日刊スポーツに掲載された(らしい)乙武洋匡さんのXへの投稿をめぐる記事を眺めていて、何かもやもやした気持ちになりました。乙武さんは、これまでも「障害者を優遇し過ぎる」という類いのネットの反応には適宜反論と説明をしてきたようですが、もやもやの一因は、その反応の一部に、障がい者に対する相変わらずの視線といいますか、援助を受けたいのなら「障がい者らしく?」するべきだといった「施しの目線」が感じられるからです。もちろん「障がい」と言っても広範囲で、一概に云々するのも乱暴な話ですが、それにしても彼ら彼女たちの近くには「障がい」をもつ人はいないのだろうかと思ってしまいます。
乙武洋匡氏「障害者を優遇しすぎといった意見があふれているのに…」逆質問の回答に疑問(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
乙武洋匡氏「障害者を優遇しすぎといった意見があふれているのに…」逆質問の回答に疑問(日刊スポーツ)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
今朝の毎日新聞に、高校1年生だった2000年の夏、交通事故により視力を失い、その後勉学を続け、40歳になる今年の春、大学で博士号を取得した女性についての記事がありました。引用をお許しください。
記者の目:ひき逃げ事故で視力喪失 針穴から見つめる光=貝塚太一(写真映像報道部) | 毎日新聞
……札幌市の安達朗子(あきこ)さんは高校1年だった2000年の夏、自宅近くの道路で信号無視の暴走車にひき逃げされた。一命は取り留めたが、脳挫傷や肋骨骨折などの重傷。事故前後の記憶は、いまだに戻っていない。
事故から約1週間。意識がはっきりとしてきたが、突然、ものが二重に見えた直後、電気を消すように視界が真っ暗になった。……
事故から3ヶ月後、奇跡が起きた。看護師がベッドの電気をつけた瞬間、安達さんの目の中に巨大な光が飛び込んできた。「光った!」。視神経の一部が再生した瞬間だった。右目は少し明るさを感じる程度、左目は針穴のような小さな視野が開けたのだ。
懸命のリハビリに取り組み、二十歳で北海道高等盲学校(現北海道札幌視覚支援学校)に入学した。学校で勉強するために単眼鏡を買ってもらった。左目の針穴の視野から世界を見るためだ。その単眼鏡で事故から5年ぶりに両親の顔をのぞき見た。
「久しぶりだね」。安達さんの言葉に、親子3人で笑い合った。
1日10時間以上の勉強に励み、08年に北星学園大短大部英文科に進学し、その後、同大学文学部英文科に編入して卒業した。短大、大学ともに首席での卒業を勝ち取り、学長賞を受賞した。
私(記者)が初めて彼女に会ったのは、大学の卒業年度だった。学校で初めて会った時も、授業を受けている姿も、明るい表情と前向きな姿勢と言葉が不思議でならなかった。
数日後に両親にお会いして合点がいった。悲観する様子をみじんも見せず、心から我が子の可能性を信じ続けていた。両親の「励ましの声」が、安達さんを支えているんだと感じた。
近所の公園で写真を撮らせてもらった時、単眼鏡を左目に当てて安達さんが初めて私を見た。「貝塚さん(記者)、こんな顔してるんですね」とほほ笑んだ姿に、事故から5年ぶりに両親と「再会」した光景がありありと想像された。
…………
健常者が数分で読める文章に10倍以上の時間がかかり、普通に学ぶこと自体、ハードルが高い。ここ数年は、内容が高度になる博士号取得への勉強に明け暮れた。彼女自身の想像を超える苦難の日々だったと語る。
「家族だったり応援しくれる方だったり、自分がつらいと思ったとしても、何としても恩返しをしたいという気持ちがあった。『力はもう出ない』と何度も折れそうだったし、3日に1回ぐらいは一人で泣く日が続きました。それでも私を信じてくれる人たちの思いと、これまですべてを乗り越えてきた経験が、『絶対、大丈夫』と思わせてくれた」と振り返った。
記者は25年前の交通事故は何だったのかと卒業式の日に彼女に問うています。はっきり言って興味本位ではとても聞けない質問です。彼女は、しばらく無言のあと、
「事故はただの事故でしかありません。私にとってあの日は、生まれ変わった日。今の新しい人生が始まった『スタートの日』です」
と答えています。
冒頭で触れた乙武さんは、「やり直せるとしたら健常者としての乙武洋匡になりたいと思いますか…?」との質問に
「現在の人生は、この障害とともに最後まで生き抜きたいと思っています。でも、もし生まれ変わりというものがあるとするなら、次回は健常者としての人生を生きてみたいと思います」
「ただ、それは『健常者>障害者』という考えからではありません。『今回は男性として生きたので、次回は女性としての人生を歩んでみたい』といったことと同様に、次回の人生ではまったく異なる景色を見て、異なる価値観で生きてみたいという好奇心からです」
「まずは『障害者としての人生はもうお腹いっぱい』と言えるくらい、この人生を満喫し、最大限に生ききってやろうと思っています」
と答えたそうです。
今朝の毎日新聞には、東京女子大学学長で神学・宗教学が専門の森本あんりさんのインタヴュー記事もありました。上の引用と同列に扱うのは、あまり適当ではないので引用はしませんが、個人的には、イエスの逆説的な問いの部分が目を引きます。
混迷する世界を語る:トランプ危機に「賢い光の子」であれ 森本あんり・東京女子大学長 | 毎日新聞
「貧しいものは幸いである」とか「放蕩息子の帰郷」とか、新約聖書には逆説的に響くイエスの言行がいくつもあります。それは漫然と、ということもないですが、毎日を何となく生きている者への戒めでしょう。「貧しいゆえに(富める者にはわからないことに)気づける」「放蕩したがゆえに(毎日品行方正に生きてきた者にはわからないことが)わかる」、そこに大切なものがあると思います。この場合、「健常者」を単純に「富める者」や「品行方正な者」に当てはめるつもりはありませんが、おそらく今のところ「健常者」に近い小生には、どんなに想像力を働かせても、乙武さんや安達さんの経験にはたどり着けないでしょう。あとはその一端を学べるかどうかです。軽薄な人間なりにですけれども……。
