ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

終わっていない「戦後」

 一般に第二次世界大戦は1945年夏で終わったと考えられています。とりわけ、日本の人は「終戦記念日」とされている8月15日で「戦争は終わった」と思っている人が大半だと思われます。しかし、「事実」として、そうではありません。千島や樺太など各地でソ連軍との戦いは継続していましたし、武装が解除されていないという意味では、9月まで「戦争状態」が続いていたところもあります。
 さらに言えば、戦闘がなくなったから「終戦」だと、単純に語れないケースもあります。今朝眠気眼で新聞をパラパラとめくって、ある記事を眺めているうちに、だんだんと「意識」が鮮明になり、しまいには背筋が伸びるような思いがしました。専門記者・栗原俊雄さんによる「シベリア抑留犠牲者「村山名簿」の遺産」という記事にはこう書かれています。
現代をみる:抑留犠牲者「村山名簿」の遺産=栗原俊雄 | 毎日新聞

 ひつぎの中の顔は、穏やかだった。10月9日に92歳で亡くなった村山カズさんの家族葬に、私も参列させてもらった。顔の横には夫・常雄さんの写真が添えられていた。夫婦と初めて会ってから16年。「ありがとうございました」と、2人に手を合わせた。
 第二次世界大戦は1945年夏に終わったと考えられている。しかし「終戦」から始まった戦争被害もある。抑留はその一つ。ソ連は旧満州(現中国東北部)などにいた日本人兵士や民間人およそ60万人を、自国領やモンゴルに拘束した。抑留は56年12月まで、最長11年に及んだ。強制労働と極寒、飢えなどで6万人が命を落としたとされる。
 2008年9月、私は抑留の取材で新潟県糸魚川市の村山さん夫妻の家を訪れた。常雄さんは4年間抑留された。帰国後は保健所職員として働きながら、大学の通信教育で学び教員資格を得た。52年春に新潟県の公立中学校の教員として採用され、長く務めた。カズさんとは映画館で偶然出会い、54年春に結婚した。
 常雄さんは、抑留体験をほとんど話さなかったという。しかし、(妻の)カズさんは「亡くなった人たちのご供養をしたいのでは」と察していた。69年8月、夫婦でツアーに参加し、ハバロフスクの日本人墓地などを訪ねた。常雄さんは何度も泣いていた。
 ソ連は長くにわたり、国際法違反である抑留の実態を明らかにしなかった。死亡者名簿を日本に提出したのは91年になってから。そこには日本人3万8649人の名前がロシア語でつづられていた。厚生省(当時)などが翻訳し、カタカナで公表された。「シネオ」「シネゾウ」など、日本人ではありえない名前が多数記されていた。
  *
 「たくさんの人たちが若くしてバサッと命を奪われた。国のせいでそうなったのに、『無名戦士』とひとくくりにするのは許せない」。常雄さんは96年、70歳でパソコンを始めた。不正確なカタカナの氏名と、自らが集めた戦友会名簿や抑留体験者の手記などを突き合わせて、正確な氏名を一人一人再生させていった。
 名簿作りに集中すると食事を忘れた。高血圧の持病もあった。そんな村山さんをカズさんは気遣い、「今倒れたら誰も引き継げませんよ」と声をかけながら支えた。10年かけての名簿作りは、09年に発刊された編著者「シベリアに逝きし46300名を刻む」に結実した。……
 20年から、名簿に記載された名前を遺族らが読み上げる追悼式も開かれている。私も参加させてもらった。一人一人の名前を読み、聞いていると、「死者6万人」という概数では伝わらない、確かに生きていた人間が命を落とした事実が胸に迫る。読み上げの追悼は、抑留の史実を継承していくための貴重な機会でもある。それができるのも、村山名簿があればこそ。まさに戦後補償史研究の金字塔だ。
 常雄さんは編著書の中で、カズさんのことを「戦友」と記している。「この戦友は、(中略)終生シベリアとは別れがたい私の立ち位置を理解し、ただにその場に寄り添い続けてくれました。(同)茫々50年。今にして私はこの天の配剤と天与の共生に、この戦友と共に深く叩頭するほかありません」。金字塔は、カズさんの応援があったからこそ建てられたのだ。……

毎日新聞、2024年11月2日付、4面)

 亡くなった村山常雄さんにとって自らが作った「名簿」が「金字塔」と呼ばれるのは名誉なことで、妻のカズさんにとってもそれは同じだと思います。しかし、「名簿」をつくろうと思ったときには、そういう「評価」はどうでもよかったというか、「結果」についての想像など微塵もなかったでしょう。ただ、最後までやり遂げたい、やり遂げなければという一心だったと思いますし、それを支えていたのが亡くなった「戦友」と終わっていない「戦後」への思いだったと想像します。
 こうした記事を読むたびに「戦争被害」というか、「戦後」はまだ「終わっていない」という感じを強くもちます。沖縄の基地もそうだし、「北方領土」の問題もあります。シベリア抑留に話はとどまらないと思います。「国のせいでこうなったのに……」という記事中の村山さんの一言が頭に残るのです。

シベリア抑留 死亡者の名簿 4万6300人分を作成 村山常雄さんの業績を振り返る | NHK
故村山常雄さんのつづった4万6300人の名前の意味はなお…没後10年の回顧展 シベリア抑留の記憶伝える:東京新聞 TOKYO Web



社会・経済ランキング
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村