毎日新聞の日曜連載のコラム「松尾貴史のちょっと違和感」は、毎週楽しみにしている記事です。今日の記事では、自民党総裁選に立候補している河野太郎氏のキャッチフレーズ「国民と向き合う心」の「嘘くささ」を痛烈にぶったぎっています。
松尾貴史のちょっと違和感:向き合う心? 何かのギャグだろうか | 毎日新聞
……、河野太郎衆院議員が記者会見を開き、正式に総裁選に名乗りを上げたというニュースがあった。なんでも、キャッチフレーズは「有事の今こそ、河野太郎 国民と向き合う心。世界と渡り合う力。」なのだそうだ。何かのギャグだろうか。彼ほど「向き合」わない政治家を、私は知らない。そして彼が「渡り合う」のは、自分より立場の弱い役人ぐらいのものだ。
SNSのX(ツイッター)で一般のアカウントを次々とブロックしていることで、記者から「首相の資質はあるか」と聞かれた河野氏は「ツイッターはXと名前が変わってから誹謗(ひぼう)中傷が管理されなくなったのではないか」と答えたが、もちろん真っ赤なうそである。彼が一般人のアカウントをブロックしまくるようになったのは最近のことではない。ツイッターの呼称が変わるよりも前、3年前の「ニコニコ生放送」で、自身の口から「堂々とブロックします」という宣言までしている。それも、ごく冷静な意見や、ワクチン接種後に健康被害を訴えた女性の悲痛なSOSをもブロックした。そもそも一度も「絡んだ」ことがない相手までブロックしているのだ。賛成論だけではなく、国民のさまざまな意見や要望に耳を傾けることが政治家にとってすこぶる重要な作業だと思うが、彼にはそうではないらしい。
以前の記者会見でも、気に入らない質問に「次の質問どうぞ」を連発し、わざとらしく背広についたホコリを払うような仕草をした。その異様な光景は、「次世代のリーダー」などと持ち上げる人がいることと合わせ、ただただ不気味に感じたものだ。こんな程度の人物が、国民の生命、生活や財産を守る先頭に立つと思えるはずもない。
平気でなのかうかつになのか、これほどわかりやすく、すぐにバレてしまううそをつくような人物に、首相の資質が備わっているわけがない。あまりの厚顔さに失笑を禁じ得ない。イギリスのBBCによるインタビューでも、紙の保険証を廃止して選択肢をなくそうとしているのに「マイナカードは強制ではない」と述べた。そして裏金問題については「報告を怠った議員の多くは返還している」などという虚偽を述べていた。一体どこに「返還」できたというのか教えてほしいものだ。
姑息(こそく)にも、総裁選に及んでブロック解除を一時的に行っているとも聞いたが、私はブロックされたままだ。いや、解除してほしくはないが。(放送タレント、イラストも)=8月27日執筆
「誹謗中傷」と言えば、金曜日の兵庫県議会の「百条委員会」(文書問題調査特別委員会)の尋問で、証人の斎藤元彦知事も、今年3月に自身のパワハラ等を告発する文書が発覚したときのメディア会見で、告発に対して「嘘八百」「公務員として失格」などと発言したことを振り返ってこう言っていました。
委員:……(会見で発した)「嘘八百」という表現については、ご本人も強い表現をしたということで反省しているとおしゃっていますが、このことば自体がハラスメントではないかと。(告発者の)元県民局長自身も、自分を社会的に抹殺するパワハラだと、4月1日付でマスコミに送った文書でも明確に書かれているんですけれども、「反省している」とおっしゃったのは、元県民局長に対してパワハラ的な発言をしたことを反省して謝罪をしている言葉であるととらえてよろしいんでしょうか。
斎藤:言葉として表現が適切だったかという意味で、よくなかった面もあるという意味で、反省していると言いましたけれども、思いとしては、現在でもあの文書については、今でも私は誹謗中傷性の高い文書だというふうに、全ての項目について一つひとつ挙げるのは時間がありませんが、そのように強く認識して、かつ、いろんな人の名前とか、企業名を含めて晒されてしまっているので、先ほど不適切だということをご指摘いただきましたけれども、一緒に仕事してきた仲として、ああした文書を作成されたことに対して、大変残念な思いもありましたんで、私としてはあの場でああいう発言をさせていただいたということです。……
https://www.youtube.com/watch?v=YilT2aOWfew(※1.42'46''あたりより)
斎藤知事については、「残念な思い」という(ある種抑制的な)感情が、直情的な「嘘八百」という、ほぼ罵倒に近い表現に(一足飛びに)結びつくものなのか、という強い疑問があります(他にも、確か報告が遅かったことに、「腹が立って」ではなく)「残念な思い」がして付箋を投げつけたとか言っていたと思いますが)。
それはともかく、批判と誹謗中傷は混同しようと思えば、いくらだって混ぜこぜにできます。いくら世間がこれはまっとうな批判だと言っても、受ける側が「誹謗中傷だ」「(不当な)人格攻撃だ」と思えば、そうなってしまいます。身近にそんな例はいくらだってあります。SNSのちょっとした投稿で大騒ぎになる時代ですから、みんな妙に気を遣うし、現実には何か誤りや不当なことに気づいても「やり過ごし」て、あとで「あれは些細なことだから」とか「大勢に影響はないから」とか自己弁護したり自己正当化をしたりもするわけで、何を発言してもいい自由が、かえって(自分の)発言を自己抑制させる面がある。先日、作家の星野智幸さんが記事に書いたこととも関連しますが、これは「思い込み」とだけ裁断できる話ではないと思います。
しかし、肝心なのは、これは巷の一般人のあいだの話ではないということです。河野太郎氏は大臣であり、斎藤元彦氏は県知事、いずれも公務をリードする立場にあり、利害のちがう者同士、ちがう物事のあいだを調整して、一定の方向へ舵を切らなければならない。ある方向に進む決断をすれば、反対する側から批判を受けるのは立場上避けられないというべきでしょう。
いや、政治家だって人間なんだから、中傷が続けばメンタルがやられると。それはそうです。しかし、そういうレベルの話に落とし込むのは恣意的かつ政治的でしょう。たとえば、ワクチン接種後の健康被害や後遺症を訴える投稿は、具体的な書き方にもよると思いますが、所轄大臣に向けられたものである以上、「誹謗中傷」と称するレベルの話ではありませんし、斎藤知事にしても、物もらいでもあるまいし、行く先々で必ず土産物の供出を迫るような県内視察を繰り返していたら、職員や関係者の嘲笑が批判に変わるのは当然のことです。何より昨年の阪神・オリックスの優勝パレードの資金集めには重大な疑惑が浮上しています。これらを「告発」する具体的な内容を、県政「批判」ではなく(知事への?)「誹謗中傷」と受け止める(貶める)のは、意図的な問題の矮小化でしょう。
「批判」と「誹謗中傷」をごっちゃにする背景には、事実と対関係にない言葉の氾濫と追認もあるように思います。メディア報道にはびこり始めたこの種の言い換え語には、たとえば、「戦争」なのに「特別軍事作戦」とか、「墜落」なのに「不時着水」とか、「裏金」(ないしキックバック)なのに「還付金」とか……。すべて、事実を隠蔽したい側が発した「用語」がそのまま垂れ流されたものです。メディアにも、受け手の我々にも、そういう自覚と認識が必要だと思います。場合によってはそれは「覚悟」かも知れません、大袈裟ですけど、今の大手メディア(の特に上層)にとってはそういうレベルなのでしょうから。
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