ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

失言とユーモア

 思想史家の藤田省三さんの対談集を読んでいるのですが、会話だけに、書いたものよりも少しは話がわかるのかと思いきや、それは安易で甘い期待だったことを随所に思い知らされて、苦笑いするばかりです。でも、背景を含めてようやく話についていけるようになったと思ったところで、もう人生も晩年。もう少し早く話がわかるようになれていたらなあとも思うのですが、逆に、早ければ何かが変わっていたのかというと、それは何とも……。

 今日はユーモアについて、少しだけ書いてみます。昨日も戯れ言をものしましたが、笑いやユーモアは単純に楽しいというだけでなく、局面を変える力があると思います。多くの人に知られているとおり、アウシュヴィッツオシフィエンチム)の収容所体験を綴った『夜と霧』で知られる心理学者のV.フランクルは、

 ユーモアへの意志、ものごとをなんとか洒落のめそうとする試みは、いわばまやかしだ。だとしても、それは生きるためのまやかしだ。苦しみの大小は問題でないということをふまえたうえで、生きるためにはこのような姿勢もありうるのだ(孫引き)

と言っています。別のところでは「深刻な時ほど笑いが必要だ。ユーモアの題材を探し出せ。そこに現状打破の突破口がある」とも述べているようです(出所未確認)。人を最後の最後で救うのはユーモアかも知れません。

 今朝の毎日新聞のコラム「金言」でも小倉孝保さんはこう書いていました。
金言:自分を笑う余裕こそ=小倉孝保 | 毎日新聞

……4月に死去したフランシスコ前教皇は寄稿などで、悲観主義に陥らないためにもユーモアや冗談、ちょっとした皮肉を口にすべきだと説いた。
<私たち司祭はユーモアを楽しむ傾向があります。ジョークや面白い話をするのと同様、その対象となるのも得意です>
 過度に自己を愛し、自分に酔いしれる「ナルシシズム」を避けるには、自分を笑う余裕さえ必要だと強調した。<鏡の前で陶酔するよりも自身を笑うことです>
 対照的なのがトランプ大統領である。異常なほど笑われるのを嫌う。2016年4月、記者会主催の夕食会でオバマ大統領(当時)に笑いのネタとされ、憤慨したエピソードは有名だ。
 めいで心理学者のメアリー氏もおじについて、笑われたことを執念深く覚えている、と明かす。……

 政治家や有名人など、総じて普通の人々からすると「特権」をもつ存在は、敬意をもたれると同時に笑いの対象になるのは避けられません。当人たちにとっては、嘲笑の対象にされるのは耐えがたいかもしれませんが、それはある意味こういった人たちの「宿命」でしょう。むしろ、率先して「笑い」の対象になること、また、それを超えるようなユーモアを披露することで、存在感が高まるでしょう。

 冒頭の対談集で、藤田さんの対談相手の廣末保さん(近世文学者)はこう述べています。

……レーニンベートーヴェンの音楽かなんか聴いて感動しちゃって、こういう音楽を聴くと地獄で極楽を味わったような気がする。だから、しばらく聴かないほうがいいということをいったとか。……
               (『藤田省三対話集成2』、みすず書房、22頁)

 いつどんな状況で誰に向かって言ったものか皆目検討がつきませんし、真偽の程もわかりませんが、プロレタリア革命の主導者たるレーニンが、ベートーヴェンの(ごときブルジョワ?)音楽を聴いて感動するなんて……。でも、イデオロギーを越えて、いいものはいいと認めざるをえず、だから?聴かないことにするといった下りが、何とも笑えるというか、人間レーニンに愛おしさを感じてしまいます。

 コメについての「軽口(失言)」問題をきっかけに、このたび農水大臣が交代することになりました。前任者はジョークやユーモアのつもりだったでしょうが、聴いてる方にはとてもそうは受け取れない発言でした。後任の大臣も、コメ価格を下げることが至上命題で、内閣の命運がかかる大役を任されて、とてもまだユーモアを交えて話をする余裕はなさそうです。
 でも、苦境の時こそユーモア――それは、大臣も庶民も変わらないと思います。




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