参院選が終わって、与党の過半数割れが確定しました。これで、石破さんは首相就任以来、主だった選挙で3連敗となりました。「スリーアウト、チェンジ」という声もある中、今のところは辞任せずこのまま続投の意向ということですが、自民党内の「辞任圧力」は相当なものなので、この先いつ「電撃発表」があってもおかしくありません(今日14:00から記者会見でした)。
与党大敗の一方で、今回の選挙で躍進したのは参政党と国民民主党でした。TVの選挙分析などを見ると、両党の躍進の原動力には明らかに世代差があって、参政党は40・50代のいわゆる「氷河期世代」、国民民主党は20・30代の「Z世代+α」の支持が多かったようです。
「外国人問題」とか「手取り増」とか、ワンイシュー(単一論点)を争点に据えるのは、有権者の支持を得るにはよい戦略で、それが、それぞれの世代的な「不安・不満」を「見える化」したことでしょう。しかし、問題がクリアされたら存在価値がなくなるようでは、この先政権を担えるはずもなく、早晩支持が頭打ちになるのは必至でしょう。そういうのは両党首ともよく分かっているのではないかと思います。参政党の神谷代表が今の段階で(秋以降の)連立入りをほのめかすのも、ちやほやされるのは今のうちで、このままではいずれ失速し、どこぞやの政党と同じことになるという「予感(危惧)」があるかもしれません。
しかし、参政党が今回掲げた「日本人ファースト」というスローガンは、欧米など各国で台頭する極右勢力の主張とも共通していて、「特殊」なスローガンではなく、手法としてかなりの「普遍性」があると思われます。上智大学の稲葉奈々子氏(国際社会学)は、フランスの極右政党との異同について、インタヴューでこう述べています。
参政党の躍進は何を示すのか? 極右化「フランス」との共通点、上智大・稲葉教授「シンボリックな変化が起こる」 - 弁護士ドットコム
〇日本とフランスに通じる構造的類似
──フランスで移民排斥が支持された背景は?
緊縮財政により社会保障費が削減されたことで生活が苦しくなる中で、移民は社会保障の不当な受益者だとして、人々の不満が移民に向けられるようになっていきました。
──日本と似ている点はありますか?
日本でも、小泉改革以降、社会保障費をはじめとする公共サービスの削減が続いています。
生活保護バッシングなどはヨーロッパではあまり見られない現象ですが、移民に対して社会保障費が使われることへの批判などが起きている点が似ています。
──逆に異なる点はありますか?
日本のほうがSNSとの結びつきが強いように感じます。たとえばX(旧Twitter)の利用率は日本が非常に高く、SNSを通じた政党活動の影響力はフランス以上ではないでしょうか。
〇「シンボリックな変化」が起こる
──今回、参政党が躍進しましたが、フランスで極右政党が勢力を伸ばしたときはどんな変化がありましたか?
フランスでもそうでしたが、今回の参院選の結果で、生活がすぐに変わることはないと思います。政治家が変わったからといって、行政の方針が急激に変化することはないです。
ただし、2010年にイスラム教徒の女性が「ブルカ」(顔や身体を覆う衣装)を公共の場で着用することを禁じられる法律が成立するなど、シンボリックな変化はありました。
日本でも、文部科学省が今年6月、次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING)の研究奨励費の対象から留学生をはずし、日本人学生のみを支援する方針を決定しました。
留学生がこの制度で支援を受ける学生の4割を占めることを問題視する議員による国会での質疑を経て制度の方針が突然変更されるという、異例ともいえる展開でした。
本来、国籍に関係なく研究が優秀であれば選ばれる制度で、国籍によって制限を設けることは差別です。
国家財政の赤字削減に寄与するほどの金額ではありませんから、排外主義的なシンボリックな意味合いのほうが強いと思われます。
すぐに生活に関わることが変わるのではなく、こうしたシンボリックな変化が起こってくるのかもしれません。
参議院でも少数与党となった自民・公明党は、参政党の主張に引っ張られて、以前だったら手を出しづらかった問題にも相乗りしてくるかもしれません。7月15日付「デイリー新潮」にはこう書かれています。
【参政党の躍進】「安倍政権の否定になってしまう」 その勢いを与党はどう見ているか(全文) | デイリー新潮
……参政党が支持を受ける主要な政策はいくつかあるようだが、その1つが「日本にいることを望まれていない迷惑な外国人を排除すること」だ。
「自民は違法外国人ゼロを主張していますし国民民主は外国人への過度な優遇を見直すと訴えており、外国人への向き合い方としては参政党独自の打ち出し方とは必ずしも言えません。が、ブレない印象があるのか、参政党の“迷惑外国人対策”は他党より支持を受けているようです。たとえば、違法な形で来日してそのまま居座っているような外国人に対して与党が生ぬるい対応を続けてきたと支持者が認識し、その現状を改善すべく政府与党に圧力をかけてくれる勢力として参政党に期待している部分もありそうです」(同)
与党が手を出せなかったテーマにも
「外国人に関して参政党は“土地・不動産購入についても厳格な制限を設け、国土やインフラの売買が安全保障上のリスクにならないよう監視体制を強化”することも掲げています。その段階にまで行かなくても、これまで以上に不動産価格の高騰などで悪影響がが高まってくれば、外国人による不動産の購入に一定の規制をかける方向にならざるを得ないのではないかとの指摘もあります。時期としては割と近い将来かもしれません」(同)
