかまれて何かを囁かれたとき、媚びた笑いを浮かべていましたっけ。
<補追>宮武領さんのブログを拝見したら、メローニもトランプに「気安く」触られ、かつ、高市とおんなじレベルで振る舞う写真が掲載されていました。メルケルと同等に並べたのは全く「お門違い」でしたので、これは却下します(恥笑)。
トランプ大統領が「この女性は勝者だ」と言いながら高市早苗首相の肩を抱くシーンに対する強烈な違和感。これは男尊女卑の象徴だ。 - Everyone says I love you !
前にブログで、高市は「実質的に『ガラスの天井』を『破った』わけではないけれど、既成事実だけは残した……」と書きましたが、その趣旨は、高市が日本の女性代表として、多くの女性たちから共感される政策なり権利なりを求めて活動してきた経緯はなく、夫婦別姓には反対、女性天皇にも反対、防衛費(軍事費)増を推進など、(自民党の)男性政治家諸氏(とりわけ統一教会との関係が切れない壺議員たち)からしたら、安心してトップを任せられる存在で、高市が党の総裁になっても、男優位のシステムは安泰だと。この意味で本当に今まで日本人の女性の出世の芽を押さえていた見えない「天井」を、彼女が突破したと言えるのかどうか怪しい。しかし、2025年10月に日本史上初の女性総理大臣が誕生したという歴史的事実は厳然として残っていくということで、高市本人が、私は日本初の女性総理大臣、ガラスの天井を突破できた唯一人の日本人女性と、一人ご満悦だとしたら、それでよいのか、という思いが残ります。
と思いながら、昨日新聞を眺めていたら、同じようなことを感じている人がいるんだなあと思いました。アジア経済研究所の牧野百恵さんは、今までの高市の優秀さや努力に敬意を表しつつも、「圧倒的な努力や優秀さがなければ(日本では)女性は首相になれない」というのは、そもそもおかしいのではないかと述べています。「高市さん、後進育成を」と題するインタヴュー記事からの引用です。
高市首相:女性首相、圧倒的な努力・優秀さが必要は変 高市さん、後進育成を | 毎日新聞
2025年6月の世界経済フォーラム(WEF)の発表によると、世界の男女格差を表す「ジェンダーギャップ指数」の日本の順位は148か国中118位。政治分野は125位とさらに低い。その日本で女性首相が誕生したことについて、牧野さんは「『リーダーや政治家になるのに性別は関係ない』という強いメッセージになる」と歓迎する。
経済協力開発機構(OECD)のデータでは、日本の男女の賃金格差や家事労働時間の格差は最大レベル。女性は男性の4~5倍の家事をしており、より厳しい条件で競争を強いられている。
……<中略>……
牧野さんが……高市氏に期待するのは「ロールモデル(模範)」の役割だ。「私もあんなふうになれるかもしれないと思う次世代の女性が増えていくことが重要」という。……
……総裁就任時の時に賛否が起こった高市氏の「ワーク・ライフ・バランスを捨てる」発言は……高市氏自身の強い決意として語ったものだが、「元々仕事に専念しやすい男性と違って、私生活を犠牲にするくらいのハードな働き方でなければ女性がリーダーになることは難しいという印象を与えかねないものだった」からだ。家事や育児など仕事以外の負担も多い女性に更なる覚悟や負担を求めれば、「自分には無理だと感じてしまう人もいるだろう」。
さらに、高市氏が政治の世界で男女の割合を一定にする「クォータ制」に否定的なことにも懸念を示す。21日に発足した高市内閣で女性閣僚の登用は2人にとどまった。記者会見で理由を問われると、高市氏は「私はあくまで機会平等、チャンスの平等を大事にしている」と説明した。
クォータ制を導入すると、能力の不十分な女性議員が「数合わせ」で増えて政治の質が低下しかねないとの指摘があるが、実際には能力の低い男性議員が排除されるだけで、全体の議員の質の低下にはつながらないという英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授らの研究結果もある。
牧野さんは「男性と競争すべきではないと『わきまえて』応募しようしなかった、能力のある女性たちの挑戦が促された結果だ。クォータ制は突破口として機能する」と強調し、高市氏にこう訴える。「『優遇などなくても今の地位を得ることができた』と高市さんのように優秀な女性がクォータ制に否定的な気持ちになるのは分かるが、意義を理解してほしい」
クォータ制についてはさておき、「男性だから、女性だから」という理由では自分は動かないと高市は言うかもしれません。しかし、男性側に大きく傾いたシーソーを平衡状態にするには、一度女性側に大きく(負荷をかけて)傾けなければならない(というようなことを、昔のあるロシア人が書いていました)。現在のしくみを踏襲する限り、日本社会の男性優位は動かないし、ジェンダーギャップ指数も下から数えて30番目くらいのままでしょう。
「ガラスの天井」を破った高市がやるべきことは、「天井」の上に座り、下を見下ろしていい気分に浸るのではなく、「天井」を完全に取り払って「青天井」にすることだと思います(その代わり「育成」には一切タッチしなくていいです 笑)。
