ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

学費問題から垣間見える社会

 久々に投稿します。最近、ものを書こうとしても「しっくりいく言葉」が出てこないことが多く、これは何も年をとったせいばかりではないと思いますが、結果、時間ばかりが過ぎてしまうので、(今後は)引用に比重をおこうかと思います。
 今日は雑誌『地平』5月号所収の「大学で声をあげるということ」という座談会の記事から、印象に残った部分を引用してみます。現在、各大学で学費の値上げや負担増の動きが続く中、学生の声を紹介し、そこから今の社会状況が垣間見える貴重な記事だったと思います。大学側と学生側が学費問題で対峙するのではなく、交付金の削減を進めてきた政府に対し、ともに声をあげていくべきなのに、という話につづいて、学生さんたちはこう発言しています(発言者の名前はアルファベットに変更しました)。

  意志決定の過程に教員も学生も入れなくなっていることが大きな問題だと思います。私たちの学費値上げ反対アクションを応援してくれる教職員の人たちや院生もたくさんいるのですが、表立って声を上げにくいという状況があります。
  執行部と執行部に属していない教職員が分断されているという状況もありますよね。もちろん、教員の中にも値上げに賛成する人もいますが。
 AO 執行部の人で、「アメリカやイギリスでは学生が負担するのが当たり前なんです」と言う人がいましたが、状況が違う。それにアメリカがどうあれ、高学費がいいとは言えない。
  武蔵美でも、応援してくれている教授によると、教授会ですら詳細は知らされておらず、学長とその周辺の少人数で決めているそうです。ただ、反対している教員はいても反対勢力が強いわけではないです。表だって教員が反対すると首が飛ぶ可能性があると言われていて、それが共通認識なのが怖い。本当に一部の上層部の人だけで決めて、専任の教員ですら何も言えない、そんなのが大学の状況だなんて、あり得ないですよね。気持ちとして反対の人はたくさんいても、一緒に声を出してくれる人はとても少ないです。
  私ももし自分が専任教員だったら、と考えると、躊躇は感じるだろうなと思います。自分の首が飛ぶことが怖いというより、不当な解雇に着目してくれる社会が存在しないって思うんです。不正義をただしていくという話が社会から出てこないかもしれない。だからこそ、いま、社会が注目してくれるようにしていかないといけない。自分のところの学生に対して、(キャンパスに)≪侵入≫という言葉を使う大学のおかしさ、警察の介入にも社会の目が必要だし、なぜ学費が値上げされるのかという構造に社会的な注目を集めていかないといけない。問題を指摘することではなく、問題がそのまま放置されることがおかしい。けれどそれが社会の現状だと思います。
 AO 自分も、やはり親に反対されていますね。「お前、院内集会なんかになんで参加しているんだ」「お前、内定もらってんのに政治活動するなんて、なに考えているんだ」って。自分たちのことはともかく、後輩たちが高い学費に苦しめられるのはおかしいということをいろいろ話して、最終的には理解してもらいましたが、やはり顔出しはNGですね。
  就職のことを考えると名前や顔写真は出せないという人は多いですよね。
 AR 日本の教育の中で、政治についてあまり人と話してはいけないとか、特にSNSなどネット上では政治的な行動・言動を冷笑し嘲笑する雰囲気が醸成されていて、ボードを持って学内で立ってただけで「活動家」と揶揄されるような状況があります。緊急アクションのアカウントには「大学は福祉じゃねえぞ」と書かれてました。私たちは人権の話をしているんです。
  「そんなに学びたければ一回辞めてお金を作ってまた入れ」とか、私が髪を染め、一見困窮してなさそうであることへの否定的な反応もありました。「そんな髪の色で困窮を主張しても誰も話を聞かない」「iPhoneを見るのではなく印刷するべき」といった私の「作法」を批判するトーンポリシングからわかるのは、困窮者は「被害者」という顔をして「助けてください」と言うべきだとする社会のまなざしです。
 AR 「助けたくなるような弱者であれ」っていう圧力があります。実情に想像力を働かせたり、そうした声に接してみたり、手段はたくさんあるんですけど、まったく受け付けない壁を作っちゃっている感じ。私たちのいろんな声明や動画、街宣は風景の一部と化していて、それを自分の中に取り込むことはなく、他人事だなって。「稼げる大学」とか競争的資本とか、自己利益の追求が行われていて悲しいです。

