ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

森山軍治郎『ヴァンデ戦争』

 副題は「フランス革命を問い直す」です。文庫として出たのは今年の5月ですが、元の版は1990年代半ばに出ていて、当時、本屋で目にした記憶はあります。ひょっとしたら、手に取って眺めていたかもしれませんが、副題から「歴史修正主義(右派的な歴史の書き換え)」の偏見が先走って、そのままになっていました。でも、『フランス革命下の一市民の日記』(中央公論社)を読んで恐怖政治下のパリの様子を知り、その頃から、フランス革命の理念と現実に起こった大虐殺に相容れない矛盾を感じていたので、当時読んでいたとしても、それなりに共感はできたように思います。

 この戦争の舞台になったヴァンデ地方は、ブルターニュ半島の南東、パリから南西に300キロほど離れたロワール川の下流域の呼び名で、ここで革命中に政府軍(革命共和軍)と「現地軍」との激しい戦闘(内戦)が起こりました。日本の高校の世界史の教科書には書かれていないと思うので、専門家やフランス革命史に興味のある人以外、ほとんど知られていない史実だと思います。当のフランスでも、この「内戦」は「後進地域の民衆が起こした狂信的な反革命蜂起・反乱」で、革命中に起こった悲惨なエピソードの一つという評価がふつうです。しかし、相手が「狂信的」とか「反革命的」だからなどという理由で、数十万もの民衆を無差別に殺戮する行為を「正当化」できるのか、大いに疑問です。
 一般的には、フランス革命は、絶対王政を倒し、「自由・平等・友愛」の理念に基づく今日の市民社会を築く原点となった事件と評価されています。しかし、その革命中に、人々を次から次へと断頭台に送る事態(恐怖政治)がなぜ起こったのかについては、今も昔も批判があります。詳細は省きますが、それは革命の本筋からの一時的な逸脱だという解釈もあるし、「自由・平等」という革命の成果の裏返し、つまりフランス革命というコインの裏側だという解釈もあります。後者の方がだんだん主流になってきた感じもありますが、ヴァンデの戦争もこれに当てはまるのではないかと思います。

 著者は研究史から説き起こして、ヴァンデ戦争の生き証人のごとく、出来事を詳細に綴っていきます。さながら大河小説を読んでいるようで、その密着と拘泥ぶりには圧倒されます。読みながら、ヴァンデの遠景というか、目の前に広がる土地の起伏が見えるかのような錯覚をおぼえます。もちろんそれは著者が入念に現地調査をしたからでしょうが、どうもそれだけではない感じがします。

 全体を通じて最も感じることは、フランス革命に限らず「勝者」の歴史が「正義」として語られがちですが、それがすべてではないということです。「敗者」のヴァンデ軍に肩入れして言えば、彼らにも言い分はあります。革命政府は、長年暮らしてきた住民の都合と関係なく機械的に教区や行政区を、号令一下で編成替えしようとして、住民たちの生活共同体に勝手に線を引いて、暮らしにくくするとか。あるいは、周辺国との戦争(革命防衛戦争)で30万人という徴兵の動員がかけられ、みんないやいや応じなければならないと思ったそのときに、実は兵役免除の抜け道があって、裕福な連中や政府の役人たちは金を払って徴兵を逃れられることになっているとか。すべてを書き切れないのですが、こうした不満や怒りにあるとき火がつき、陳情や散発的な抗議行動が起こる。でも、それが無慈悲に武力弾圧されると、人々の不平不満はエスカレートしていきます。
 ヴァンデ以外の地域でも人々は立ち上がりましたが、政府が鎮圧に一番手間取ったのがヴァンデだったため、彼らにことさら「王党派」や「頑迷なカトリック」「旧勢力」「反革命」などのレッテルを貼り、とにかく貶めるだけ貶めて、無差別の殺戮と掃討作戦を「正当化」します。結果、革命政府は「勝者」となり、フランスの「正史」に据えられ、それが現在まで続くことになります。
 しかし、「勝者」の蛮行は革命後200年以上もの長きにわたって、ヴァンデの人々のあいだで静かに、しかし、怒りをもって語り継がれてきました。「敗者」のどこに自らの「正義」のよりどころがあったのか、著者の森山さんはこう書いています。