さらに、これまで主として与党が手を出せない・出してこなかったテーマに切り込む点も評価されているという。物議をかもしているが、公約に掲げる「終末期の延命措置医療費の全額自己負担化」もその1つだ。《終末期における過度な延命治療に高額医療費をかけることは、国全体の医療費を押し上げる要因の一つとなっており、欧米ではほとんど実施されない胃瘻・点滴・経管栄養等の延命措置は原則行わない》としている。……
これらのうち、いくつかは政策的な「日の目を見る」ことになるかもしれません。それは稲葉氏が言うとおり、人々の生活に直結するものではなく、それゆえにあまり一般の関心をひくものではないでしょうが、しかし(極めて)「シンボリックな変化」になるかも知れません。危惧されるのは、その背景や地盤には一般の人々の意識があるので、制度化と意識化の相互作用が繰り返されると、ますます排外的な空気が醸成・深化していくのではないかということです。
その結果、どういうことが起こりうるのか。たとえば、フットボールアワーの後藤輝基さんが自身のYouTubeチャンネルで紹介していたという成田空港での出来事はちょっと心に引っかかります。
「優しすぎる」「すごい」 フット後藤輝基、外国人への対応に称賛の声「日本人こんなんやと思われたらアカン!」 | マイナビニュース
英会話の話題になり、「スッと答えたいっていうのはある」と真剣な表情で語った後藤。実は最近、空港内を歩いていたところ、慌てた様子の男女に声をかけられたそうで、「英語でしゃべりかけてくるけど、見た目はアジア人でおそらく中国の方」と説明しながら、「“これはどこ? イングリッシュOK?”とか言うてくるから。“イングリッシュNO”って言うた。ホンマは答えてあげたいけど……。すごい残念そうで、時間間に合わへん! みたいな感じだった」と回顧した。
外国人の男女は、後藤の次に、空港職員に声をかけたというが、「(職員の)おじさんが、“上! 上! 上!”って。めっちゃ嫌な感じで言ってるんですよ。そのまま、バーッて行っちゃって」と吐露。その様子を見ていた後藤は、「日本人こんなやと思われたらアカン!」と思い、自分から話しかけたそうで、「“どこ? 日本語いける?”って。(相手が)翻訳のやつ出してきて、音声で“どこ行きたいんだ?”ってやり取りして。“じゃあ上や! 上や!”って」と助けてあげたことを明かした。
しかし、「最初から俺がしゃべれなかったがゆえに、タイムロスして間に合わなかったかもしれない」と悔やんでいる様子の後藤。「しゃべれたほうがええわ。でも、怖い。“Do you speak English?”って言われたら怖い」と葛藤を語ると、千原ジュニアや小籔千豊も、「わかる」と共感。「こっちが海外行ったとき、ホンマ助けてもろうてるしな」としみじみつぶやくジュニアに、小籔は、「ド根性英語で行くのよ。昔、一人で海外行ったとき、めっちゃやさしくしてくれたから」と返していた。……
「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」という言葉があります。適当な日本語が見つからないのですが、「社会資本」と直に訳してしまうと、道路とか橋とか、「社会共通資本」ととられてしまうので、「関係」という語を差し挟んでいると思うのですが、社会的ネットワークや人間関係の厚さを示す概念と理解しています。昔、アメリカの社会学者のロバート・パットナムが書いた『孤独なボウリング』という分厚い本を(決心して!)読んでいたら、彼はこう書いていました。もう手元にないので、記憶に頼った主観的理解ですけど、社会関係資本とは、個々の人間同士の交流の広さ、つまり人脈とか友人関係のことだけでなく(むしろ)、たとえば、見ず知らずの人が訪問先や旅行先でも安全に過ごせる、あるいは何らかのトラブルに遭遇しても、当地の住民たちが半ば当たり前のように助けてあげたり、救ってあげたりするような関係性、人間的つながり、そういう器量というか度量を包み込んだものだと。
上の引用で、フットボールアワーの後藤さんは、空港職員のすげない対応に「日本人こんなやと思われたらアカン!」と思って、いったん別れた外国人にもう一度話しかけたと言っています。話を聞いていた千原ジュニアさんや小籔千豊さんも、自分たちが海外に行った時は助けてもらったり、親切にしてもらったと言っています。これは「社会関係資本」の話をしていると解釈しました。人間的な絆(情)の分厚さ(深さ)は、「郷土愛」とは交わっても、「排外主義」とは交わらず、あまり相性がよろしくない。そこが人間同士の真のつながりを考えたとき、自国中心の愛国主義の限界だと思います。排外的な空気に侵食されていると、こうした人間同士の絆が少しずつ少しずつ欠損していかないかと心配になります。
参政党の「日本人ファースト」というスローガンは、単に選挙用に仕立てた文言だったかもしれませんが、思いのほか負の波及効果が考えられます。支持者には、外国人が優遇されていると(主観的に)思われる現象に遭遇すれば、「何で日本人よりも外国人が優遇されるんだ! 日本人ファーストだろうが!」と過度に事象をその語に落とし込む者がいるでしょうし、外国人の方も、何か日本で不当(と感じるよう)な扱いを受ければ、これは「日本人ファースト」という思想のせいだと受け止める人がいるでしょう。物事をこの語でもって理解する両者の距離は広がります。もちろん、「日本人ファースト」と思っている人でも、困っている人なら日本人だろうが外国人だろうが関係なく助ける、それとこれとは話が別だ、と言う人もいるでしょう。けれども、そう思っている人でも、直接利害がからむような場合にどうなるかは、定かではないと思います。
いずれにしても、今後も参政党が勢力を保ち、連立与党に加わって、彼らの言う「日本人ファースト」が政策に具体化され(「シンボリック」な変化が起こり)、あとから、それが何の「シンボル」なのかと思う(理解した)としたら、そんな事態にならないようにしたいものですし、状況をよく見ていくべきと思います。投票率が上がり、自公が過半数割れしても、単純によいとは思えない理由です。
