ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

トッドの見る米国の「ニヒリズム」

 昨日、ハーバード大学は、学生や教員の「反ユダヤ主義的な活動(内実は「反ユダヤ」でなく「反イスラエル」ですが)」の取り締まりを強化するよう求めたトランプ政権の要求を拒否し、トランプ大統領は要求に従わない場合、補助金を打ち切る姿勢を見せているという記事を見ました(どこぞの国でも似たようなことが現在進行形で続いています)。小生にとっては、願望に過ぎませんが、米国は曲がりなりにも「学問の自由」を体現する国。そこまで理念どおりというか、「美化」しなくても、一般的に言って、こういう器の小さいことをしてまで相手を服従させようとはしない、それくらいの気概、気骨はあると思いたかったので、非常に残念だし、そのやり方に呆れます。米国政府も堕ちたものです。
米国:米ハーバード大、政権と対立 反ユダヤ主義管理、強化要求を拒否 | 毎日新聞
トランプ大統領がガザ侵攻に反対するハーバード大学などへの補助金を凍結して謝罪まで要求している姿は対岸の火事ではない。石破政権による日本学術会議の独立性を奪う反知性主義的な法改正を許すな! - Everyone says I love you !

 ところで、11月に邦訳が出たエマニュエル・トッドの『西洋の敗北』(文藝春秋)は、2月ですでに6刷と、かなり売れているようです。小生もミーハー心が働いて(一部分だけ)読んでみたのですが、なるほど、確かに米国はいろいろな意味で「器が小さくなっている」かもしれません。(すべてを真に受けるわけではないにしても)にもかかわらず超大国然とした米国トランプ政権の振る舞いが現にあるわけで、その落差、ギャップの大きさをどう解すべきか、考えさせられます。話の冒頭だけ少し引用させてください。

……1930年代のドイツのダイナミズムと現在のアメリカのダイナミズムは、空虚を原動力としている点で共通している。いずれも政治は、価値観なしに機能し、暴力に向かう動きでしかなくなっている。……今日のアメリカに私が見るのは、思想面における危険な「空虚さ」と強迫観念として残存している「金」と「権力」である。金と権力は、それ自体が目的や価値観にはなり得ない。この空虚が、自己破壊、軍国主義、慢性的な否定的姿勢、要するにニヒリズムへの傾向をもたらす。……ニヒリズムは、単に自分や他人に対する破壊欲求を表すだけではない。より深い次元で一種の宗教と化す時、ニヒリズムは現実を否定するようになる。……

 まずニヒリズムの端的な適用例として、アメリカの死亡率の推移を挙げよう。
 2020年に発表された『絶望の死』で、アンヌ・ケースとアンガス・ディートンは、2000年以降の死亡率の上昇、特に45歳から54歳の白人男性の死亡率の上昇を分析している。原因はアルコール中毒、自殺、オピオイド中毒であるが、黒人死亡率の継続的な低下によって全体の死亡率の上昇はわずかに相殺されている。アメリカは先進国で唯一、平均余命が全体的に低下している国である。2014年に78.8歳だったのが、2020年には77.3歳に低下した。その一年後の2021年には、アメリカ人の平均余命は76.3歳、イギリス人は80.7歳、ドイツ人は80.9歳、フランス人は82.3歳、スウェーデン人は83.2歳、日本人は84.5歳となっている。
……アメリカの近年の平均余命の低下は、1980年以降の新自由主義時代における経済成長の鈍化に続いた現象だった。さらに、コロナ禍以降においても、他の先進国で見られたような素早い回復は見られなかった。コロナ禍は、アメリカ国内の人種・民族集団において、以前からの悪化傾向をより加速させてしまったように見える。
 未来を予告する指標としての乳幼児死亡率は、アメリカの遅れを示している。しかもそれは、アメリカが「保護」している他の先進諸国、あるいはアメリカと対立している諸国よりも深刻な水準である。2020年頃、UNICEFの統計によると、アメリカの乳幼児死亡率は、新生児1000人当たり5.4人、ロシアは4.4人、イギリスは3.6人、フランスは3.5人、ドイツは3.1人、イタリアは2.5人、スウェーデンは2.1人、日本は1.8人だった。
 このアメリカの死亡率を、1776年の独立宣言に示された偉大な歴史の目的と比較すると、驚きはより大きくなる。<われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ>。しかし、さらに驚くべきなのは、この死亡率の上昇が、世界で最も高額な医療費を伴っていることである。2020年時点におけるGDPに占める医療費の割合は、アメリカは18.8%で、フランスの12.2%、ドイツの12.8%、スウェーデンの11.3%、イギリスの11.9%を上回っていた。もちろん、これらの比率も低めの見積となっている。というのも、同年のアメリカの一人当たりのGDPは76,000ドル、ドイツは48,000ドル、イギリスは46,000ドル、フランスは41,000ドルだったからだ。……
 さらに悪いことがあり、ここで「ニヒリズム」の概念の妥当性が完全に明らかになる。アンヌ・ケースとアンガス・ディートンは、アメリカの死亡率が上昇した一方で、一部の医療費が人々の破壊に使われていたと指摘している。私がここで言及しているのは、オピオイド・スキャンダルである。大手の製薬会社は、高給取りの悪徳医師を後ろ盾に、経済的・社会的理由から精神的苦痛を抱える患者に対し、危険で中毒性のある鎮痛剤を提供したが、それはしばしば、直接的な死、アルコール中毒、あるいは自殺につながった。この現象こそが、45歳から54歳の白人男性の死亡率の増加の説明となる。つまり、ここから見えてくるのは、結果として自国民の一部を荒廃させて何とも思わないような一部上流階級の背信行為である。……要するにこれが「道徳ゼロ状態」なのである。2016年、ロビー団体(法的にも、公式にアメリカの政治システムの一部となっている)に支配されている議会は、保健当局によるオピオイド使用の一時停止を禁止する「患者アクセスの確保と効果的な医薬品施行法(英語名略)」を可決した。つまり、製薬業界が市民を殺し続けることを認める法律を市民の代表が可決したわけである。これがニヒリズムなのか。もちろん、そうである。

                     (大野舞訳、同書、266-269頁)

 上の引用はまだ「序の口」に過ぎず、トッド氏の面目躍如はこれ以下に続く部分の方でしょう。近年の米国は宗教右派の台頭が言われますが、それも彼に言わせれば、米国における宗教の全般的消滅と倫理・普遍性の喪失(不正義の勝利)、教育水準の低下などと密接に関係しているようです。日本にも部分的に重なる傾向がないのかどうか。「ニヒリズム」に傾く国に「忠犬」のように振る舞う国がこれと無縁な「道徳国家」であるようには思えないのですが……。




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