9月18日は日中15年戦争の発端となった柳条湖事件のあった日です。それから今年で94年。100年、150年といった、いわゆる「節目」の年数ではありませんが、一年前のこの日に広東省の深圳で日本人児童が襲われる事件があったのは、この「歴史の記憶」と無関係ではないと思われます。また、今年中国では、731部隊を題材にした映画の封切りがこの日に設定された(当初の7月公開から延期)ことも、中国の人々にとって、この日が「特別の日」であることを思い起こさせます。
註)柳条湖事件:1931年9月18日、日本の関東軍がこの地の鉄道(南満州鉄道)を爆破。これを中国側が起こしたとして、鉄道防衛を理由に中国軍と交戦を開始した。これを機に関東軍の軍事行動は拡張し、ほぼ満州全域を制圧下においた。この軍事衝突は、偶発事を装って実質的な戦争に持ち込んだもので、日本は戦争ではなく自衛のための行為と表明し、満州事変と称した。1945年まで続いた日中15年戦争の始点とされる。
日中戦に関しては、戦場となったのは中国側だけです。この事件をきっかけに、人生が暗転した側は、世代が代わったとしても、そうそう忘れられるはずもありません。もちろん、日本の人でも中国に渡った兵士や軍の関係者、満州に移住した人々の中に大きな痛手や傷を負った人は大勢いますが、中国の人たちとは立ち位置が違うわけで、同じ「被害者」として括るわけにはいかないでしょう。
被害側と加害側の思いや視点にズレが生じるのは避けられないのでしょうか。
今日は翌19日。昨日から今日にかけて、9.18について、日本でどんな報道がされるのか、注意して見ていましたが、事件そのものを扱った内容の記事は管見の範囲では見当たりませんで、去年の児童殺傷事件との関連で日本人学校が休校になったりとか、外出を控えるような指示が出されたりとか、あるいは、上述した映画の上映など、概して中国側の反日感情(の高揚)とそれを警戒する話題が主だったように見受けられます。試みに、昨日から今日にかけての主なメディアの見出しの類だけを並べてみると、以下のとおりです。
〇NHK
柳条湖事件から94年 中国で式典 反日感情強まる懸念も
〇読売新聞
柳条湖事件から94年、映画「731」同日公開で反日感情に懸念…深圳日本人学校は安全確保のため休校
〇朝日新聞
柳条湖事件94年の式典、会場周辺は厳戒態勢 日本外務省は注意喚起
9・18、熱帯びる中国 柳条湖事件94年式典・映画「731」公開 「反日」懸念、日本側は注意喚起
〇毎日新聞
柳条湖事件94年/男児刺殺1年 中国の日本人学校 厳戒 休校や通学路の警備強化
〇共同通信
中国、柳条湖事件94年の式典 邦人社会は対日感情悪化を懸念
〇産経新聞
中国、柳条湖事件94年の「敏感日」731部隊の映画公開 深圳事件1年で反日感情に懸念
〇FNN
満州事変の発端となった柳条湖事件94年で式典開催…反日感情の高まり注意呼びかけ 日本人学校は休校など対応
別立てで何か深堀りする記事が併載されているかもしれませんが、上にある記事を読むだけでは(あるいは読まずに見出しだけでスルーするとすれば)、柳条湖事件がなぜ中国の人々にこの時期毎年想起されるのか、どうして記憶されるべき歴史的事件なのかはわからないでしょう。日本側の記事からは、ただ、去年のような事件が起きかねないので、中国側の「反日感情」には警戒しないといけないということが伝わります。「実用的」な情報として必要でないことはありません。また、事件のことには毎年適宜言及しているので、昨日から今日の記事だけ取り上げられても、ということもあるかもしれません。しかし、……です。
ふつう自分に過失がないのに他人から恨まれるのは心外です。個人同士ならそういう人とは付き合わないことにしよう、で済むかもしれませんが、国民同士となると、そうもいきません。もし、国民としてそうした感情が少なからずあるとしたら、そこに考えるべき点はないのか。「敵対感情」がDNAに組み込まれているのでなければ(もちろんそんなことはありません)、(不当な)プロパガンダや反日教育のせいだという説明で納得することもあり得ます。しかし、それでは十分説明しきれない部分(事実)は残るでしょう。そこに迫るのが報道やジャーナリズムの役割ではないかと思います。そうでないと、731部隊や南京虐殺から沖縄戦まで、「歴史の捏造」と称して、従来積み上げられてきた歴史(研究の成果)を軽々に否定し、捏造する輩の跋扈を許すことにもなります(現にそうなっています)。記事を眺めている人が毎年かわらないというわけではありません。同趣旨であろうとも、毎年繰り返すことにはそれなりの意味があると思います。メディアは「(反日)感情があります」で終わりにしてはならないでしょう。
これに限りませんが、新聞、テレビはがんばらないと。
