ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

ある政治系ユーチューバーの話

 神戸学院大学の上脇先生が、兵庫県の幹部職員が私的情報を漏洩した件に「関与」したとして、兵庫県の斎藤知事らを昨日告発しました。今朝の新聞にもそう報道されています。県の第三者委員会の調査報告の内容を普通に解釈すれば、知事の場合「関与」というよりも「(職務)命令」ではないかと感じるのは、決して穿った見方ではないと思っていますが、百歩譲って「関与」だとしても、知事本人は相変わらず「指示はしていない(部下が勝手にやった)」と自身の「関与」を否定しています。先に刑事告発を要請しながら県(知事)側に拒絶されていた県議会側の議員の一人は、この上脇先生の告発を受けて「議会としての告発は必要がなくなったかなと認識している」と説明していて、これじゃあ知事側になめられるわけだなと思います。

情報漏えい「捜査見守る」 斎藤知事告発を受け兵庫県議会(共同通信) - Yahoo!ニュース
「刑事告発しない」兵庫県議会に県が回答 前総務部長の情報漏洩問題 [兵庫県] [斎藤知事][漏洩]:朝日新聞

 斎藤知事の絡む一連の「兵庫県問題」を、この間、最も力を入れて報道してきたのはTBSの「報道特集」だと思われます。雑誌『地平』7月号に、同番組のキャスターを務める村瀬健介さんの記事があって、興味深く読みました。想像するに、この問題をめぐる報道で、TBSの「報道特集」とその関係者は、まさに「嵐の中を進む」思いだったでしょう。村瀬さんも「対立が際立って増幅するネット社会で、ひとたび嵐の中に入り込むと、その風圧は想像を超えるものだった」(同誌、95頁)と書いています。関係者がスクラムを組んで(さりげなく互いに気を遣いながら)、今日まで歩んできたことがうかがわれます。

 小生はすべての放送分を目にしたわけではありませんが、テーマのひとつとして「オールドメディア」に対する不信とネットメディアの影響力の増大が意識されていたと思われます。番組では、昨年の兵庫県知事選で斎藤知事や立花孝志の切り抜き動画を発注したり製作したりしていた人たちを取材しています。村瀬さんの記事にその一端が紹介されていましたが、何というのか、彼らは切り抜き動画の製作や編集を「仕事(ビジネス)」として淡々とやっているだけで、そこに斎藤知事や立花氏への思い入れ(賛同・応援)といった意識はほとんどないというのが意外でした。一つひとつの動画の影響力を云々できませんが、総体としての影響は甚大で、その「結果」として亡くなった人がいる――そういう事実をどう受け止めるのか。以下、村瀬さんの記事からの引用です。

……発注者側、つまりユーチューブのチャンネルの発信者はどのような人物なのか。……実はこのユーチューブチャンネルは、当初は斎藤知事に批判的な動画を配信していた。それが、知事選挙中に風向きが変わると斎藤知事擁護、立花氏擁護の内容へと変容する。このような例は他のユーチューブチャンネルでも多く見られる。要は、その時々で最も視聴数を稼げるコンテンツをつくると自然とそうなるのだろう。……
 現れたユーチューバーは精悍な顔つきの青年だ。やはり私たちへの警戒心を持っている様子で、インタビューの滑り出しは堅い雰囲気となった。……それでも、生まれたばかりの子どもにより良い日本社会を残したいと考えるようになり、政治系ユーチューブチャンネルを始めたこと、早朝の子どもを送り出すまでの時間と、夜、子どもを寝かしつけた後の時間を使ってチャンネルを運営していることを話し始めた。そして、自身が持つ三つのチャンネルからの収入が毎月数十万円に上ることも語った。
 質問を重ねていくと、彼の行動基準はビジネス合理性にあり、公益性や真実への誠実さといった、報道には欠かせない要素を顧みる態度は見いだせなかった。例えば、元県民局長の不同意性交罪を言い立てる立花孝志氏の主張を過激なタイトルをつけて配信していることについて、その内容は正しいと考えているのか、聞いた。すると彼は「正しいとは思っていないし、善悪の判断は僕はできない。ただ立花さんが言っていることをシンプルに届けるとこうなった」と答えた。また、竹内元県議を「黒幕」とするタイトルの動画についても、「より強い見出しというか、見てもらうためには、という思考にとりつかれていた」と説明した。
 私はこのインタビューの前日、亡くなった竹内元県議のご遺族への取材をしていた。竹内元県議がネット上の誹謗中傷でいかに追い詰められていったのか、そして今も止まない攻撃に遺族がどれほど苦しめられているかを目の当たりにしていた。それは文字通り胸の締め付けられるような取材だった。それだけに、そのユーチューバーが「より多く見てもらうために……」などと話すのを聞いていて、私の心は掻きむしられていた。インタビューの終盤、私はこう語りかけた。
「このようにお話ししてくださったことに感謝しているし、決して、問い詰めたり論破したりしようという気はありません。しかし、一点、どうしてもあなたにお伝えしたいことがあります」
 感情が溢れそうになるのを必死で抑えながら、次のように伝えた。
「私はきのう竹内さんのご遺族に会ってきました。竹内さんは、学齢期のお子さんを残されて亡くなられた。奥様は大変苦しまれている。お子様にどういうふうに伝えたらいいのか、今も悩まれている。亡くなられたあとも誹謗中傷が続いていることに今も苦しまれている。それをビジネスにして消費している社会に苦しまれている。こういうタイトルをつけて視聴回数が伸びると考えられたことは理解しますが、その先に本当に傷ついている人がいるということをぜひ理解していただきたい」
 彼は顔を真っ直ぐ私に向けて話を聞いていた。最初はきつく私の目を見据えていた顔の目つきが話をしているうちに緩んでいくのがわかった。最後には目の焦点が私の数十メートル後ろに結ばれているような表情になっていた。
 私が話していたのは一分ほどだったと思う。私はこれまで数多くのインタビューをしてきたが、この一分間は最も印象深い時間の一つだ。目付きや表情、姿勢から彼の中で何かが大きく変わっていくのが感じられた。
 私が話し終わると、沈黙していた彼はこう言った。
「すごく反省を、いま聞いて、しました。確かにSNSに侵されていたじゃないですけど、自分のスタンスを見誤っていた。誰かを傷つけるために動画を作っているわけではないはずだったのが、もし僕がこの動画がその一端を確かに担いでしまっているならば、むしろ子どもに対して自分がどういう顔を向けられるんだろうって……」
 彼はチャンネルをすぐに閉鎖すると誓った。
……実際に彼のチャンネルはインタビュー直後に閉鎖された。……

                   (『地平』2025年7月号、100-102頁)

 これは必ずしも 「美談」のように解すべきではないと思いますが、普通の感覚を失っていなければ、大概の人に「我に返る」要素、あるいはその機会はあると思います。村瀬さんは、「チャンネル運営がシステム化され効率性を上げれば上げるほど、そこに血の通った会話や議論が入り込む余地もなくなっている」と書いていました。それにしても、人の会話や議論にわざわざ「血の通った」という「ことわり書き」をつけなければならない世界とは逆に何なのか。「ビジネス合理性」なるものがはびこるSNSに、こうして記事を上げている自身を省みながら、恐怖と寂寞(と幾ばくかの反骨心)を覚えます。



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