ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「移民の受け入れ」に向き合うこと

 ※題名を「『移民問題』に向き合うこと」から「『移民の受け入れ』に向き合うこと」に変更しました(追記)。

 この国では「謙虚」は美徳のひとつでした。「でした」と過去形にしましたが、今でも基本的にそうは変わっていないと思います。某国の大統領のごとく、いかに自分が偉大な人間かと、何でもすぐに自分の手柄に結びつけ、自己アピールをしたがるような人は、この国では眉をひそめられます。その点、大谷選手みたいに、どんな特大ホームランを打とうが、何個三振を奪おうが、尊大な態度をとらず、常に自省を忘れないコメントをする方が好まれます。これは外交術や文化といってもいいでしょう。あっ、別に大谷くんが本音でどう思っているかとか、ケチをつけたいわけじゃないんで(笑)

 この「謙虚さ」には一定の抑制がともなうものですが、どうもその「一線」が超えられたというか、「自己抑制」が解かれてしまった感じもします。
 ナショナルな意識で言えば、かつて、「日本を、取り戻す」というスローガンが掲げられた時期もありました(第2次安倍政権初期の自民党)。当時は、「日本人としての誇りを取り戻す」「古き良き時代の日本をもう一度」という意味合いで、具体的に外国人の動向が話題に上ることはなかったように思うのですが、今、参政党が掲げて世に広まっている「日本人ファースト」は、明らかに「外国人」を俎上にのせ、何かの機会には、比較上「日本人」が選ばれるべきであり、外国人は二の次で、彼らに譲る必要はないと言っているわけです。
博士課程の学生への生活費支援 対象見直し「日本人限定」に 文部科学省が有識者会議に示し大筋了承 | NHK | 文部科学省
(ファクトチェック)外国人への生活保護、日本人より優遇されている?:朝日新聞

 辞書を見ると、「謙虚」の「謙」は、「へりくだる、ゆずる、つつしむ、ひかえめにする 、うやまう、うやうやしくする」などの意味を含むようです。日本人の美徳である(はずの)「謙虚さ」が、対外国人との関係で後景に退いているのは何とも残念です。
 前にも書きましたが、日本人だけから税金を集めて、その配分先に税金を払っていない外国人が入っているのはおかしいというのなら、(それも短絡的で乱暴な話ですが)百歩とはいわず、三、四歩譲って、まだよしとしましょう。けれど、国内の外国人からも問答無用で、所得税も消費税も、社会保険料も……徴収しているわけで、なぜそこまで目くじらを立てて「日本人ファーストだ、税金は日本人のために使え」などと狭隘なことを言う人が増えたのか。しかも、TVを見る限り、参院選挙中の参政党支持者はかなり熱狂的でした。

 昨日送られてきた雑誌『地平 10月号』に、このあたりの分析がありますが、「日本人ファースト」の空気は参政党支持者に限ったものではないようです。瀧大知さんの論考にはこう書いてあります。

……かつては――ファシズム体制を想起させるために――政治的に取り扱い注意であった「ナショナルなもの」だが、現在その緊張関係が急速に崩れてきているように思われる。都議選の際、国民民主党の山口花(練馬区議)はXに「日本人の 日本人による 日本人のための 政治をお願いします。ここは 日本なのですから!!」と書かれた手紙の画像を添付、「若い女の人が走ってきてお手紙くれた。頑張るよ!」と屈託なくコメントした。あるいは「少年革命家」を自称、たびたびネットニュースで話題になるYou Tuber、SNSで有名なホストも「日本人ファーストの何が差別なんですか? 僕も18歳になったら選挙に行くけど、日本人ファーストで考えてくれる人に投票したいし、そうじゃないと日本が日本じゃなくなってしまいそうで怖いです。日本を守りたい!!!」「日本人の税金を日本人のために使って欲しい」と書く。
……

       (瀧「再来する『虐殺の文法』」、『地平』2025年10月号 44頁)

 「日本人ファースト」という語が胸にストンと落ちる人たちには、おそらく相応の事情や不安があるのでしょうし、そのこと自体、検証する意味がないとは思いませんが、ここでは参政党の「日本人ファースト」に絡む政策がとられた場合、どうなることが予想されるのか、なるべく客観的と思われることを書き留めておきます。それは、先日、本県の木更津市でも「ホームタウン」の認定をめぐってちょっとした騒動になった、「移民の受け入れ」についてです。同誌で田辺俊介さんはこう述べています。

……日本社会では2024年の一年間で、日本国籍者の人口は91万人、全人口に対する割合で0.75%減少している。その急減に対し、外国籍者の人口が35万人以上増えたことにより、総人口の減少は55万人超(比率で0.44%)に留まった。そのように人口減少のペースが緩やかになった分、経済規模であれ、労働力人口であれ、日本はギリギリ「先進国」の水準に踏みとどまることができている。仮に、参政党が主張するような外国人受け入れ制限を実行すると、(もともとは「外国人労働者が日本を選択しなかった」ときに外国人労働者が100万人減少した場合の試算であるが)5年目には実質GDPが3.9%も低下すると試算されている。そのような急激な経済規模の縮小が起これば、国家が提供する社会福祉医療保険といった各種セキュリティの供給への「不安」は、見事に的中してしまうだろう。
 以上が2025年現在の日本社会の現実であり、すでに多くの外国籍者が担う労働、支払う税金、社会保険料などで成り立っているのだ。愚直なようであるが、まずはそのようなリアルな情報を発信し続ける必要はある。
 またその現状認識をふまえれば、本来必要なのは排外主義とは真逆の、移民を「どのように受け入れるのか」という議論であろう。ただ、その議論を進めるためには、極右政党の伸長は阻害要因となるため、やはり排外主義の表出と広まりは抑制しなくてはならないだろう。……

           (田辺「排外主義の成り立つ地点」、『地平』同 38頁)

 田辺さんによると、外国籍者の人口は確かに増えていても、世論調査を見ると、極端な排外主義者はあくまで少数で、全体として(ヨーロッパなどに比べ)排外主義の熱量が高まっているわけではないとのことです。田辺さんら研究グループの4年ごとの調査では、外国人の増加によって「日本社会の治安・秩序が乱れる」かという質問に対して、2009年の時点で、「そう思う」「ややそう思う」と答えた人は計69%でしたが、2021年の調査では56%に大きく下がっています。それから4年後の現在は、また増えていそうな予感がしますが、この「不安感」は持続的に増えているわけではなく、メディアやネットでの扱い方に左右されている面が大きいように思います。

 今や人口の3%を占めるに至った外国籍者ですが、日本人で彼らと個人的な接触経験をもつ人はまだ少数派で、2021年調査では「挨拶程度のつきあいもない」と回答した人が約7割ということでした。日常で外国人と直接接触する機会がないことが排外主義による不安を増殖させていると思われます。
 しかし、はっきりしていることは、好むと好まざるとにかかわらず、今後日本の経済社会は(レベルを大きく下げることなく維持していくためには)移民を受け入れなければ立ち行かない局面にあるということです。きちんとしたデータにもとづいて「移民の受け入れ」に正面から向き合わなければならないときに、ヒステリックな反応でそれが阻害されるのは、何としてもまずいことです。落ち着いて日本社会を客観的に見なければなりませんし、謙虚さを失わないようにしないと。



 
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