にわかに世間の関心を引き始め、自民党の総裁選でも論点の一つとなった外国人政策ですが、高市首相は総裁選中の演説会か何かで、自身の地元でもある奈良の鹿を足で蹴り上げる、とんでもない人がいる、日本人が大切にしているものを痛めつけるのはおかしくないかと、その人物がさも外国人であるかのような発言をしていました。おそらくこれは、以前ブログで触れたことがありますが、ネット上にある動画(蹴った人が外国人かどうかの真偽は不明ですが)を目にして発言したものと思います。去年のアメリカ大統領選のTV討論でトランプが発した「移民がペットの犬や猫を食べている」程ではないにしても、質的には大差ない扇動的言辞のように思えます。こうした発言を受けて、排外主義的なヘイトを拡散する向きもあることですから。
昨日の毎日新聞のオピニオン欄「時評フォーラム」で、ジャーナリストの森健さんは、外国人に対する規制の強化だけでなく、融和的で包摂的な政策(制度)が必要だと述べています。読んでいて、小生も外国人がこの国の労働力として必要不可欠な存在だということばかり述べてきて、外国人が隣人として共に生きているという感覚が足りなかったと少々反省しました。この件にはやはり生活者目線が必要です。一部引用します。
月刊・時論フォーラム:外国人政策/高市早苗・新首相/政治を良くするには | 毎日新聞
……8月に雑誌「アエラ」が行った調査ではインバウンドに対し「減ってほしい」と答えた人が約半数で「増えてほしい」を2倍以上上回った。神奈川・鎌倉では「白タク」疑いの車が激増し、東京都台東区では民泊2年で2倍以上になり、トラブルが増えたとも報じている。
長期滞在資格をもつ人たちにも問題がある。窃盗などの犯罪のほか、無許可で違法な土地開発などの問題も起きている。
だからといって外国人に「帰れ」というわけにはいかない。少子高齢化による人手不足で、飲食、宿泊、介護、物流など現業職を中心に、外国人労働者がいないことには経済が動かない状態になっているためだ。
一方で、まだ表面化していない問題もある。外国ルーツの子どもたちだ。文部科学省によると、公立学校に在籍する外国人児童生徒は昨年で13万8714人。このうち日本語指導が必要な児童生徒は約半数に及ぶ。
先日筆者が取材した元日本国際交流センター理事の毛受(めんじゅ)敏弘は、こうした外国人の子どもが孤立や困窮に陥り、適切な支援がない状態では将来、犯罪に走る可能性も否定できないと指摘していた。国が対処せず、自治体に丸投げしてきたのが日本の外国人政策の実態だからだ。
問題の根幹はそうした外国人が長期に暮らすことに対応せず、短期で帰ることしか想定していなかったことだ。
鈴木馨祐法相は8月、外国人受け入れ政策の見直しに向け、私的勉強会の論点整理を公表。経済、治安など七つの観点の検討を打ち出した。直近のインタビューで鈴木はこう述べている。「『生活者』として見る視点が欠けていました」
その上で、外国人が生活者として地域で真に共生する「社会統合」が不可欠と論じていた。
今こそ日本の移民政策を正面から論じるときだろう。実行すべきは規制強化だけではない。生活者としての外国人を長期で受け入れていくための、融和的で相互理解を促す包摂的な制度設計が必要だ。
だが、論点整理を出した鈴木も政権から去った。新政権は今後の外国人政策について国民の懸念を払拭できるだろうか。
もう20年以上、あるいはその前から顕在化していますが、「外国ルーツの子ども」たちの日本語指導は重要だと思っています。この前、地元の自治会内を回っていて出会った外国人の子どもは、まだ10歳に満たない男の子で、普通に日本語をしゃべっていました。日本で生まれるか、幼児段階で日本に来た子どもたちは、おおむね日本語で話すのは大丈夫だと思いますが、経験上、だいたい8、9歳あたりを境に、それより上の年齢で日本に来た子どもたちはなかなか日本語を話せるようになりません。小生も学校に勤めていた頃、日本語が話せない子どもたちとかかわってきましたが、想像すればわかるとおり、この子どもたちは授業に出ていても話がわからないし、字も書けないし、それでも努力、努力で頑張る子どももいましたが、挫折し、やる気を喪失させる子も少なくありません。今も状況がそう大きくは変わっていないと思います。
難しいのは、外国人の子どもの母語に通じ、かつ、日本語指導もできる人というのは、大都市ならばいざしらず、地方ではそう簡単には見つからないということです。個別に対応できないから一斉指導で、というわけにもいきません。森さんは「国が対処せず、自治体に丸投げ」と書いていますが、結局は「自治体(教育委員会)も学校に丸投げ」というところが少なくないと思われます。学校の先生方も忙しい中で様々な工夫や配慮をしていると思いますが、おそらく歯がゆい思いをしている人が多いでしょう。
総裁選で重要論点となった移民や外国人政策について。政権が代わって、外国ルーツの子どもたちに対する配慮(政策)をどうするのか。まさか外国人嫌いの単細胞決済で、税金の無駄だから日本語指導など必要ない、とはならないと思いますが、規制ばかりで融和・包摂の視点を欠いた政策をとれば、彼ら外国人の心は離れていくばかりでしょう。それでは識者の懸念どおり、孤立や困窮から犯罪に走る可能性を後押ししかねない。外国人犯罪で治安悪化、不安倍加に陥って、その片棒を担いでいるのが日本人自身というオチで、喜ぶ人は誰なのでしょうか。
奈良の鹿を蹴り上げられたら怒るけれど、外国ルーツの子どもたちを蹴り上げるのは平気――そんな恥ずかしい政策がとられないよう監視していかなければならないと思います。