……共和政府(革命政府)やその軍が一貫してヴァンデ民衆を盗賊、略奪者よばわりしていたのに対して、ヴァンデ側では共和軍(政府軍)兵士をそのようによんだことはほとんどなかった……。戦争初期のころには、共和軍兵士を“親愛なる兄弟たち”とよんでいた。……
 ヴァンデ民衆は……旧体制に抵抗し、そして革命の進行にも抵抗した。その抵抗には権力奪取などという発想はなかった。自分たちの幸福さえ政治権力が保障してくれれば、それで満足とする発想がヴァンデ民衆にはあった。陳情書を見ても、彼らの幸福感は共同体の伝統的生活を維持しながら、理不尽なところを改め、経済的に豊かになっていくことだった。そういう国家を創造しようという発想はなく、せいぜいヴァンデという範囲内での地域社会が生まれるのが望ましい、と考えていたようだ。……
 ……要するに、革命の名において、国家が地域や共同体、ひいては家族や個人の生活を破壊することに抵抗した。その抵抗がヴァンデ戦争であり、その抵抗を徹底的に圧殺することで、フランス革命は正当化され美化されていった。
(森山、同書、479-482頁)

 ヴァンデの人々の「正義」のよりどころは、一言で言えば、「友愛」かもしれません。森山さんは、こうも述べています。

 (ヴァンデ民衆の)幸福の前提には友愛がある。これを家父長制的伝統などと性急に判断するのは間違っている。自由や平等は制度化されても、友愛の問題にはそれができない。三者のどれもが基本的には人間のこころの問題なのだが、友愛こそは古くて永遠の課題……だ。自由と平等だけでいうなら、個人の自由が前面に出れば真の平等はなくなり、無理に平等を押しつけると個人の自由がなくなってしまう。ある意味で、フランス革命はそのジレンマの中での模索だった。しかし、人間的問題がそう短期間では解決しないものだということを考えると、愛や友情から人間関係、社会を考え直していくことが問われるだろう。友愛から自由や平等をこころの中で見つめていくことの重大さをヴァンデの民衆は教えてくれた。
(同書 480-481頁)

 森山さんの文章をロマン主義者の言葉とだけ言って片付けるのは簡単です。実際、フランス革命政府の虐殺を推し進めたのが今日で言う左翼勢力だったこともあって、今でもこの地域には保守、というか、反左翼=左翼嫌悪の「伝統」が色濃く残っています。たとえば、この地域の住民の投票行動は、フランスの他地域とは明らかにちがっていて、左派や中道よりも右派、マクロンよりもル・ペンに投票する傾向が顕著です。これを200年前の「友愛」の怨恨でもって許容しうるか、小生には疑問なしとはいきません。
<補記・訂正>森山さんは1974年の大統領選までのヴァンデ地方の人々の投票行動をとりあげて分析しているので、マクロンとル・ペンの話は、いくらなんでも軽率でした。実際今年2022年の大統領選挙の投票結果を見ると、ヴァンデ地方の人々はル・ペンよりも圧倒的にマクロンに投票しているのがわかります。これはお詫びして訂正します。大変申し訳ありませんでした。<9月16日記>
フランス大統領選挙:投票結果

 しかし、森山さんがヴァンデを歩き、ヴァンデ戦争の記録を紐解きながら感じとった「友愛」とか「共同性」には普遍性があると思います。実際、フランス革命時のスローガンでは、「友愛」と一体だったはずの「自由」と「平等」が、「友愛」を欠落させたばかりに、つまり、相手に対する敬意や尊敬、連帯心を欠いたことによって起こっていることは、政治世界やネット社会を探せば無数にあります。それがどんな醜態をさらし、悪臭を放ち続けているかを思うとき、これをノスタルジーで済ませるべきとは思えないのです。
 それにしても、「正義」を語る側が独善と紙一重であることは、常に自戒すべきことと改めて感じます。
 内容、分量とも読み応えのある一冊でした。

ちくま学芸文庫版 2022年5月刊 531頁/初版1996年刊)




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