去年ノーベル文学賞を受賞した韓国のハンガンさんの『少年が来る』(クオン 2016年)を正月に読んでから、何となく彼女の作品をもう一冊読んでみたい気持ちがありました。
ハン・ガン『少年が来る』 - ペンは剣よりも強く
今朝の毎日新聞の書評欄で、作家の角田光代さんがハンガンさんの別作『涙の箱』を紹介しています。帯には「大人のための童話」と書かれているそうですが、涙を集めて売る人、そしてそれを買う人……そんな話の中にどんな「寓意」が潜んでいるのか、興味をおぼえます。
角田さんはこう書いています。
今週の本棚:角田光代・評 『涙の箱』=ハン・ガン著、きむふな・訳 | 毎日新聞
……もしこの物語を、本国(韓国)で発表された2008年当時に読んでいたら、幻想的でうつくしい童話として、さまざまな涙の不思議な色合いとともに記憶しただろう。けれどこの数年来、韓国での民主化運動や済州島での四・三事件といった、韓国近現代史に材をとったこの作者の小説を読んだあとだと、ここに登場するさまざまな涙の意味を、書かれている言葉のずっと奥に見つけようとしてしまう。時代の暴力に翻弄され、このおじいさん(赤ん坊のころ以来涙を流したことがない)のように、泣きたくても泣けなかった人たちを思い、恐怖や怒りやあきらめが、涙を凌駕ししてしまった人たちを思い、絶望によって涙が心の奥深くで凝固してしまった人たちを、思わずにはいられない。
さらには、私たち自身の歴史や今現在の姿、戦いの終わらない世界のありようをなども、自然に思い浮かぶ。流されてきた、今なお流される涙と、流れることのできない涙。おじさんの言うように「怒りや恥ずかしさや汚さも、避けたり恐れたりしない強さ」を得たときに、私たちは純粋な涙を流すことができるのだろうか。あるいはすべての戦いが終わるとき、世界が純粋な涙を流すのか。……
喜びや感謝の涙はいいけれど、怒りや悲しみの涙はできれば目にしたくはありません。が、ガザやウクライナのことは言うまでもなく、現実には後者の方がはるかに多い。
早速読んでみようかと、ネットを調べてみたら、Amazonも楽天Bookも入荷待ちのようです。これは次の遠出まで我慢して、自分の中で「純粋な涙」とどう向き合えるようになるか、その「醸成」を待とうかと思います。ハンガンさんの作品は、一冊読みましたではとても済まない、それなりの気構えと心の準備が必要と思います。
