「辞められない人たち」――起点をどこにおくかによりますが、昨年からだと、主なところで、斎藤兵庫県知事、参院選後の石破首相。そして、今また伊東市の田久保市長。
石破首相はともかく、あとの二人は法律違反を犯している可能性が濃厚です。それでも斎藤知事の場合、いったん辞職した後、再選挙に臨み、(まさかの)当選によって、県民の信任を得たのだと言い張る「余地」はありますが、田久保市長に関しては、今のところそれもありません。当初は斎藤知事と同様、辞任して改めて市長選に臨む意向を示していましたが、昨晩一転して、「選挙公約」実現のため、そのまま市長に「居座る」と「宣言」。何が気持ちを変えさせたのか(あるいは、前からそうするつもりだったのか、どうも後のほうが真実に近いようです)。伊東市の有権者が学歴(大卒)を理由に田久保氏を市長に選んだわけではないにしても、市長選びの「前提」が(嘘によって)崩れているわけですから、常識的には田久保氏がそのまま市長職にとどまるわけにはいかないでしょう。そもそも、いったん市議会議長らにチラ見せしたという卒業証書を公に示すこともできず、百条委員会に呼ばれても釈明もしないで、それこそ現状「逃げ回っている」わけですから、これでは市政のトップとして恥ずかしいというのが市民(多数)の声ではないかと(よくはわかりませんが)想像します。
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政治家にとって選挙がことさら大事なのは言うまでもないのでしょうが、勝てば官軍、負ければ賊軍、勝てば何でも正当化されるがごとく、当選を錦の御旗(オールマイティー)と見るのはどうなのか。一昨日ブログで書いた自民党青年局長の中曽根氏などは、去年の今頃は(青年局代理を辞任して)「謹慎」中だったはずですが、10月の衆院選で当選すると、11月には青年局長に就任。で、一年前の「破廉恥懇親会」への連座を忘れたかのように、今回自民党の若手を代表して、石破首相に辞任を求める急先鋒となりました。旧安部派の重鎮・世耕氏も参院から衆院に鞍替えした同じ10月の選挙で当選。裏金問題で自民党から離党中で、今はまだ復党できていませんが、流れとしては(いずれ)復党の方向に進む感じです。小生も含め、世の中忘れっぽい人が多いといっても、そうそう簡単に過去を「水に流して」なかったことにするわけにはいかないと思います。破廉恥懇親会にしても、裏金づくりにしても、こんなことをわりと平気でやってしまう政党がこれまで政権を担ってきたことによって、この国の「失われた10年」が「20年」、「30年」とずっと延長されて今があるのかと思ってしまうと、その弊害は、経済にとどまることなく、おそらく社会の風潮というか、世間の良識にまで及んでいると考えられます。1990年代後半以降、社会人となった人たちには、その前に社会人となった人たちに比べ、経済的社会的(政治的)に「いらぬ負担」(いや、損失)をかけてきたおそれは十分あります。
政治家の劣化と世間の良識の劣化は、どちらが先ということもなく、相互作用の産物なのでしょう。同じ意味で、国会議員と地方議員・首長の劣化も相互作用(相乗効果)の産物のような気がします。昨日の毎日新聞にあった、政治学者の御厨貴(みくりや たかし)さんのインタヴュー記事を思い出しました。
論点:戦後80年、これから 自民政治の転換期 インタビュー 御厨貴・政治学者 | 毎日新聞
――「政治の劣化」や「議員の小粒化」が指摘されて久しいです。
一つの選挙区から複数候補が当選した「中選挙区制」では、金権政治を生むなどの問題は確かにありました。それでも、党派は違っても、問題解決のために、同じ選挙区の議員同士が考え、協力する政治の「ゆとり」のようなものがありました。
1994年の平成の政治改革で、衆院は1選挙区1人しか当選しない「小選挙区制」を中心とした制度に変わりました。
私は、この制度について、安倍晋三氏に尋ねたことがあります。すると、安倍氏は「4期生までは、選挙で勝ち抜くことだけを考えろ。政策は我々が考える」と(若手議員らに)言っていることを明かしました。選挙至上主義、勝てば官軍なんです。仮に、4期生まで行ったとしても、そこから政策を、と言われても何もできないですよね。
……<中略>……
――交流サイト(SNS)の登場で、選挙スタイルは大きく変化しました。
これまで、政治に関心を持たなかった人が、政治を認識する効果はあります。ただ、そういった人たちは、政治にうぶであるが故に、SNS経由で最初に目にした内容に流されてしまう危険性があります。
既存の新聞やテレビに対しては、真実を見抜くリテラシー(能力)は高いと思いますが、SNSはどうでしょう……。批判的な能力を持って政治を眺めることができるかどうか、が重要だと思います。
<以下略>
問題があっても「鉄面皮」を押し通せれば辞職しないで済む――ある意味、兵庫県の斎藤知事の例を「成功モデル」のように解して追随する首長や議員が続きかねず、その繰り返しは、政治家と世間の政治意識の「劣化」をさらに進めるかもしれません。そういう意味で、田久保市長の言行は伊東市民だけの問題ではないと思います。
先回も書きましたが、行政のトップにヒーローは必要ないと思います。野球やサッカーなど、スポーツは、ホームランをかっ飛ばしたり、決勝ゴールを決めたりすれば、周りからすごい選手だと持ち上げられますが、行政の長は、「すごい腕利き」や「剛腕」よりも、日々「ルーティン」の連続を受けとめられる人物の方が好ましいと思います。ふだんはいるのかいないのかわからないような首長でも、住民が結果的に日々支障なく安全に暮らせていれば、それが行政マンとしての優秀さの証でしょう(学校の校長にも似たところがありますが)。そういう意味で、任期中に何をやるか(やったか)(=手柄)と同程度か、それ以上に、何も起こらない(起こらなかった)こと(=無事故)が「実績」になりうるわけで、「手柄」を前面に掲げて、いわばヒーロー(ヒロイン)になりたがる類の人は、行政の長にならない方が身のためだし、有権者もヒーロー(ヒロイン)の待望は捨てた方が得策だというのが私的な意見です。
辞職を撤回した田久保市長にしても、当人が言うほど「このままがんばってくれ!」という市民の声が多いようには見うけられませんし、顧問弁護士が何と言っているのかわかりませんが、この先に何が待っているのかは、だいたい予測がつくでしょう。議会は順を追って手続きを踏んでいくでしょうし、自らどんどんハードルを高くして、「終戦(敗戦)」を認めるチャンスを失っているようにしか見えないのですが。
