ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

メモ 米国 憲法制定と大統領の存在意義

 去年の夏に刊行された上村剛(かみむら・つよし)さんの著書『アメリカ革命』(中公新書)の評判がわりとよいので、今度読んでみようと思って調べていたら、「著者に聞く」というwebのインタビュー記事があって、中に興味深い話が載っています。
『アメリカ革命』/上村剛インタビュー|web中公新書

上村歴史を学ぶときの面白さの一つは、私たちが当たり前のものと思っている常識がいかに歴史のなかで偶然にできたものにすぎないか、と見直すことです。その意味で、憲法(Constitution)という国の根本的なしくみ(constitution)が体系立った法律として書かれているということもまた、私たちにとって常識ですが、実は決して自明の存在ではありません。
 アメリカ合衆国が、単にイギリスから独立したのみならず、人類の長い歴史のなかで何が本当に革命的な結果を生んだのかと考えてみれば、それは憲法を書く、という行為だったのではないかと執筆しはじめて、最初に思いました。アメリカの独立と建国について英語ではrevolutionという単語を使うので、『アメリカ革命』というタイトルにしたのですが、では何がアメリカ革命は革命的だったのだろうか、と問い直したときに、成文憲法が重要なのかなと思って、本書の軸に据えました。
 憲法制定を軸に置くことでもう一つみえてくる面白いことは、建国者たちが全く一枚岩ではなかったことです。なんとなくアメリカ人たちは一致団結してイギリスと戦い、そして自由を勝ちとったというようなイメージがいまだに日本では流通しがちですが、そんなことはまるでありませんでした。かなり激しい対立がアメリカ内部ではみられ、もしかしたら内乱になるのではないかというところまで危惧しながらかろうじて憲法を制定し、それを頼みにしながら国家運営を行なっていく。そんなダイナミックな建国史が、憲法という一見すると静態的な存在のなかに詰まっていることも、知ってもらえたらと思います。

――2024年、ドナルド・トランプ氏が第47代大統領に再選されました。アメリカでなぜ「大統領」という役職が生まれたか。アメリカにとって大統領はいかなる存在でしょうか。

上村建国期とそれ以降では、意味合いがかなり違いますが、さしあたり建国期には二つの役割が求められました。一つは議会の暴政を抑える存在。憲法制定時に建国者たちが危惧していたのは、議会の政治家たちが絶対的な権力を握って、暴政を振るうことです。これは彼らのイギリス政治へのイメージとも通底していて、イギリスでは議会がやりたい放題やったので、アメリカは税金に苦しんで挙げ句の果てに戦争に追い込まれた、という理解がかなりありました。だから、議会を抑えるために、議会とは独立した政治権力が必要である。そのようなイメージで大統領は設計されました。
 もう一つは、大統領に対して重視された要素が何かということです。エネルギー、迅速さ、責任といったものがあげられました。議会政治家は大勢いて、議会のなかで足を引っ張りあったりもしてしまうし、何か失政が起きたとき、誰が悪かったかもよくわからないから政治責任も取りづらい。このような議会の悪いところと反対の要素が大統領には求められました。一つに大統領府がまとまって、いざというときに迅速に意思決定を下すリーダーといったようなものです。そしてもちろん失政をすれば、責任を一手に取る、ということも重要です。

――大統領時代のトランプ氏が下院により弾劾訴追を受けたり、その後も刑事事件で起訴されました。立法と司法、そして行政という三つの権力が対峙する「三権分立」が生まれる流れも本書で追いました。

上村権力をどう飼い慣らすか。それによってどのように理想の政治体制を作るのか。これも、長い時間人類が考え抜いてきた問いの一つです。そもそも権力はどう分類できるのか、いくつに分けられるのか、その基準は何か。
 三権分立は、その問いに対して、人類が現在までのところ生み出したベストな解答の一つです。あくまで現在までのところ、ですが。そのような解答はどうやって生まれてきたか。なぜ立法、行政、司法の三つなのか。その意義はどこにあるのか。アメリカ革命にその鍵はあります。本書をお読みいただければわかりますが、これもたぶんに偶然の、歴史の産物なのかもしれません。

――民主主義の国アメリカは、覇を唱える超大国でもあります。本書で丹念に述べられていた点ですが、アメリカで民主化が発展していく流れと、帝国化を拡大していく流れは軌を一にしていたのだと。

上村アメリカは民主主義の元祖みたいな扱われ方をされることも多いですが、それははっきり違うのではないかといえます。建国当初、アメリカ合衆国は民主主義に高い価値を置いておりませんでした。しかし、西部に人が広がっていき、自分たちのことは自分たちで行なう人が増えるとどんどんと民主主義の価値が肯定的になっていきます。
 しかしそれは物事の反面です。これまで西部開拓として描かれてきたアメリカの歴史は、かつてそこに住んでいた人たちを殺戮し、追い出した歴史と表裏一体です。これは民族浄化ではなかったのかと論じられることも近年のアメリカ史では増えました。その意味で、アメリカの民主化と帝国化とは一つの歴史の表裏なのです。

 アメリカにとって大統領はいかなる存在か――(建国期においては)議会に好き勝手をさせないための存在。そして、(議会とちがって)迅速な意思決定を下すとともに、その責任を一手に引き受ける存在。初代大統領のジョージ・ワシントンが聞いたら、おそらく「仰天」しそうな話だと思いますが、21世紀の今の米国は、大統領が好き勝手にやって議会がそれを止められず、司法は大統領の息のかかった人物に染められつつあるという、ある意味「逆転現象」にさらされています。建国当時とはまた違った意味で危機的であり、三権分立の本来の精神に立ち返らないといけないというのは何とも皮肉です。

 もう一つ、上村さんは、アメリカを「民主主義の元祖」ととらえるのは間違いで、建国当初の米国は民主主義に高い価値をおいていなかったと述べています――「民主主義」をよいものと信じて疑わないとしばしば陥りやすい誤解は、ポピュリズムも(典型とは言わないまでも)民主主義であること、ナチズム政権が民主主義(的選挙)を経て生まれていること(カール・シュミットは「民主主義は喝采である」と喝破しました)、こうした弱点というか短所を見なくなるということでしょう(それでも君主政や貴族寡頭政よりもはるかに「マシ」だと思っていますが)。しかし、アメリカ建国当初の状況と民主主義への評価の詳細は、よくわかりませんので、それは本著を読んで確かめてみたいと思います。





社会・経済ランキング
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村