<中略>

――それぞれの今後の課題や取り組みについて教えてください。
 AO 学費値上げは私たちだけではなく、子どもたちが学生になったときの問題でもあって、広範囲に影響を与える問題です。ぜひ多くの市民の人たちに、他人事ではなく、自分も当事者だという認識を持っていただきたいですね。また、大学の中から声を上げていく土壌がどんどん削られているので、そこにも目を向けてほしいです。
……
  成績要件のある奨学金では、学費を補填するために、「優秀さ」を立証し続けなければならないけど、生活するためのバイトに追われていると、その両立は難しい。しかも、ここで求められる「優秀さ」は、結局、ネオリベラリズム的な価値観につながっていて、社会的、構造的に解決していくのではなく、どこまでも自己責任で解決するという話になってしまっている。これは本来の学びの姿ではないのではないか、という問いを、私たちのアクションで示していきたいです。
……
  世間も動いていて、みんなの声が可視化されたことで、武蔵美でこの問題をどうしていくか、いま急ピッチで取り組みを進めています。来年度から学費は値上がってしまうんですが、今年度中に要望書や公開質問、これまで集めた署名、さらに美術関係者や研究者、世界的に活躍しているアーティストの方の賛同コメントも合わせて提出します。大学の強硬姿勢には正直、あきらめの気持ちも強いです。もともとは学費値上げ自体を撤回させるのは難しそうだから、減額を要求しようと思っていたんですけど、アクションに参加している留学生の一人が「この問題(留学生のみ学費増額)自体が非常にアンフェアで、勝手に決められているのだから撤回させたい」と言ってくれて、やっぱり撤回を求めていこうと。学生の立場も教員の立場も弱いし、話題に上げることすら難しい雰囲気ではあるのですが、自分が在学しているうちにやれることはやっていきたいと思います。少しでもこうした問題に興味を持ってくれるなら、一緒にやっていただきたいです。目線をこっちに向けてほしいです。
  運動が起こっていても、問題の影響が自分に及ばないと無関心になって距離感が出てしまいます。10年ぐらい前は差別に無頓着だったエゴな自分ですら、「これでは人権がありません」って言わなければならない段階にまできた。それだけ社会が良くない方向に変わってきているんだろうと思います。
……
  学生として「大変なんだ」というと、「もっと頑張ればいい」とか「頑張れない人は切り捨てて頑張れる人に支援すればいい」というリアクションが社会的に少なくない。しかし、そもそもこれは権利の話なので、頑張るとか頑張れないということに関係なく、どんな人でも学ぶ権利があるということです。だから何よりもまず、大学で学ぶ権利の保障としてこの運動が展開できたらなと思っています。
   もう一つ、若者が政治的にアクティブであること、社会的な問題について発言していくことを危険視する感覚が日本社会では根強いと感じます。おそらくこうした忌避感の背景に、1960年代以降の学生運動の歴史があるのでしょう。若者や大学と政治性をめぐる問題の「根深さ」は、ひとりの若者としてたくさん実感してきました。でも歴史に学ぶ私たちは非暴力を中心に置いていて、間違ってもかつてのような形にならないように運動を展開しているのだということを理解してほしい。だから私は、学生と教職員・大学とが、問題意識を共有して連携していきましょう、と伝えたい。傷ついた記憶があることは理解しますが、だからといって私たちが学費問題で沈黙していなければならないわけではない。非暴力の抵抗の根底には、意見が違っても対話し連携を絶えず試みる姿勢が不可欠です。非暴力の抵抗の実行という小さな成功を私たちは既に収めていますが、「小さな成功」だけでなく、学費負担の減免という実を取りに行きたいです。
  院内集会やスタンディングなど、非暴力の手段を貫き、非暴力を原理として、対話を求める姿勢も一貫しています。一方、東大の執行部は見解として「交渉」と「対話」を分け、「対話は交渉ではない」とはっきり言った。それに対して学生側は抵抗手段として「対話は交渉ではない」という発言をSNSや立て看板で拡散していたんですね。
   総長対話のあと、学生の非暴力の抗議に対して大学は「学生が校舎内に侵入した」というロジックで警察を導入しました。これに対して学生側はSNSや立て看板で「今日も大学に学生侵入中」と、その論理破綻を笑いに変えるなど、暴力のない抵抗形態を貫いています。……
 <以下略>

                      (『地平』5月号、126-130頁)

 

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